4人打ち麻雀
任天堂
1984.11.2発売
©1984 Nintendo
やりたいがために頻繁に部屋をのぞきに来た父
父がよく遊んでいた。私が他のゲームで遊んでいると、「まだやってんのか?」と声をかけてくる。麻雀が早くやりたいがために頻繁に部屋をのぞきに来た。
私のゲームが終わると、父は『4人打ち麻雀』を始める。麻雀には全然興味のない私はベッドで本などを読みながら、父のやる麻雀の画面を見ていた。見ていた、というより聞いていた。
ぶっぶっぶっぶっ…… ぶっぶっぶっぶっ…… BGMなどがなく、牌を捨てる音だけが部屋に響く。たまに「リーチ(というように聞こえる)」という音も。
「あー、チートイツまであとちょっとだったのに」とか、「なんだよ、ノーテンだよ〜」とかいう父の一喜一憂をよそに、私はあのぶっぶっぶっという牌を捨てる音に眠気を誘われて、父がゲームを始めると、大体ものの30分で寝ていたりするのだった。
寄稿:しょこら 女 1974年生 埼玉育ち 主婦
小学校の同級生の肥えた母親の姿を思い出す
いじめっ子の家でこのソフトに出会う。ゲームの中身にはあまり印象はないが、このソフトにはある思い出がある。
ある日、そこの家の肥えた母親が、昼日中からやっていたのを覚えている。それが『4人打ち麻雀』だった。当時、ウチの母はアンチファミコン派であったし、まわりの親たちにもゲームをやる人を見たことがなかったために驚いた。それと同時に、「大人、しかも母親がファミコンやるなんて・・・」と嫌悪感さえ持っていた。
のちにわかることだが、家を建て替える際にそこの両親は離婚していた。新居は1億円をかけて建てられ、キレイなお手伝いさんもいた。まわりの友達がいろいろ噂する中、「あんな昼間からゲームばかりしてるような肥えた女なんか離婚したくもなるよなあ・・・」と小学生ながらにある意味当然だと思わずにはいられず、彼女の安否を案じたのを覚えている。
寄稿:こくおう 男 1977年生 福井育ち 会社員
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