『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ドンキーコング ドンキーコング
任天堂
1983.7.15発売
©1981 Nintendo

幼稚園の絵の時間に1面を描きました

 初めてのファミコンのカセットが『ドンキーコング』でした。近くのスーパーに同タイトルのアーケード版が、また「ゲーム&ウオッチ」も持っていましたのでタイトルは知っていました。

 しばらくはコレに夢中で、「ジャッキ」「ボルト」という単語をこのゲームで覚えました。その後実物を見て、ジャッキは飛び跳ねないことも知りました。2面の床に着地することができるという、とくに意味のない裏技があり、それを好んでやっていました。

 幼稚園の絵の時間に1面を描きました。途中から背景をすべて黒ベタで塗るのが面倒になり、かなり雑に塗りました。「もう少し黒の所もキチンと塗れ」と言われ、「画面のノイズでチラついて見えるからこれが正しい!」と答えて、先生を困らせた記憶があります。

 しかしファミコンの画面の黒背景には、当時も今も無限の拡がりを感じています。ブラウン管のあの空間には、世界が確かに息づいていたのだと思います。

寄稿:もにもに 男 1977年生 東京育ち クリエイター


『クレイジーコング』もあった

 ワタクシも『ドンキーコング』のアーケード版を楽しみたいと思っている一人です。ファミコン版しかやったことのない人は、25M、50Mとレベルがあったことを知らないでしょうね。

 1〜3面で、マリオがゴールに着くとコングがお姫様をかっさらってハシゴを昇っていってしまい、ハートマークが破れるというシーンがよかった。ファミコン版は音楽もチャチイし、2面もないし、あまり面白くなかったです。

 ところで、ゲームの内容がほぼ同じで、『クレイジーコング』というニセモノがゲームセンターに出回っていたこと知ってる人います? あの頃は著作権無視のコピーゲームが案外多かったんですよ。それにしてもなつかしいなあ、1980年代!

寄稿:中ノ鳥島 男 1969年生 北海道育ち


偉大なるフォーマル・スタンダード

 古いことは悪いことではない。むしろリスペクトするものだと思う。そして、どんな分野であれ、初めてそのジャンルを切り開いた先駆者というものが存在する。『ドンキーコング』はまさにそれにあたるだろう。

 私の周りでファミコンがはやりだした頃は、猫も杓子も「スーパーマリオ」。『ドンキーコング』は既に時代遅れで誰もプレーしていなかった。だから私はファミコン黎明期の頃はよく知らない。しかし私はこのゲームの持つレトロさや雰囲気がすごく好きだったことはよく覚えている。

 「コングにさらわれたレディを助け出す。」1面をひと目見ただけでゲームの趣旨が分かるシンプルな作りや、回を重ねるごとに難しくなってゆく難易度。キノコも無く、フラワーも無く、まだ駆け出しだったマリオはジャンプすることしかできなかったが、楽しさに満ちあふれたゲームだった。

 その後、現在に至るまで星の数ほどのゲームが登場したが、やはり『ドンキーコング』はTVゲーム、そしてアクションゲームというものの偉大なるフォーマル・スタンダードに他ならない。

寄稿:Peco 男 1979年生 兵庫育ち デザイナー


そのとき、実はGAME&WATCHのほうが欲しかった

 1983年、ファミコンを買って欲しいと親にねだったのは、当時5才 だった弟でした。親に連れられてオモチャ屋やデパートを回るが、すべて完売。先に買ってもらったのが『ドンキーコング』のカセット。本体の予約整理券51番と赤いカートリッジを眺めながら、悶々とした日を過ごしたのを憶えています。

 本体が届いて初めて赤いカートリッジを差した時のこと。マリオがハンマーを取った時の音楽に何故かウケてしまって、笑い過ぎてオシッコちびりそうになったことなど、今でも鮮明に記憶しています。

 ファミコンが買えなかったあの日。僕は赤いカセットより、実はGAME&WATCHのほうが欲しかった。弟に止められなければ親に確実にGAME&WATCHをねだっていた。泣きながら僕に抗議した弟、あんたが正しかった。

寄稿:KOG店長 男 1974年生 滋賀育ち WEBショップオーナー ホームページ


移植しきれなかったアーケードの熱狂

 世にファミコンなる物が発売される少し前、当時中学生だった私を異常なまでに熱狂させたアーケードゲームがあった。

 ゴリラにさらわれた美女を助けるために上へ上へと昇っていく主人公(まだマリオという名は無かった)。最初は1面すらクリアできなかったが、ちょっとしたコツをつかんでからは2周くらいは楽々進めるようになっていた。

 そして高校生になった私の前にその「機械」は現れた。衝撃のテレビCM・・・あのゲームが家で遊べる!! だが、デパートのおもちゃ売場で初めてコントローラーを握った私の期待が失望に変わったのはその直後だった。 微妙に違う画面構成、しょぼい音、そして何よりも2面目(50Mステージ)が無い・・・所詮アーケードと家庭用は別物だったのだ。

 あれから20年、今だにアーケード版の完全移植と呼べるものは登場していない。

寄稿:多夢 男 1966年生 大分育ち サービス業 ホームページ

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