『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ドラゴンクエストIV 導かれし者たち ドラゴンクエストIV 導かれし者たち
エニックス
1990.2.11発売
©1990 エニックス/アーマープロジェクト/バードスタジオ/チュンソフト

「1本だけ残ってるからお前には売ってやる!」

 当時、私は小学5年生。「ドラクエ」は、並ばないと買えないソフトで、入荷未定の店がほとんどでした。

 そんななか、近くのカーショップに10本だけ入荷するという情報を得た私は、真冬の朝4時に並びに行くと、すでに何台かのヤンキー車が停まっていて、それでも入り口に誰もいなかったんで、並ぼうとすると、一人のヤンキーが降りてきて、「あ、もう10人以上いるからお前は無理だよ」と、残酷な現実を吐きかけてきました。

 肩を落とし、トボトボと途方に暮れて歩いてた私は、ダメ元で近所の駄菓子屋に6時から並び、1番前で待っていました。開店は11時で、最終的には15名ほどが並んで開店後は店になだれ込んだ時、店主であるおばあちゃんは開口一番「ドラクエはないよ!」と言いました。

 終わった、完全に終わった……。そう思った私は、半ばヤケクソ気味に、「なんだよ! 朝6時から並んだのに!」と叫びました。そしたら、おばあちゃんが急に、「なに?それは可愛そうだ。1本だけ残ってるからお前には売ってやる!」と信じられないことを言ったのです。結局買えたのは私だけで、嬉しくてダッシュで家に帰り、プレーしました。

 当時から20年以上が経ち、その店はもう無くなり、おそらく店主のおばあちゃんも亡くなられていると思うが、あの時の感動は今でも忘れないで覚えています。「ありがとう。おばあちゃん」

寄稿:クロム 男 1979年生 北海道育ち 教諭


主人公のもとに皆が集まってきたときの感動といったら!

 幼稚園の頃、家の事情で10歳上の従兄弟の家に住んでいました。その従兄弟がまだ小さい私に昔話でも読み聞かせるように、説明しながらプレーしていたのが「ドラクエIV」でした。

 各章がそれぞれ魅力的で、私はいつも従兄弟の隣りで画面にクギ付け。1章クリアするごとに終わってしまうのを寂しく思っていました。でも5章では、ひとりぼっちになってしまった主人公のもとに、皆が集まってきたときの感動といったら!

 悪いやつだと思っていたピサロが可哀想でたまらなくなったり、ホイミンの願いが叶って喜んだり、このゲームを通じて私は本当に一緒に冒険していたのだと思います。

 のちに自分でもファミコン(当時の主流はスーファミでしたが)を買ってもらって、「ドラクエIV」が初めて自分でクリアしたゲームになったのもいい思い出です。

寄稿:k 女 1983年生 香川育ち 会社員


魔法を使うキャラが役立たずで……

 初のRPGです。僕は中学時代、諸事情による制裁でテレビゲームと無縁の生活をしていたのですが、卒業と同時に制裁解除を受けて、復帰後の最初のゲームがこの作品でした。

 僕にとってこのゲームに魅力を感じたは、プレーヤーキャラの多さにありますね。初代ファミコンのRPGは、容量上多くても4人くらいだったので、最大で10人のパーティーでプレーするのは、当時はそう無かったと思います。特に第5章では、仲間を次々に増やして行くという所に面白味がありました。

 反対に悪い点を言えば、多くの方々も言ってますが、やはりAIの対応が悪すぎることです。勇者以外はオート戦闘なので、特に魔法を使うキャラは役立たずですね……。のちのプレステリメーク版も全体的にあまり進歩が感じられなくて、二重に落胆しましたよ。

寄稿:エシュロン 男 1976年生 静岡育ち 会社員


“ひがし”ってどっち?

 自分が初めてクリアしたドラクエシリーズです。その頃はまだ小学生で、東西南北を理解していなくて、いきなり第1章でどこに行っていいのかわからくなってしまいました。

 困り果てた自分は、おばあちゃんのところに行って「“ひがし”ってどっち?」と聞いたのです。でもおばあちゃんが教えてくれたのは現実の世界での「東」でした……。その方向をしっかり指さして確認しながらテレビの前に向かってまったく逆の方向にひたすら歩き続けた自分。今考えると微笑ましいですが、その時は「このゲーム壊れてる……」と本気で思ったものでした。

 その後、いとこにゲームの世界での「東西南北」の方向を教えてもらい、勝手な行動ばかりする仲間に手を焼き、そして助けられながらストーリーを進めていき、ようやくたどり着いたラスト。

 デスピサロの変身に本気で恐怖しながらも、アリーナの「かいしんのいちげき」が炸裂してなんとかクリア! 初RPGクリアは、やり遂げた気持ちでいっぱいで、しばらくテレビの前で余韻にひたっていました。感動と「東西南北」を教えてくれたドラクエよありがとう!

寄稿:ハルオ 男 1982年生 佐賀育ち 会社員


シリーズで一番好き

「ドラクエ」は現在IXまで出てるが、シリーズの中でどれが一番好き?と聞かれたら、迷うことなくIVと答えるだろう。これは本当に何回プレーしても面白い。

 各章それぞれが別々のRPGみたいな感じがして、何回やっても飽きない。確かに、ストーリーはドラクエシリーズの中では他の作品に比べ全体的に悲しく、切ないものである。私自身ストーリーに関しては嫌いではないが、好きというわけでもない。

 しかし、ストーリーうんぬんを超えたそのゲーム性の面白さがこの作品の魅力だと思う。加えて、ドラクエ史上でも特に魅力的なキャラクターたち。いまだ、ドラクエヒロインの中で最も人気のあるマーニャ姉さん。VIIIに友情出演したライアンとトルネコ。そのトルネコは不思議のダンジョンシリーズの主人公になり、ドラクエを越えて活躍中。

 ドラクエIVの面白さ、それは毎回新鮮な気持ちでプレーできる各章の冒険だ。

寄稿:朧 男 1980年生 京都育ち 会社員


楽勝のボス戦ふたつ

 このゲームで印象に残っているボス戦がふたつあります。ひとつは5章でのキングレオ戦。クリフトが1ターン目でマホトーン、2ターン目でマヌーサを成功させたのです。おかげで楽勝。そんなクレバーだった彼が、ザキを覚えたとたんザキ キ○ガイになってしまったのは、強大な力は時に人を狂わすという教訓だったのでしょうか?

 もうひとつはその後のバルザック戦。ライアンに「まどろみのけん」を持たせていたのですが、1ターン目でいきなり眠らせると、なんとバルザックは死ぬまで起きなかったのです。ダメージゼロ。これほど拍子抜けしたボス戦は今に至るまで経験していません。

寄稿:YTA 男 1977年生 神奈川育ち 会社員


私のRPGデビューとなった作品

 小学生の頃、私が住んでいた田舎でももれなく「ドラクエ」が流行っていて、友人の家に行くと決まって「ドラクエ」の日々。といっても、私はプレーせず、見ているだけの人で、内心は「このゲーム、ただ同じ所をグルグル回って何が楽しいんだろう?」と、友人の家にあったジャイロセットをいつもいじくりながら思っていました。

 私はそれまで「スーパーマリオ」などの、いわゆるアクションゲームしかプレーせず、動きの少ないRPGはつまらないものだと思っていました。でも、みんながあまりにもそのゲームばかりプレーするものですから、「そんなに面白いの?」と興味本位で「ドラクエ4」を購入してみたのです。

 もちろん、はじめはシステムもろくに理解せず、ただただ装備や戦闘などを面倒に感じていましたが、プレーしていくうちに主人公が段々強くなっていくではありませんか! この瞬間、「RPGの面白さはこれだったんだ」と初めて気づきました。そして、がむしゃらに進んでいくのではなく、じっくりやり込みながらプレーする楽しさも知りました。

 しかし、結局途中で詰まってしまい、その後はRPGゲーマーである後輩に任せました。そして数ヵ月後、しょぼかった私のセーブデータが、クリア済みデータに書き換わり返ってきました。そして、私はそのデータを借りてすぐさまクリア。その空しさからか、エンディングのBGMが心なしかちょっぴり物悲しく聞こえました。

 その後後輩から、「ゲーム内容は結構泣ける」と聞いたのですが、結局今でも自力でクリアしたことのない私は、それすらも味わっていません。まあ、自業自得ですね(笑)

寄稿:エクス 男 1980年生 岩手育ち 自営業&ひよこドッター


ドラクエ狩り防止のため……

 手に入れるのにすごく苦労したソフトです。発売日の約1年前に近所のおもちゃ屋で予約しました。前日はドラクエアニメ、アベルの冒険の中で流れるドラクエIVのCMを見ながら、「明日ようやくプレーできるんだ!」と胸を高鳴らしていました。

 しかし、お店から電話はかかって来ませんでした……。次週もかかって来ず、そしてその次の週に他のお店で購入しました。当時はドラクエ狩りとかがあったので、ズボンとお腹の間にソフトを挟んでダッシュで家に帰りました。

 結局、予約したお店から電話がかかって来たのは全クリした後でした……。今思うと、あそこのお店で発売日に買えた人っていつ予約したんだろう。

 私にとっては今でもNo.1ゲームです。何回も全クリしました。当時はグッズやカード&ボードゲーム、四コマ劇場など、関連商品も結構買ったりして、ドラクエにどっぷり浸かっていました。

寄稿:ディアス 男 1979年生 神奈川育ち 専門職


セリフ無しで表現した感動のエンディング

 正直言って、他のドラクエシリーズと比べると印象の薄い本作品ですが、エンディングの出来はピカ一だと個人的に思っています。

 最後のボスとの戦いが終わり、仲間を気球で一人ずつ故郷に帰して行く主人公。それぞれの仲間には迎えてくれる家族や仲間、町や城の人たちがおり、故郷に着くと様々な形で歓迎される。その様子を一歩下がった場所から見つめ、その後静かに立ち去る主人公。

 最後一人だけになり、自分の村に帰るも、そこは魔物に襲われ変わり果てた姿の故郷。もちろん出迎えてくれる村人もいない。改めて目の当たりにする現実にただ立ちつくす主人公……。

 そんな時、空から一筋の光が降り注ぎ、村が襲われた際に自分の身代わりとして死んでしまった幼なじみシンシアが生き返る……。そして、そんな主人公の元に最後7人の仲間が駆け寄るのです!

 もう、号泣です。ゲームで大泣きしたのはこれが最初で最後です。何が良いって、このシーンがすべてセリフ無しで行われていることです。キャラの動きだけでストーリーを作ってしまうとは、さすが天才堀井雄二!(余談ですが、先日YouTubeでエンディングを何年か振りに見て、年甲斐もなくまた号泣してしまいました)

寄稿:ABABA 男 1975年生 長野育ち 会社員


暗くて救いようの無い悲しい雰囲気が好き

 数あるドラクエシリーズの中でもイマイチ人気が無いらしいけど、私にはいちばん印象に残っているストーリーでした。

 冒頭の、勇者の身代わりとなるシンシア、マーニャとミネアの絶望、そしてボスであるデスピサロでさえ、こうなったのは本意ではない、という悲しすぎるストーリーに、今も涙が出そうになります……。

 のちのプレステ版では、他のシリーズ同様「勧善懲悪」になるように、さらにボスが設定されたようですが、私はあくまで、この暗くて救いようの無い悲しい雰囲気のファミコン版が好きですね。子供ながら、命の大切さ、大切な人の尊さを学びました。

 我が子は今1才ちょっと。小学3〜4年生になったら、一緒に遊ぼうと思っています。

寄稿:羽賀 直人 男 1973年生 東京育ち Webシステムマネージャー ホームページ


最初からクリアまで「ガンガンいこうぜ」

 おそらく、歴代もっともキャラクターの印象が強かったのは、このIVと答える人は多いのではないでしょうか。前作IIIが非常によかったため、発売日前からかなり騒いでいたものです。

 発売日当日に手に入れた私は、クラスでもかなり早く進んでいた部類でした。ところが、小学校の卒業式間近のある日、ソフトの接触が悪く、例によって息を吹きかけてから、強めに本体に差し込んだのが運の尽き。私と母の冒険の書が消えてしまいました……。おかげで卒業までにクリアーするという夢が破れ、卒業式の日にはガーデンブルグ辺りをうろうろしていたのを記憶しております。

 ところで私は、最初に「ガンガンいこうぜ」に作戦を指定して以来、作戦が変えられることを忘れ、ついに一度も作戦に変えずにクリアしました。しかし、戦闘中はすべて勇者が回復をまかない、追いつかなくなると一人ずつ力尽きていく、というハードルールの上、洞窟内でレベルを上げていたために、主力4人と補欠のレベル格差がひどく、主力4人の死と全滅がほぼ同義語でした。周りからはやたら全滅する奴だと笑われたものです。

 あれ以降、何度かIVをやり直していますが、「ガンガンいこうぜ」クリアがついにできなくなってしまったのは、私が大人になってしまったからなのでしょうか……。

寄稿:濱 竜也 男 1977年生 栃木育ち 製薬関係


感情移入

 感情移入しました、マジで。第五章の始まり方や、アッテムトにあった屍の手に握られていた手紙には涙しましたし、黒幕がカミングアウトしたときもマジで怒りに満ちました。リメークのプレステ版が出たとき、プレステを持っていないにも関わらず即買いました(後にPS2でやりました)。

 ストーリーもせつなく素晴らしかったですが、なによりそれをさらに盛り上げる音楽もすごい。すぎやまこういちさんは天才です。あまりの感動にテープレコーダーで必死に一曲一曲録音している自分がいました。

 あとで聴いてみると、洗濯機の音など雑音がヒドイ……。結局オーケストラCD買いましたよ。そしてさらに感動。登場人物それぞれの曲すべてが素晴らしいですし、「戦闘〜邪悪なるもの」なんか鳥肌モンですよ。

 ドラクエシリーズはプレーヤーが主人公の視点というのが昔からのスタイルですが、まさに自分が本当に冒険したり戦ったりしているようでした。

寄稿:Alto 男 1980年生 静岡育ち プログラマー


ゲームは小4から

 小学1年生の時だったと思います。友だちの親が遊ぶためにあったこのソフトを、私とその友だちでプレーしていました。でも、ライアンの章で塔への行き方が分からず断念。

 2年生の時。父の会社の後輩からドラクエIVを貸してもらって遊ぶ。アリーナの章ではじめの城から出れずにやらなくなる。3年生の時。トルネコの章で、最後のお金の貯め方(店で売ることがわからず地道に貯めようとした)で苦労してやらなくなる。

 しかし4年生の時、何でこんなことがわからなかったのか、という思いで全部クリア。結果的に4年生になると、大体のソフトがクリアできるようになりました。というわけで、ゲームは小4から、というのが私の持論です(笑)

寄稿:SS 男 1983年生 東京育ち


カジノのコインの裏技

 当時は小学校5、6年だったはず。俺には仲のよかった頭のいい友だちがいました。発売直後のときに彼の家に遊びに行ったら、自分はまだ第2章のどこかの村かなんかのボスで手こずってたはずなのに、彼はすでに第5章まで進めていました。初めて見るカジノに感動していました。

 彼が「おかしいな……」と言って、電卓と鉛筆、メモ帳を取り出してなにやら計算をしている。「数字があわない!安くコインが買えてる!」そうです、あのカジノのコインの裏技に気づいたんです。俺にはさっぱりわけがわからなく、彼は黙々と電卓とTV画面をにらめっこ。確か1045ゴールドで、大量のコインを買って喜んでいました。

 それからしばらくして、雑誌で8ゴールドだかで大量に買える裏技が掲載されていました。彼はもうちょっと頑張れば8ゴールドで買えてたんですね。

 そんな彼は中学から進学校へ入学。20年ぐらい会っていません。何してるんだろう? 会計職でもしてたら面白いなあ。

寄稿:のびた 男 1977年生 東京育ち ゲーマー


ひたすら鋼の剣と鉄の鎧を売ってた

 何年間も親を説得し続けて、小学校4〜5年の時、やっとファミコンを買った(自腹)。で、最初に買ったのがこれで、ハマったハマった。

 でもトルネコの、なんか牢屋の人にキメラの翼を届けるところ。何回やってもできなかった……。結局姉貴にやってもらったなぁ。鉄の金庫も女神像も知らなくて、ひたすら鋼の剣と鉄の鎧を売ってお金稼いでたのが懐かしい。楽しかった。

 たしかその年の暮れにスーファミ出たんだよなぁ。悔しかったなぁ(スーファミは中2〜3で買いました)。

寄稿:アゴヒゲ 男 1980年生 神奈川育ち


パルプンテが呼んだ停電

 「パルプンテ」。このドラクエIVで、レベル上げの際には最も多用された呪文ではないでしょうか。

 あれはある雨の日。私は勇者たちのレベル上げにいそしんでいた。そこに、はぐれメタルとメタルキングの群れが登場! 私のテンション一気に上がり、いつものように勇者にパルプンテの呪文を唱えさせた。するとその瞬間、雷の音が鳴り響き停電に……。

 停電から復活した後、電源を入れてみると、あの忌々しい音楽が……。今となっては笑い話ですが、当時小学生だった私は三日三晩へこみました。

寄稿:メタレキング 男 1980年生 大分育ち 大学院生


ホイミンの自己犠牲

 1章の終盤、ドラクエ史上初の仲間モンスター(当時は知らなかったが)であるホイミンと、1章のボス(名前は忘れた)に挑んだ時のこと。

 ろくに準備もしなかったため、後半やくそうが切れ、さらにホイミンのMPがもう切れる、絶体絶命の時、ホイミンが最後のホイミを唱えたのである!……ライアンに。その後、ホイミンは死に、何とかライアン一人でボスを倒し一章をクリアしました。その時ホイミンから人間性を感じました。

寄稿:なたくん 男 1989年生 北海道育ち 学生


うまのふん

 これは、ホントにいいゲームでした。ただ、僕がいいたいのは「うまのふん」についてです。当時は迷宮入りっていうぐらい謎でした。「え? これって後でつかうのか? とっておこう……。」トルネコに聞いてみると、「これは10Gで売れます。」いや、これは何かあるに違いない!

 戦闘中に、「うまのふん→つかう→しかしなにもおこらなかった」 えぇ?これはなんだ!? 道具袋にずーっと入れておきました。ただ、こういう謎めいたところが僕は好きですね。

寄稿:ass 男 1985年生 愛知育ち


おじさんがつかんでいたカジノの裏技

 子供心に厳格で怖い印象だった友人の父親(=おじさん)。そんなおじさんが、当時小学生の私たちと同じ世界にやってくる唯一の存在が「ドラクエ」だった。

 ある日、その友人の家に遊びに行くと、おじさんのドラクエノートを発見した。その中に何やら数字が大量に並んでるページがあった。有名な、「5章のカジノで大量のコインが安く買える裏技」。おじさんは、世間に出まわる前にどこからかその情報をつかんできて、自力でその数字を調べていたのだった。おかげで私たちの周りは、ちょっと早めにカジノ資金には困らなくなったのだった。

 まもなく友人一家は引っ越してしまったが、おじさんはあれからも、そして今もドラクエはやっているのかなぁ。

寄稿:AK-D 男 1979年生 神奈川育ち 自営業


エンディングで放心状態に

 王宮のメヌエット(第一章の王宮で流れる音楽)が大好きだ。あるアイテムで2回攻撃をマスターした時のアリーナの鬼の強さが好きだ。マーニャの褐色の肌が素敵だ。ピサロの悲劇が切なすぎだ。

 つまり、音楽、キャラ、ストーリー、ゲームバランス、すべてが完璧だった。僕は毎日やりこみ、学校の帰り道でもそのストーリーに思いを巡らせていた。エンディングで放心状態になるほどに。AIの戦闘だけが気に入らなかったが、それも各キャラの個性と思い込んだ。

 見知らぬ者同士の運命の冒険。小学生だった僕に、これ以上の宣伝文句は必要なかった。

寄稿:リトル緑男 男 1982年生 福島育ち 大学生 ホームページ


「はねつきぼうし」を肌身離さず

 実に心に残る名作ですね。最終的なパーティーは、ゆうしゃ、ライアン、アリーナ、クリフトでした。攻撃重視ですね。ライアンが入る前まではマーニャです。

 クリア後はレベルもみんな99になるまで上げて、勇者一人でデスピサロに(笑)、アリーナとクリフトでデスピサロに(笑)、ミネアとマーニャでデスピサロに(笑)、と勝手に個人ストーリーで遊んでました。

 あと、第5章でシンシアの居た場所に「はねつきぼうし」が落ちてるじゃないですか。ぼくはあれを必ず勇者に持たせておいて終わるまで持っていました。いつどんな時も捨てず売らず、肌身離さず。だって最後に勇者の故郷に帰ったときに・・・。感動物でしたね。

寄稿:あかぎしゃちょ 男 1978年生 島根育ち フリーター ホームページ


うっかりアリーナに魔法の聖水を

 ドラクエIVのプレー中の悲劇。さえずりの塔でヒャダルコを連発しながら進み、穴のある所まで行き、落ちないようにと思いながらも落ち、戻ろうとしたのに迷い、仕方なくリレミトを使ってまたはじめからやり直すことに。

 最上階まで行き、ようやくさえずりの蜜を手に入れてリレミトをしたのだが、MPが足りず魔法の聖水を使った。しかしうっかりアリーナに使ってしまい歩いて帰ること・・・。迷ったもののなんとか出口の目の前に戻ったのだが、その瞬間バグる! あのときはショックでした。

寄稿:若林 恒吾 男 1981年生 神奈川育ち


熱気球はいただけない

 国民的RPG、「ドラゴンクエスト」の4作目。シナリオも良く、キャラの個性も立っている。勇敢なる戦士の物語で幕を開ける第一章。おてんば姫の珍道中、第二章。心温まる武器屋のサクセス・ストーリー、第三章。悲劇を背負った姉妹の復讐劇、第四章。様々な冒険が紡ぎ上げる壮大なファンタジーに最終章への期待が高まる。

 そして待ちに待った第五章、遂に導かれし者たちが集結し、感動のクライマックスを目指す・・・のに、なんで熱気球なんだよ! オイ! しかも気球に乗っている時のBGMは妙にホンワカムード。何故だ? ドラクエ3の時はラーミアという伝説の不死鳥にまたがって大空を駆けた記憶が鮮明に蘇る・・・。熱気球? ピクニックに来てるんじゃねーんだよ、オメーら!

 そんなこんなで、ファンタジックにするなら乗り物もファンタジックにして欲しかった。う〜ん熱気球・・・もうちょっと頑張ろうよ・・・。他は全然文句ないんだけどね。

寄稿:Peco 男 1979年生 兵庫育ち デザイナー


AI頭悪すぎ

 はっきり言って何回クリアしたか数え切れない。学校中、裏技の話で持ちきりだった。

 が、最後に話になるのはAI頭悪すぎ、ということになる。何度クリフトの「ザラキ」赤紫フラッシュを見ただろう。そして、何度テレビに向かって突っ込みを入れただろう。そうかと思えば、トルネコがはぐれメタルヘルムをGETするなど、「おぉ〜っ!」と叫ぶ事もあった。

 また、忘れたくても忘れられない思い出は、父が私のいない間にカジノでスロットをやり続けていたことだ。

寄稿:雪鷹 男 1979年生 宮崎育ち フリーター


PS版も出ているので未体験の人はぜひ

 このゲームを始めたときも終わったときも感動した。それぞれが目的を持ち、最後には黒幕を倒す。新たなストーリーに思わずに涙がぽろり。そのときのBGMも個性があり、フィールドのときなんか本当に導かれているて感じでした。

 メタルキングの登場に、ここまでやるかとびっくり!! それで逃がすものかとテレビをおさえながらプレーしたとき、ファミコンに当たり、バグッたり。そして、妹のいたずらにデータを消された回数も5回・・・しかもいいときに! そういうトラウマもありました。

 ラスボスを倒したとき、「えっ!?」となるようなこともありました。意外な展開にあ然と驚き。かわいそうだなあと思わせるドラマも。今、PS版が出ているようですが、コレは一度はやってみな!!

寄稿:近藤 たつや 男 1973年生 千葉育ち


嬉しくてライアンを無意味に高レベルに

 私は90年までファミコンが家になかったのです。ドラクエやりたさに、ねだりまくって買ってもらった記憶が有ります。10時間もあれば第1章はクリアできるのに、嬉しくてライアンを無意味に高レベル(そんなに上げる必要ないのに)にしました。

 ファミコンを買ってもらってからというものの、それから私はずっとゲーム好きで、いまだにゲームやりますし、人生変わったと言っても過言ではないです。

 一番最初に買ってもらったゲームがこれだったので、もしかするとこのゲームをやらなければ・・・、テストをほっぽりだしてゲームやりまくるような子供ではなかったかもしれないのに・・・(笑)。

 今、ハイクオリティーで内容も画像も凝ったゲームがいっぱい出てますが、昔のゲームの方が狭いけど奥深く楽しめたと思います。

寄稿:米屋さん 女 1980年生 北海道育ち 学生 ホームページ


衝撃的だった、あのゲーム演出

 「ドラクエIII」にかなりハマっていた。その延長で、「IIIの次の作品」として楽しめればいいと思っていた。高校受験等の都合で、IVを始めたのは1991年の3月。

 1章、2章……、しばらくは「IIIの後」として、受験の後という緊張感の無いの中で、気楽にプレーしていた。……自分の名を与えた主人公が旅立つ日までは。

 攻略本は読んでいたので、ゲーム中に何が起きるかは想像出来ていた。しかし事件は、そんな甘い想像と気楽さを一瞬に吹き飛ばした。第5章の冒頭、主人公の村が襲撃されるシーンである。

 ゲームの演出で、これほど心打たれたことは一度も無かった。あの日の私は、絶望と喪失感の中で冒険を開始せねばならなかった、主人公の17歳の少年と同じであった。最終章を通しても、その衝撃は癒えなかった。そして、その後二度とそのような衝撃を味わっていない。

 ――あの日、私の姿を写し、修羅へと駈けて行った少女シンシアの姿を、私は決して忘れない――

寄稿:いつしまあじし 男 1975年生 東京育ち プログラマー

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