『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ドクターマリオ ドクターマリオ
任天堂
1990.7.27発売
©1990 Nintendo

夜寝る頃まで両親が遊んでいた

 幼稚園の頃でした。このゲームは唯一僕のお父さんとお母さんが二人で楽しんでいたゲームでした。ぼくは幼稚園児だったので、このゲームのどこが楽しいのかわからなかったので興味はなかったのですが、夜寝る頃になっても二人で本当に心底楽しんでいたのが、かなり懐かしい思い出として残っています。

 いまでは二人で楽しく遊んでるところをあんまり見なくなってきたので、もう一度あんなふうにゲームでもして盛り上がるところをみせてくれないかな?って思ったりします。

寄稿:人 男 1987年生 長崎育ち


つづけて今も腕に自信あり

 僕は10年くらい前から『ドクターマリオ』をやっています。ファミコンの時からです。今はスーファミでやってます。スピードはHIで、レベルはいくらでもいけます。Lv40くらいまでいきましたが、疲れたのでやめました。

 自分がLv18、コンピュータがLv5(両者HI)で対戦してますが、最近はまったく負けないです。世界一かもしれません。ただ、まわりに『ドクターマリオ』やってる人はいません。大会があったら出場したいです。

寄稿:椎名 男 1979年生 福岡育ち 技工士


祖母の大偉業

 中学生の時、うちの祖母(当時70歳くらい)が、僕が「ドクマリ」をやっているのをみて、興味を持ち始めた。「ばあちゃん、やってみる?」と聞くと、祖母は照れくさそうにコントローラーを手に取った。が、結果はローのレベル1すらクリアできなかった。無理もない。祖母はその時生まれて初めてファミコンに触れたのだ。

 うちはマンション暮らしで、祖母はひとつ上の階に住んでいる。ある日、僕がハイのレベル20をクリアしたとき、祖母が我が家にやってきて、エンディングを見た瞬間、「ばあちゃんもこれ見たい」と言い出した。そして祖母は、毎日「ドクマリ」をしに我が家を訪れるようになり、そして数カ月後……。祖母は本当にハイのレベル20をクリアしてしまったのだ。まぐれではない。目の前でそのシーンを何度か見た。正直驚いた。今でも信じられないが、事実だ。家族全員で褒め称えた。それだけの大偉業だった。

 その後、祖母がうちのテレビを占領するようになったので、母が祖母の家でもできるようにと、ファミコンと「ドクマリ」をプレゼントした。今でもやり続けているらしい。もうすぐ80になろうと言うのに。対戦したら負けるかも……。

寄稿:まろ父 男 1976年生 大阪育ち 団体職員


ゲームをしない母親までやりこんでいた

 このソフトは、クリスマスのプレゼントとして買ってもらったもので、結構やりこみましたが、当時6歳の私にはレベル5でさえ難関で、カプセルを上部に詰まらせてゲームオーバーということが日常茶飯事でした。

 ある日の夜、私は布団で寝ていたのですが、パッと目を覚ますとなんと母親がドクターマリオをやっていました。しかもレベル20をクリアしたところでまだ余裕の表情でした。さすがにレベル30となると、集中力が切れてきてゲームオーバーの連発でした。

 ゲームをしない母親がこのゲームだけは結構やりこんでいましたね。

寄稿:ジャリデン 1983年生 福井育ち 会社員


悔しい思いを何度も何度も味わった

 Lv0〜Lv20から成り立ち、スピードは「LOW・MED・HI」、音楽も選べる。順番にクリアして行けば、Lv5・10・15・20におまけ映像が見られた。その映像は選択スピードが早いとそれなりにいい映像が見られた。特に「Lv20のHI」は、まだクリアが出来なかった頃の自分の目標でもあった。ちょっとの油断があっという間にミスを生み、悔しい思いを何度も何度も味わい、やっとの思いでクリアした時・・・泣けてきた。嬉しかった。

 また、LOWのスピードでLv0から始まり、Lv25〜28くらいまでハイスコアを狙ったりもあった。「今にして思えば、友人とバトルしたかったなぁ。」

 当時、自分がゲームで遊んでいると、ついひとりになってしまって、家にも呼ぶことなく、当然友人たちが知るよしもなく今に至ったこと、少々後悔・・・かも。

寄稿:47418 1976年生 東京育ち ホームページ

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