『思い出のファミコン』が本になりました
 

思い出のファミコン_トップへ


ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会 ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会
テクノスジャパン
1990.10.12発売
©1990 TECHNOS JAPAN CORP.

「男は熱血」

 当時、小学校低学年だった僕が近所のお兄ちゃんたちと一緒にゲームをしていて一番記憶に残っている作品のひとつです。

 みんなでワイワイ言いながらプレーしていた中で僕の好きだったお兄ちゃんは毎回のように「男は熱血」といい、熱血高校ばかり使ってプレー。最後の格闘のBGMは掟のようにうちの近所は8番でした。(僕は後ろで見ていることの方が多かったですが……)

 それから10年以上過ぎ20歳くらいの時に、友だちらと再ブームが到来しました。まわりが冷峰や連合を使うなか、僕は毎回「男は黙って熱血」、もちろん格闘のBGMは8番です。やはり月日が経ってもワイワイ言いながらみんなで遊んでました。

寄稿:シド 男 1983年生 兵庫育ち


三人兄弟でヒートアップ

 三人兄弟の末っ子だった私は、マリオなど同時プレー人数2人までのゲームを兄弟でやる場合、いつも兄の後ろで見ているしかなかった。そんな私が、唯一ジョイカードを使って参加できたのがこのゲームでした。

 小学校の夏休み中はほぼ毎日対戦で、外の暑さに拍車を掛けるほどヒートアップしてしまい、喜怒哀楽を発露しまくってました。実力が拮抗していたので兄のメンツを気遣ってわざと負けてあげることもしばしば……。

 でも、このゲームが済んでから兄が別のRPGをやり始めてしまうと、私はまたゲーム画面を見ているだけに……。でも本当は、兄貴のゲームプレーをワクワクしながら見ているのがいちばん好きでした。失われてしまったあの時間がひどく懐かしいのです。

寄稿:handsome 男 1982年生 北海道育ち


宿題の日記に書いて提出するほど

 ファミコンで間違いなく一番楽しめたゲームですね。小学生時代、学校の宿題で日記を提出することがありましたが、クロスカントリーの水中で溺れ死ぬところが面白くて、それを日記に書いて提出したことを覚えています。

 運動会といいながらも、すべてが殴る蹴る邪魔をする争い。スタコラ逃げてしまうやつは武器を投げつけられたりして、友だち同士に囲まれてリンチ死。壁にのぼっている最中に武器投げを食らうと異様な速さで吹っ飛ばされることに笑い転げてました。

 特に水中戦で気絶して沈んだり、呼吸できず溺れ死ぬところは衝撃的でした。回復ジュースをめぐって血みどろの争いが展開されたり、格闘では弱いキャラを守るために同盟が結成されたり、そいつがいきなり裏切って敵と挟み撃ちでキックしてきたり、穴に落とされてリアルファイトになりかけたり……。

 「俺が下で守ってるから先にのぼってタマ割って!」
 「あいつ昇りだしたぞ! タイヤ投げろタイヤ!」
 「なんでこの木刀、食らうと目盛り3つも減るんだよ!」
 「よっしゃ! この武器投げると強ぇぞ!」
 「あいつ宝石(格闘の指輪)取りやがった! 皆! あれ捨てろ!」
 「なんで捨てんだよちきしょー!」
 「やべぇ! 五代に棒持たせんな! はやく捨てろ!」
 「端っこで点数稼いでんじゃねーよ!」
 「うるせー!」
 「落っことすのやめろよテメー!」
 「わははは!」

 子供の頃、毎日友だとがうちに来て缶ジュースを飲みながら一緒にやってました。熱かったな〜。みんなでわいわい、楽しく遊べたファミコン。あの頃はよかったな。

寄稿:助川 翼 男 1980年生 栃木育ち 営業マン


バグで楽しむ

 小学生の頃、友人や従兄弟とこのゲームをしていて、ゲーム内だけの格闘のはずがゲーム外になることもしばしばでした。そんなときはファミコン本体も巻き添えになることもあったのですが……。

 あるとき、カセットにぶつかった関係なのか、4高校とも熱血高校になるというバグが起きました。その後、カセットを半挿しにしたり、ナナメ挿しにしたり試すうちに、

  1. すべて熱血高校になる
  2. クロスカントリーで風あり設定にしたとき、チェックアウト直前の位置でもスタート地点まで戻されるくらい風が強くなる。(当然走っても戻されていく)
  3. 泳ぐときに体が魚の骨になる
 上記のような状態を故意に設定できるようになり、よく遊んでいました。今となっては昔のゲームなのでバグを募集している攻略サイトもなく、ここに書き連ねさせていただきました。
寄稿:たぁちゃん 男 1979年生 埼玉育ち 学生


喧嘩の原因になるソフト

 一言で言うと喧嘩の原因になるソフトでした。それ以上にひたすら盛り上がりました。

 強いキャラを使って友だちをボコボコにするのも楽しかったのですが、弱いキャラ(いちじょう)で強いキャラ(りゅういち等)を勝ち抜き、格闘で倒す時の快感は爽快でした。

あまりにも盛り上がりすぎて、近所から「うるさい!」と、苦情がきたこともあります(笑)。「ハメ技は禁止」というルールを作ったにも関わらず、それをことごとく破って本気で友だちと喧嘩したこともありました。

 何だか本当に運動会をやっている気分でした。ただ、やたらと血の気の多い運動会でしたけど……(笑)。

寄稿:エニクス 男 1983年生 群馬育ち 会社員


友人に盗まれ売られた

 弟が親に買ってもらい、夢中でやってました。幼い弟が鬼のように強く、ものすごいムカつきながらやってたのを覚えてます(笑)。

 しかしそのソフトが、ある日突然なくなってしまいました。後日、僕の友だちがうちに来た際、だまって持って帰って、あまつさえ自分の物として、中古屋に売っぱらってしまったのだということが判明。僕と盗人友人の両親を巻き込んで、大変な事件になってしまいました。しかも、友人は開き直り、両親は平謝り状態。

 ちなみにソフトはお金になって戻ってきました。別の意味で思い出に残っているゲームです。

寄稿:ピーチャン 男 1981年生 埼玉育ち 販売業


毎日運動会

 小学校高学年のほとんど50%を、友だちの家でこれに費やしていました。もう毎日のように学校が終わったら、直行で大運動会、土日も大運動会、とにかく暇さえあれば運動会、という凄まじい生活で、「はぁ? またやるの?」と思いつつも、あの中毒性から抜け出せず、毎日運動会を開いてました。

 そしてまだ小学生だったので、これが始まると喧嘩になったり険悪なムードが漂ったりw、誰かと組んだり、裏切ったり、多い時は6人くらいが友人の家に集まり、ふたりずつでチームを組んでやってました。

 ともかくすべての競技が面白く、クロスカントリーなど名ばかりで、スタートダッシュの段階ですでに走ることなど放棄し、あたりは血の海という凄まじいものでした。また、玉割りやバトルロイヤルでは、弱いキャラは端のほうでアイテムを拾っては捨て、拾っては捨てて、点数をこっそり稼いでいました。もちろんバレたら、りゅういちの扇風脚で吹き飛ばされてました。

 私はたいてい連合を好んで使い、ゴダイ、ゴウダなどを主に使っていました。ゴウダの頭突きが、私の苦手なコバヤシやリュウイチ、リュウジの攻撃後の隙のタイミングで当たると何とも言えない快感でした。花園を使う人が極端に少なく、一番権力のある友だちが連邦を使っていましたw。これをプレーするとたいてい部屋が殺気立ち、今考えると、まさに子供の教育上よくない暴力ゲームの原点だった気がしますw

寄稿:neo2 男 1980年生 山口育ち 学生


すがたに神を見た

 このゲームにはメチャクチャ悔しい思い出がある。高2の時に友だち4人で対戦した時、熱血チームを使っていた友だちに3人が完敗したというものだ(ちなみに俺は連合チーム)。

 その友だちは、最初に「俺、すがた以外使わないから」と言い放った。なめやがってと思いながら始めたクロスカントリー。完走していたのはすがただけだった。障害部屋、暗闇になった瞬間に殴られ失格にさせられた。そこでも残ったのはすがただけ。

 次こそは、と玉割りに挑んだが、すがたは玉に目もくれず選手に突っ込んできた。競技間違ってっから! 結局玉を割ったのはすがただった。最終競技バトルロイヤル、俺はごだいを使い会場に木刀もあった。「勝てる!」と思った瞬間、ロケットパンチで一瞬で場外。結局すがたに勝てた奴は1人もいなかった。

 それから練習して何度も挑んだけど1回も勝てないままです。あのすがた君には神を見た気がする。

寄稿:ランラン 男 1983年生 北海道育ち 公務員


兄貴とのあのころを思い出す一本

 このカセットを持って、兄貴とよく友だちの家に行って遊んだ。うちではファミコンをやっていい時間が決まっていて、親はなかなかやらせてくれなかった。だから僕らはカセットを持って友だちの家に行っていたのだ。

 このカセットを持っていけば、たいていのやつはファミコンをやらせてくれた。それだけこのゲームは面白かった。みんなバトルロイヤルが大好きだった。思えばあの頃が、一番兄貴と仲が良かった。

 今では互いに別のところに住んでいて、もう4年は会ってない。このカセットを見ると、ふと兄貴とあの頃を思い出す。

寄稿:ドンちゃん 男 1982年生 学生


殴る・蹴る・投げる、何でもありの運動会

 私は友だちの影響でファミコンにハマり始めたのですが、その友だちが「おもしろいソフトがあるんだ」と私に言ってきて、出会ったのがこれでした。すぐにハマりました。

 このゲームは4つのチームで行う運動会なのですが、はっきり言って何でもありのゲームです。競技は4つで争われ、そのすべてで、殴る・蹴る・投げる、または道に落ちている武器などでタコ殴り、と様々なことができるのです。私はその友だちとやるといつもコンピュータキャラをボコボコにしていた記憶があります。キャラも個性的で、シリーズもののよさもここに出ていると思います。

 このソフトの制作会社のテクノスジャパンは現在では無くなってしまって少し残念ですが、最近では復刻版が出てうれしい限りです!!これからまたくにおくんブームが来てもらいたいです。

寄稿:チャペル 男 1985年生 新潟育ち 大学生


もう一度やりたいがどこにも売ってない

 小学5、6年のときに友達の家でプレーしてはまりました。当時金のない身分だったので、その友達に無理を言って借りたような覚えがあります。

 キャラクターによって能力が違い、個性が感じられたのが、はまった要因でしょうか。なかでも連合チームが好きでした。連合には、頭突きのごうだや棒術のごだい、ためぱんちのにしむらなど、必殺技が使える選手が多く、バトルロイヤルではいつもそれらの技を駆使して、友達率いる冷峰の選手たちをリング外へ落としてました。

  人気が高いせいか、今ではどこにいっても売ってません。残りの生涯のうち、もう一度やりたいです。

寄稿:フル 男 1984年生 北海道育ち 大学生


最弱キャラで勝ち残る快感

 運動会の競技である「徒競走」「障害物走」「玉割り」「バトルロイヤル(笑)」の得点をチーム毎に競う、熱血120%の大運動会です。登場キャラも熱血シリーズではお馴染みの「くにお」や「りき」はもちろん、「りゅういち」「りゅうじ」に「にしむら」などの名(迷)脇役も多数登場のオールキャストです。

 その中でもボクの一番のお気に入りキャラクターは熱血高校の「いちじょう」選手。体力は一番少ない140の最弱キャラです。でも、このゲームは見事な「ハメ」と「人を殴ったり、アイテムを拾ったり投げたりすると得点UP」の裏技で、どのチームでも優勝できます。

 だから、最後のバトルロイヤルに「いちじょう」「りき」「りゅういち」「ごだい」の一見無茶な戦いに挑み続けて、たまに「いちじょう」でも勝ち残ったりします。この最弱キャラで勝ち残るのがすごく好きでした。これは間違いなく「スポーツ+格闘」の先駆者的ゲームだったと思います。

寄稿:こーねりあす 男 1979年生 大阪育ち イベント会社勤務

あなたも思い出コラムを書いて送ってみませんか?