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ファイナルファンタジー ファイナルファンタジー
スクウェア
1987.12.18発売
©1987 SQUARE

すばらしいセンス

 私がプレーしたゲームの中で、職業選択の自由が与えられた最初のRPGでした。音楽、町並み、そしてキャラのグラフィック、どれをとってもすばらしいセンスだと今でも思います。

 あと、職業の組み合わせを考えるのが楽しいですね。最初は戦戦白黒というスタンダードな組み合わせでクリアしました。なにしろ戦士の安定性はずば抜けていますからね。(攻撃、守備共)

 ちなみにこのゲームは何回クリアしたかわかんないくらいやりこみました。名作っすね。

寄稿:スマウグ 男 1972年生 静岡育ち 会社員


あの時、私の居た地域で、自分だけだった

 当時は「ドラクエ2」が出て周囲の友だちが熱中していた頃。ひねくれ者だった私は、どうしても「ドラクエ」シリーズが好きになれませんでした。そんなとき、たまたま買ったファミコン雑誌で紹介されていたのがこれでした。

 記事を読んだだけで一発で惚れ込んでしまい、親に頼み込んでクリスマスプレゼントに買ってもらいました。自分の好みでパーティーを編成、ファミコンの限界に挑んだようなグラフィックに、感動的な音楽とあの衝撃は今でも忘れられません。

 その感動をどうしてもみんなに理解してもらおうと、必死に友だちに話したのに、誰も理解はしてくれず、哀しい思いをしました。

 今では、「あの時」「私の居た地域」で、『ファイナルファンタジー』のよさを理解できていたのは自分だけだったんだ、と妙な優越感にひたっています(笑)

寄稿:アイスブランド 男 1977年生 宮崎育ち 会社員


映画みたいな感動

 RPGをはじめてやったのがこの『ファイナルファンタジー』でした。とにかく面白く、最初に倒したボスがラスボスになるなんていう、前代未聞の発想がたまりませんでした。

 当時「ドラクエ」が全盛で、やってみてこんな面白いRPGなら続編が出ないかな、と思っていたら、念願の2が出てきて、ほどなく「ドラクエ」派と「FF」派に分かれました。もちろん私はFF派。

 ずいぶんと多くの人に「FF」を普及させたと思います。そしてゲームをやめるまでに、7までプレーしました。

 ゲームだから恥ずかしいのですが、映画みたいな感動をおぼえるゲーム……。「FF」シリーズの真骨頂でした。

寄稿:シトリントパーズ 男 1974年生 福岡育ち 会社員


たんきゅうって誰?

 ゲームを始めると、澄み切ったキレイな画面、高揚感が湧きあがってくる音楽に、当時小学6年生だった私は心を奪われ引き込まれました。

 このゲームで一番印象に残ってるのは、最初のボス「ガーランド」を倒した直後。王様が橋をかけて今まで行けなかった所にも足を延ばせるようになるのですが、橋を渡ると画面が切り替わってメッセージが流れ、そして映画のような情緒溢れるワンシーンに感動したものでした。

 そのメッセージに、「こうしてたんきゅうのたびがはじまった」というくだりがあるのですが、ゲームの容量の関係で漢字ではなく全文ひらがなだったため、「たんきゅう(=探求)」という意味が当時小学生の私はわからず、人の名前だと思い、「たんきゅうって誰?」と思ってました(笑)。

寄稿:冴子 女 1975年生 山口育ち フリーター


1,000円

 友人と一緒に近所のイトーヨーカドーに行った時のこと。「あ、このゲーム安いよ!」友人が見つけたのは、発売後間もない『ファイナルファンタジー』。しかも、1,000円。「安いから買おうよ」という理由で二人とも一本ずつ買った。実際やってみたら、1,000円じゃ安過ぎるほど面白い内容で、「お店の人は値段を間違えちゃったんだね」と勝手に思っていた。

 当時ハマっていたTRPG『Dungeons & Dragons』の世界観に影響されまくりの設定が、ドラクエよりもリアルに感じられて気に入った。また、天野喜孝さんの美麗な絵を元に再現されたモンスターも迫力があって好きになった。

 まさか1,000円で買ったこのゲームが、ここまでビッグタイトルに成長するなんて、当時の誰もが想像できないことだったんだろうな……。友だちも結局クリアしないで放置してたし(w

寄稿:NORIMITSU 男 1975年生 東京育ち ダンサー ホームページ


途上で友だちからの「返してくれ」コール

 このゲームは、友だちのすすめで借りてやりました。ドラクエなど多くのRPGはあれど、これだけ本格的でかつ、やりやすく引き込まれるゲームはないと思いました。

 ただ、セーブするデータがひとつしかなく、1人でしかできないのが不満でした。ようやく話ものってきて、火のカオス「マリリス」を倒そうと、グルグ火山をやっている途中に、友だちからの「返してくれ」コール。文句は言えなかったけど、ものすごく心残りでした。

 PS版もGBA版もやりましたが、音楽は特にファミコン版が良かったと思います。

寄稿:もよもと 男 1976年生 青森育ち 会社員


スクウェアの気合いと根性が伝わったゲーム

 今や、TVゲーム業界をリードする「スクウェア・エニックス」。このゲームが出た頃は、RPGといえばエニックス、そしてドラクエっていう時代だったと思います。私もドラクエ派の一人でした。

 そんな時代、私は友人の家で、この『ファイナルファンタジー』に出会いました。メーカーがスクウェアと聞いただけで、以前、『キングスナイト』というゲームでスクウェアによい印象を持てなかったことも手伝って、正直期待度0%でした。

 とりあえず、友人から借りてプレーすること30分……。「あれ? もうボスが出てきたぞ?」倒してみました。「弱っ! もう、終わり?」王様の元へ報告に行きました。新たな旅へ出るようです……。画面が変わり、4人の戦士のシルエットとともに、何やらエピローグのようなロールが流れました。「何これ? エンディング?」そして、また、フィールドに放り出された主人公たち。「何だ? ここから本編スタートか!? やられた!!」そのストーリーの構成で意表をつかれ、どっぷりはまってしまいました。

 このゲームのタイトルに“ファイナル”という言葉がついてるのは、スクウェアが、このゲームが売れなかったらスクウェアは倒産するしかない……という意味合いも込めていた、と以前何かの雑誌で読んだことがありました。まもなく12が出ようかというこのゲーム、スクウェアの気合いと根性がひしひしと伝わるいいゲームでした。

寄稿:ピチパラキング 男 1974年生 広島育ち 会社員


画像に頼らない想像力をかきたて

 初めてFFを買ったのはドラクエの後でした。どうみてもあの美麗なパッケージの絵じゃ、RPGだとは分からなかったからです。

 友人から聞いてさっそく買ってプレーして……敵が強い中、ようやく港街で船を入手して走り出した時の感動は、ドラクエにはないものがありましたね。さらに飛空艇の気持ちよさといったらないです。今のFFは「乗せてもらう」感じがちょっと寂しいですね。わくわくするような冒険は、画像に頼らない想像力をかきたて、ファンタジーな気がします。

 FF11も飛空挺乗れますが、やっぱり自分で高速で飛び回りたいものです。ファンタジーだったのがいつしかリアルになりすぎてしまった感じがして、冒険とファンタジーってそんなもんじゃないのになぁ、なんて。ファミコン時代のRPGは本当に冒険してました。

寄稿:だいりん 男 1974年生 千葉育ち フリーター


デンジャラスなセーブシステム

 プレステのFF7で、バハムートが宇宙からビームを発射するのを見た時、感動と一緒になぜかとてもさみしくなり、私のFFは終わったなぁ、と感じたものです。

 ドラクエがあって、そこに登場した『ファイナルファンタジー』。横並びのキャラクターが剣や杖を振り、魔法がアニメーションする! 船が空を飛ぶ!! 今の子どもたちには鼻で笑われそうですが、あのトキメキは今でも忘れられません。モンスターのグラフィックも、細かい部分がはっきりわからないところなんか(笑)、かえって天野さんの絵の雰囲気を伝えていたように思います。

 しかしこのソフト、セーブが一人ぶんしかできないうえに、宿屋に泊まると自動的にセーブされてしまうシステムのため、一人っ子以外の子供にとっては非常にデンジャラス。私も兄の友だちに上書きされたときには軽い殺意を覚えたのを思い出します。きっと全国の家庭で小さな不和のもととなったのではないでしょうか。

 そして時もゲームも流れ流れて、ねずみのしっぽの王様は召還され、幻獣神になり、キレイなCGではばたくわけですね。やっぱりちょっとさみしいのは、歳のせいですね。

寄稿:ザッハトルテ 女 1973年生 兵庫育ち 会社員


母さん・・・それは『ファイナル・ラップ』だよ

 このゲームには他の人にはない特別な思い入れがあります。ファミコン本体を手に入れたばかりの当時、ソフトを次々買えるような“おぼっちゃま君”じゃなかった僕は、もっぱら近くの電気屋さんでやってた、ソフトの貸し出しを利用していました。

 その時出会ったのが、このゲーム。美しいパッケージを見て一目惚れしました。それからというもの、返しては借り・・・という煩わしい日々が続きました。

 ある日、母親が「電気屋さんに行くけど借りてきてあげようか?」と話を持ちかけてきました。なんとありがたいお言葉。人生で一番慈悲深い母の姿を見た気がしました。 僕は「じゃあ、『ファイナルファンタジー』借りてきて!」と即答し、待つこと2時間。ついに母が帰ってきました。何時になくいい子でお留守番をしていた僕にとって待ちに待った一瞬。

 すでに準備万端、ファミコン本体の横で母の手からソフトを渡された途端、目に飛び込んできたもの。それは・・・『ファイナル・ラップ』。

 おしいよ、母さん・・・(涙)。幼少時代の苦い(?)思い出です。

寄稿:もっぴ 男 1978年生 愛知育ち ライター

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