『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ファミリートレーナーアスレチックワールド ファミリートレーナーアスレチックワールド
バンダイ
1986.11.12発売
©BANDAI 1986

母と一緒に遊んだ思い出

 家庭用ゲーム機の普及により、外で遊ぶことを忘れ、テレビの前で引きこもってしまった世代に生まれた自分。最近まで、「いい時代」に生まれたと思っていました。

 でも、親は自分のことをどう思っていたんだろう……? 子供の頃に親と遊んだ記憶が、ほとんど思い出せません。そんなこと考えるようになってしまった私は、随分と年をとりました。

 クリスマスにもらった、大きなプレゼント袋の中には「ファミリートレーナー」。大きなマットを敷いて、母と一緒に遊びました。外は凍えるような寒い日でした。大きな足音を立てながら、楽しそうに遊ぶ私の横には、いつも母がいたような気がします。

 しかし、その後RPGにハマり、コミュニケーションがなくなり、母と遊んだゲームは、結局「アスレチックワールド」が、最初で最後になってしまいました。それでも、高いお金を出して、色々なカセットを買ってくれたのは、なぜだったんだろう。黙って独りでゲームをする私を見て、何を思っただろう……。

 母も一緒に遊びたかったんじゃないのか。私はなんてバカな息子なんだ、と思うと涙が止まりませんでした。任天堂の名付けた「ファミリーコンピュータ」と言うネーミング。そこに込められた思いを、今になってやっと分かった気がします。

寄稿:dj-miyamo 男 1979年生 群馬育ち ホームページ


マットの操作性の悪さを終始ぼやき続けた父

 現在、「ダンスダンスレボリューション」なる足でパネルを踏み体を動かして遊ぶゲームがアーケードでは人気を集めているが、そのスタイルの元祖といえるゲームだったのではないかと思います。

 ファミコンに専用マットをつなげ、その上にのってマットのボタンを踏み遊ぶというこのゲーム。出不精だった父親が家にいながら体が動かせるというこのゲームを、発売日に偶然スーパーのおもちゃ売り場で発見し、一瞬にして衝動買いへ突っ走ったことを今でも覚えてます。

 ファミトレシリーズ第一弾で発売されたアスレチックワールドをマットと一緒に購入し、帰ると早速プレーしました。マットの操作性の悪さを終始ぼやき続けた父は、買った日以降二度とプレーはせず、結局僕が夢中になって飛び跳ねていました(笑)。当時、幼なごころに「マンション住まいの人は苦情がきてこのゲームはできないだろう」と思ったものでした。

寄稿:旨茶 男 1977年生 兵庫育ち 配達員 ホームページ

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