『思い出のファミコン』が本になりました
 

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SDガンダムワールド ガチャポン戦士 スクランブルウォーズ SDガンダムワールド ガチャポン戦士 スクランブルウォーズ
バンダイ
1987.11.20発売
©SOTSU AGENCY・SUNRISE ©SHINSEI 1989

コンピューターの思考時間に宿題を

 小学生時代、ファミっ子&ガンダム野郎という王道を突き進んでいた私にとって、このゲームとの出会いは必然でした。大好きなMSを操作できる喜びと、いかに自軍を勝利に導くかといった戦略性。正直、面白いにもほどがありました。

 しかしいざプレーしてみると、自軍フェーズが終了した後のコンピューターの思考時間があまりにも長い! 当時、この時間帯をどう乗り切るかが大問題でした。そして試行錯誤の結果、私は「コンピューターが考えている時間は宿題をやる!」という革命的手法を編み出しました。

 そうです。ファミっ子たちの永遠のテーマである“ゲームと勉強の両立”をついに完成させたのです。いつも宿題を忘れて先生に怒られていた私も、このゲームのおかげで、しっかりと宿題をする優等生になることができました。しかし、残念ながら(?)現在ではハードも高性能となり、待ち時間という存在すらなくなり、私の大発明も時代と共に廃れていきました。

 今でも目をつむれば、コンピューターの「カンガエテマース」の文字が目に浮かびます。

寄稿:GOU 男 1974年生 三重育ち 会社員 ホームページ


モビルスーツは操縦してこそ

 もともと80年代をガンダムの残り火で過ごした私にとって、SDガンダムの登場というのもすんなり受け入れられた。ガンダムが社会現象になった最中に「イイ大人」ではなかったので、オリジナル至上主義のような感覚もそんなになかったように思う。まあなんでもかんでもすぐにデフォルメしたがるのは日本人の悪い癖かもしれないが、当時の私にとってSDガンダムは「極めて身近にいたガンダム」なのであった。

 このゲームの評価したい点は、「戦闘が(1対1の)アクションである」ということに尽きる。劇中の言葉を借りるならば、「モビルスーツの性能が戦力の決定的差ではない」のだ。アクションが上手であれば、ザクでもガンダムを倒せるという感覚、これはまさに自分の手によるモビルスーツの操縦そのものであったのだ。

 現在でも「スーパーロボット大戦」や「Gジェネレーション」シリーズ等、このゲームを基盤とした名作は多いが、私にとっては、「友だちと戦闘できる」本作の方がよっぽどSDガンダムらしいゲームであると感じてならない。

寄稿:Peco 男 1979年生 兵庫育ち デザイナー

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