『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ギャラクシアン ギャラクシアン
ナムコ
1984.9.7発売
©1979 1984 NAMCO

当時、社会人1年生

 「ねぇ〜、兄ちゃん買おうよ〜〜。」当時中学生だった弟が、私と会うたびに言ってきた。私は、入社したての新社会人1年生。ファミコンの噂は聞いていたが、あまり興味なく過ごしていた。「そんなに面白いのか〜? ファミリーコンピュータって?」

 折しも年末商戦真っ盛りの12月某日、私は弟を若葉マークの愛車に同乗させ、商店街に行った。「ファミコン本体+ゲーム2本で販売します。」どこの玩具屋も、いわゆる“抱き合わせ販売”。「まーゲームも買うしな」と、躊躇せず購入した。『ギャラクシアン』『ゼビウス』当時で3万弱したと思う(高い!)。新人会社員には痛い出費、否、もースッカラカン!

 早速帰宅して接続開始、ところがなかなか画面が出なくて、なんだかんだで小一時間かかってようやく画面が出た。「うお〜〜〜ゲームセンターみたいじゃん!」しばし感動で呆然と画面を見る二人(笑)。かくしてゲームの日々が始まったのです。

寄稿:キャビン 男 1960年生 岡山育ち サラリーマン


完璧な移植に目は釘付け

 「ラジオはアメリカン」というラジオ番組をご存じだろうか? ゲームメーカーのナムコがスポンサーということで、現在30代後半のゲーム好きなら聴いたことがある人も多いと思う。

 ある週のこの番組内でこんなクイズが出された。「今度ナムコから発売される新しいゲームソフトは、何という機種に対応しているでしょう?」で、選択肢は、「1.カセットビジョン 2.FM7 3.ファミリーコンピュータ」というものだったと思う。

 当時、ゲーム機のソフトといったら本体の開発元が一緒に売り出すのが常識で、せいぜいパソコンに移植されるのがいいところだったため、私はハガキに迷うことなく「FM7」と書いて応募した。結果はもちろんハズレ。

 それから間もなく「ナムコット」ブランド第1弾として発売された『ギャラクシアン』は、その完璧な移植度で我々の目を釘付けにすると同時に、その後の任天堂の破竹の快進撃の礎となったことは間違いないと思う。サードパーティーという言葉を知る者さえほとんど無かった時代の話である・・・。

寄稿:多夢 男 1966年生 大分育ち サービス業 ホームページ

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