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ハイパースポーツ ハイパースポーツ
コナミ
1985.9.27発売
©1985 KONAMI

ハイパーショットがないまま

 ファミコン本体と同時に買ったソフトがこれでした。閉店間際に購入したので、ハイパーショットがないとプレーできないことを確認せず……。

 何より、ようやく手に入れたファミコン。小学生にとってはハイパーショットを買う2,000円がなく、カセットを入れてタイトル画面を見るだけの生活が続きました。

 その後、友だちから他のゲームを借りてプレーし、数ヵ月後にハイパーショットを購入し、やってみたのですが……。最初のクレー射撃のタイミングがまったく分からず挫折。数年後、久しぶりにやってみたら、なぜか高得点。思い出深いソフトです。

寄稿:なり 男 1976年生 新潟育ち 会社員


×印は許せない

 完璧主義者の友だちの大ボケを聞いて下さい。アーチェリーの競技では的に当たった箇所に×印が付きます。友だちはド真ん中に命中させました。スゲ〜と思ったのは言うまでもありません。ところが彼の反応は・・・。

 「なんや、ペケばっかりやんけ」といってリセットを押してやり直したのです。それからいくらやり直しても×印が付くので、遂にその友だちは怒ってあきらめてしまいました。

 あっけに取られて見てるだけの僕とキレまくっている彼。まっすぐな生き方の友だちには×という記号が許せなかったようです。コナミさんもこんな反応があるとは予想だにしなかったに違いありません・・・。

寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 戦略担当兼作家


時にはコントローラを本体に叩きつけたくなる

 まわりは『ハイパーオリンピック』なのに、私の所は『ハイパースポーツ』だった。

 やりこんだ末、ステージ1(クレー射撃)での私は、ゴルゴ13も真っ青になるほどの腕前になった。

 ステージ2(三段跳びは)はいかに早く連打できるかを研究。それこそ、指でこすることから定規を弾く作戦まで。そばには「シュウォッチ」を置いて常に連打。が、所詮はただの小学生。ファミコンロッキーのように連打できるわけもなく、大した記録は出せなかったように思う。

 ステージ3(アーチェリー)が当時私は最も好きだった。そして、ステージ4(高跳び)は最も嫌いだった。

 何気に隠しターゲットがあったりと、やりこみはできるが、少しでもミスるとコントローラを本体に叩きつけたくなる。実際に私は何度ぶつけたか分かりません。よく壊れなかったな。

寄稿:雪鷹 男 1979年生 宮崎育ち フリーター


第1種目のクレー射撃で挫折しかけた

 1985年のファミコン本体購入時に3本ほど付いてきたカセットのなかの1本。

 すでにゲーセン等で『ハイパーオリンピック』はプレー済みで、面白さも把握していた。が、期待していたような100m走や走り幅跳びなどの花形競技は入っていなかった。しかも、当時小2の私には第1種目のクレー射撃のクレーの意味すら わからず、ハイパーショットを前に途方に暮れていた。

 そんななか、ゲーム音痴の年子の妹が、このわけのわからん競技を奇跡的にクリアし、進むことに成功した。大層感心したのを覚えている。

 他にはアーチェリーに、3段跳び、走り高跳びといった一見メジャー競技があるのだが、クレー射撃で挫折したプレーヤーも多いのではないだろうか?

寄稿:こくおう 男 1977年生 福井育ち 会社員

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