いっき
サン電子
1985.11.28発売
©1985 SUNSOFT
父の気遣いで買ってもらった
私が小学校低学年だったころ、妹が肺炎で入院しており、父とふたりで夜お見舞いに行った帰り。その頃ちょうど、中古ゲームショップがお店を出しており、妹が入院してさびしいだろう、という気遣いなのかは分からないけれど、父に『いっき』を買ってもらいました。
妹が退院してふたりで遊んでいたのですが、中古ショップで買ったため説明書もなく、「いっき=農民一揆」ということが分かったのはだいぶ大人になってからでした。
そんななか、ふたりでお気に入りな遊び方がありました。それは幽霊みたいなのに取り付かれないようにギリギリのところでよける鬼ごっこのようなものでした。取り付かれたら必死でお地蔵さんのもとに向かい取り払ってもらうのも楽しかったです。あのスリルは後にも先にも『いっき』でしか味わっていません。
この思い出コラムの『いっき』欄を見て、幽霊=腰元だったのではと思い、約10年ぶりの新発見です。そういえば何年か前、深夜のゲーム番組で、伊集院光さんが選ぶクソゲー第3位が『いっき』で、クソゲーなのになんだか選んでもらってうれしかったのを覚えています。
寄稿:ほたて 女 1981年生 新潟育ち 会社員
「一揆」ではなく『いっき』という世界観
記念すべき初購入ソフトがこれ。本当は別のものが欲しかったのだが、あまりに勇ましいパッケージイラストを目にして、直前で乗り換えてしまった。
ただ、内容はあてがはずれたというか、いきなりだだっ広い田んぼだか畑だかに放り出されて、忍者と撃ち合いなのだからわけがわからない。しかも武器の鎌は勝手に飛んで行くし。
それでも2人同時プレーできるというのはありがたく、父や弟と一緒によく遊んだものだった。片方が腰元に捕まって動けなくなったらもう片方が援護したり、小判を取る枚数はちゃんと折半したりと、随分民主的だったことが思い出される。ヘタだった弟には分身や1UPアイテムもくれてやった。竹槍には誰も手を出さなかったのは言うまでもないが。
しかしなんといっても、たったの1人や2人で一揆と謳ったり、敵がお侍ではなく、忍者や腰元や幽霊だったり、殿様がその辺をウロチョロしていたりと、その妙な世界観が強烈で、なんだかんだと思い出深いゲームだ。
寄稿:KK 男 1976年生 愛知育ち 自営業
塀も壁も無視して一直線に向かってくる謎の女
不思議な感覚だったことはよく覚えている。当時、小学校低学年だったぼくは、農民一揆を舞台にしたゲームだったとはまったく知るよしもなく、ひたすら鎌を投げていた気がします。
一番理解に苦しんだのは、誰かが名付けた「ブッチュマン」という謎の刺客。塀も壁もまったく無視して一直線に向かってくる謎の女(そもそも女なのかどうか)。捕まったら最後、身動きが取れずにひたすらキスをされ続けているように見える。この刺客にいったいどれほど苦戦させられたか……。
ステージの肝心な箇所に必ず身を潜めている彼女は、いったいどこに雇われ、何のための彼女の出番なのか、と幼心に深い想像力をかきたててくれるキャラだった。アイテムのはずの「竹槍」。ゲットしてもまったく攻撃力が上がる気配はなく、友だちと競い合って先に竹槍をゲットした方が逆に形勢不利な状況に陥る、という理解不可能な武器であった。それこそ昭和の名作とでもいうような内容だったと記憶している。
総括すればクソゲーの部類であることは間違いないのだが、その想像力、世界観、操作性、どの部分をとっても、文句なしの素晴らしいソフトであったと思う。
寄稿:なんですとっ!! 男 1980年生 群馬育ち デザイナー
誕生日会で贈られて大喜びだった友だち
サン電子は歴史を舞台にしたゲームが多いと感じるのは気のせい? その歴史ゲーム群の第一作がこの『いっき』だったと記憶しています。それはさておき。
友だちの誕生日会でのこと。僕たちは思い思いのプレゼントを持って行きました。文房具のセットだったり、書物やサッカーボール(これは僕)だったり。みんなでワイワイ楽しんだ誕生日会、最後に友だちのお母さんからのプレゼントが『いっき』でした。
友だちは大喜びで、早速みんなでプレー! ゲームの内容自体は今ではよくあるシステムですが、メチャクチャ面白かったのを鮮明に覚えています。自分へのプレゼントなのに、全員にプレーさせてくれた優しいイイヤツです。
その友だちも今やカラオケ店の店長。タキシードがとてもよく似合います。僕たちはすっかり大人になってしまいました。でも彼のお母さんはあのころと少しも変わらず、今でもキレイなのがものすごく不思議です。
寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 戦略担当兼作家
「腰元」のこだわり
ファミコン黎明期、「ソフト=とても高価=おもしろくないわけがない!」という暗黙の公式が子供たちを支配していた時代にあって、初めて私が純粋に「はっきりいっておもろない」と感じたゲームでした。
農民一揆をモチーフに選んだ独特のセンスもさることながら、プレーヤーの移動速度を極端に下げる「腰元」の存在がなんともいえない脱力感を私に与えていたことを思い出します。
今では「パワーダウンしとるやんけ」と笑い飛ばせるパワーアップアイテム「竹やり」も、当時は友人と取り合いするくらいの最重要アイテムでしたねえ。
1年後、『東海道五十三次』でも、同じ役割(プレーヤーの移動速度を下げる)で「腰元」が登場していたのには笑いました。サン電子には「腰元」に謎のこだわりがあったのでしょうか・・・?
寄稿:糞芸大作戦 男 1977年生 京都育ち SE
クリスマスの朝、枕元のくつ下に『いっき』
小学生のいつだったかクリスマスの朝、期待のあまり明け方に起きた枕元のくつ下には『いっき』が・・・。
なぜ親が『いっき』を選んだのだろうか。今さら聞く気も起きないので永遠な謎だ(しかしいいセンスだ)。なぜか、『いっき』となら何本でもカセットを交換してくれた金持ちの友だちもいた。(買えば良かったのに)。
ホーミングする鎌、おにぎり拾い、使えない竹槍、気持ち悪い腰元、2面で殿様を捕まえてゲームクリア・・・。何もかもが滅茶苦茶だけど、心から「好きだ」と言えるゲームです。
寄稿:MYZ 男 1976年生 滋賀育ち グラフィックデザイナー
当時4歳の妹が「一緒にゲームしたい」と言ってきて
小学校高学年の頃、自宅で一人でファミコンをしていると、当時4歳だった妹が必ず、「わたしも一緒にゲームしたい」と言ってきました。「イヤだよ」などと言うと必ず泣き出し、やっかいなので、仕方なく付き合うことにしました。
運良く4歳児でも出来る単純なゲームが家にありました。それが『いっき』でした。ゲーム自体は単純明快で、幼い妹も喜んでプレーしていました。2人同時プレーで慣れてくると、妹は段々「がめつく」なって、僕が敵の忍者を倒している隙に小判を沢山獲って高得点をマークしていました。
最近中古ショップで「いっき」を見掛けると当時のことを思い出します。『いっき』しないと泣きやがって・・・。そんな妹ももう今年22歳になりました。
寄稿:たかゆき 男 1974年生 群馬育ち 会社員
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