『思い出のファミコン』が本になりました
 

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キン肉マン マッスルタッグマッチ キン肉マン マッスルタッグマッチ
バンダイ
1985.11.8発売
©YUDETAMAGO/SHUEISHA.NTV.TOEI ANIMATION 1985 BANDAI

再連載をファミコンで復活して欲しい

 ファミコン大好き少年でもあり、そしてキン肉マン大好き少年でもあったぼくが、このゲームを買わないわけがありません。

 発売日当日はディスカウントショップ「コロンボ」に電話して、「キン肉マンありますか? ……取っておいてください! ガチャン!」なんて無茶なお願いをして、一方的に電話を切り、「コロンボ」までテンパりながらチャリンコをこいだ覚えがあります。

 そしてその日からはマッスル三昧でした。いろいろ超人を試すなかで、最強だとぼくが思ったコンビは「テリーマン&ブロッケンJr.」のコンビでしたね。コンビ名をかってに「テリーブローズ」って安易に名付けてました。とにかく電気リングが好き過ぎて、友だちと対戦してた時は、お互い戦わずにロープに無駄にジャンプして遊んでました。要はロープ上で痺れている状態にし、痺れ終わったあとにジャンプすると、さらに高く飛べるような気がしてました。

 今、キン肉マンが連載復活しましたが、正義超人、悪魔超人、完璧超人の今の原作をモチーフに、マッスルタッグマッチで復活して欲しいものです。もちろん、ファミコンのカセットで(笑)

寄稿:てぷこだん 男 1971年生 東京育ち エンジニア


500円玉を貼り付けると

 キン肉マンが大好きでこのゲームを買った。やりこむために攻略本も入手。

 その攻略本の中には漫画も記載されており、その中でボタンの連打のしすぎで指が痛いという項目があった。そしてその対処方法として、コントローラーのABボタンの上に接着剤で500円玉を貼り付けると指が痛くないと書いてあったので、私は愚かにもそれに従い、500円玉を貼り付けてしまった。

 結果として単体でボタンを押すことができず、3歳年上の兄貴に袋叩きにあいました。今でもキン肉マンを見るとあの忌まわしい500円玉を思い出します。

寄稿:ちゅん 男 1978年生 神奈川育ち 会社経営


やられ役アシュラマン

 このゲームが発売された当時は、友人たちとなるべく同じゲームを買わないようにし、お互いに自分で買ったゲームを貸し借りしていました。それは、少しでも多くのゲームで遊ぶための協定でした。

 そんななか、このゲームが登場し「自分が買う」と名乗りを上げる友人たちを説き伏せて、なんとか購入する事に成功しました。その頃は『キン肉マン』が一大ブームだったので、みんな自分で買って練習し、誰よりも上手くなりたいと考えていたんです。

 協定に基づき、しばらく友人たちとカセットの交換をしていた時、残ったゲームの箱や説明書を見ていて、ふとあることに気がつきました。そこには数多くのイラストが印刷されているのですが、そのドコを見ても、アシュラマンが殴られていたり、ワザをかけられていたのです。

 戻ってきたカセットを見ても、やはりアシュラマンは殴られていました。悪役って大変だな。と感じた事を思い出しました(笑

寄稿:Champ 男 1971年生 東京育ち アニメーター


キン肉マンのゲームが出たということだけで満足

 「キン肉マンのゲームだ!」それだけで感動の一言でした。原作やキン消しにハマっていた私は、絶対買ってもらおうと心に決めました。その時はクリスマスで、わりとあっさり買ってもらうことができました。

 このゲームでは、ミート君からボールをもらうことで、キャラ固有の必殺技を出すことができるのですが、ちょうど私が原作を読み始めたときの試合で、印象深いキン肉マンとアシュラマンの必殺技が出しにくいのが残念でした。

 対戦できることもあり、友だちと対戦もしましたが、ブロッケンJr.だけは禁止でした。「ナチガス殺法」は、強いし、原作で出た覚えもなかったので、満場一致で禁止となりました(せいぜい3人ぐらいしかいませんでしたが)。

 マニアックにけちをつければ限がないですが、キン肉マンのゲームが出た、その事実だけで大満足でした。

寄稿:もよもと 男 1976年生 青森育ち 会社員


光るタマなしデスマッチ

 中学生の頃、ファミコン本体を手に入れてから初めて自分で買ったカセットが、この「キン肉マン」でした。当時はアニメもやっており(ジャンプは借り読み)、このカセットを持っている友だちが多かったのを記憶しています。

 手が6本ある、という理由だけで阿修羅マンが好きだった私は、飛び道具連発のブロッケンJr.、当たるとケガするテリーマン、自らが飛び道具と化してしまうウォーズマン、バッファローマン、ラーメンマンには目もくれず、ひたすら阿修羅マンでバトルする毎日でした。

 しかし、友だちは「強いから」という理由で飛び道具選手を使って襲ってきます。そこで考えたのが、「光るタマなしデスマッチ」。ミート君完全無視で、ひたすら取っ組み合い&蹴り&パンチでの応酬。普段、飛び道具なしで特訓していた私は、「ほぼ無敵状態」でした。キン肉マンでプレーしていたF君以外には……。

寄稿:阿寒湖まりも 男 1972年生 北海道育ち フリーライター


狭い部屋にみんなが群がる

 人気のキン肉マンだけあって、結構持っている友だちが多かった。でもある友だちのアパートで遊んだ記憶が一番思い出深い。その思い出について。

 かなり狭いアパートに住んでいる友だちがいて、たまたまそこに10人ぐらいが集まった。足の踏み場もないぐらいギュウギュウ詰めで座り、やったゲームがこのキン肉マン。友だちのファミコンはかなりガタが来ていて、ちょっとでも振動を加えるとすぐ止まってしまった。そのため本体の半径50センチ以内は進入禁止区域。そのルールが部屋を一層狭くしていた。

 プレーヤーの交代もすぐにはできず、最後は前に座った友達のアタマ越しにコントローラーを握ってたり。「おい、アタマ動かすなよ!!」とか、「アタマがかゆいねんけど、かいてもいい?」といった会話もありました。

 今ならそんな窮屈な思いをするなら他の遊びをするでしょうが、当時はそんな状況でもファミコンをしたかったんですね。やっぱファミコンってスゴいですわ。

寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 企画戦略部署


角丸加工が新鮮

 角丸加工が新鮮だったように記憶してます。当時はブロッケンJr.が流行ってましたが僕の最強コンビはバッファローマンとテリーマンでした。特にテリーマンが曲者で、相手がどんな状態でもブルドッキングヘッドロックで撃沈してしまいます。かなり強くなって50面くらいクリアしてたように記憶してます。アバウトなようでやりこむととても繊細な名作でした。

寄稿:ゼファーX 男 1974年生 埼玉育ち 会社員 ホームページ


ブロッケン禁止

 キン肉マン大好きな僕にはたまらん逸品。対戦はかなり熱いです。結局、ミート君の投げる光る玉を取ったモン勝ちなのですが、過剰な思い入れでそれをカバーして遊びまくりました。

 必殺技はもちろんのこと、常に各自声出して技を掛け合いましたね。「スクリュードライバー!!」とか。やられると「おわぁ〜」(キン肉マンのみ有効)とか。しかし、ブロッケンJr.の必殺技が毒ガスってのがいまだに納得できないです。それはオヤジのブロッケンマンの技だろ!

 あぁ僕の一番好きなブロッケン。TVだとグラサンかけて声も悪役のブロッケン。元は人間なのに、訳わからん頭の形状のブロッケン。振り返ってみると、戦績のパッとしないブロッケン。でもなぜか、女性人気が高いらしいブロッケン。そんなブロッケンですが、ゲームでは最強(最狂)なんで、僕らのローカルルールではすぐに使用禁止になりました・・・。

寄稿:E-AN-BUY 男 1974年生 静岡育ち Tシャツクリエイター ホームページ


キャラ決めの時点で激しい争い

 このゲームで友人と何度言い争いになったか分からない。まったくと言ってほど使えない、キン肉マンを始めとする投げ技系のキャラ。逆に、何が何でも取らないといけないブロッケンJr.やウォーズマン。

対戦をやった際に誰を使うかで試合が半分決まってしまうため、「電源オン→タイトル→キャラ決め→リセット」という流れがあった。当然、リセットした方もされた方も怒りが収まらず、試合そっちのけでヒートアップするのでした。とはいえ、他に遊ぶ物もないため、最後は何となく仲直りして対戦をして遊んでました。

寄稿:雪鷹 男 1979年生 宮崎育ち フリーター


「電気面」が大好き

 当時アニメが放映中だったこともあり、けっこうな人気だったこの作品。玩具屋のオヤジに「すぐ売り切れちゃうぞ!」と脅かされ、発売日にお店の前で開店を待った記憶があります。

 対戦モードで一勝一敗になると出現する「電気面」(なぜか周囲ではこう呼ばれていました)が大好きでした。ロープに電流が流れていてロープに触れるだけで「ビリビリ」という音とともに体力を消耗していくんですね。

 相手を突き飛ばしてビリビリ。必殺技が出せるのにフェイントでロープに押し込みビリビリ。うっかり自分でロープに触れちゃった!と思いきやそこからジャンプしての高角度ドロップキック。一勝一敗になるために、こっそりわざと負けちゃうくらい好きだったなー。

 「しかし電気の通ったリングでプロレスするなんてさすが超人だなー」なんて感心したもんですが。まさか数年後プロレスラー大仁田厚が実際に電流爆破マッチを行い、カリスマ的な人気を得ようとは・・・。

寄稿:宮本 太一 男 1976年生 神奈川育ち お買い物好き ホームページ

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