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マインドシーカー マインドシーカー
ナムコ
1989.4.18発売
©1989 NAMCO

破格のお値段で2度の再会

 最初にやったのは小5の時、友人Nの親戚が持ってきたものだった。一度プレーしたときの僕は、なぜか本気で衝撃を受けた。

 以来、そのゲーム(その時は名前を知らなかった)が気になって仕方がなかった。そんなある日、新しくできた中古ショップにて再会した。しかも400円と破格のお値段! 即購入して、超能力養成に毎日を費やした。そしてラストイベント、何十回と挑戦するもあえなく玉砕。Nはちゃっかり親戚から買い取り、「クリアをした」と自慢気にその詳細を言ってくれた。

 時は過ぎ、Nは高校を中退して音信不通、『マインドシーカー』も僕の記憶から消え去ってしまっていた。高校を卒業して浪人ライフを送っていたある日、中古ショップで当時よりも更に値下がりした200円の『マインドシーカー』を発見し、Nと共通の友人Mと共に、再びあの日の戦場におもむいた。

 レベルアップをするたびのキヨタ氏のありがたいお言葉を聞くにつれ、「Nはエンディングを見て何かを悟り、行方をくらませたのかも」という疑惑さえ持ちあがる。疑惑は根拠のない確信へと変わり、ラストイベントをクリアすればNの真相に近づけると信じ込んだ。

 深夜に奇声、儀式、神頼み(最早超能力関係ナシ)など、持てる限りの気力を振り絞りクリアすると、そのエンディングは、当時彼が言っていたものとはあまりにもかけ離れたものだった・・・。

寄稿:S/CROW 男 1982年生 滋賀育ち


恐るべき超能力一家

 二十歳くらいの頃だと思うが、友人宅で遊んでいた時、奇妙なファミコンソフトが積んであるのを発見した。「何コレ?」と聞くと、「それをやると超能力が身に付くんだよ」と返された。頭の中が「?」でいっぱいになった私はプレーを試みた。

 15分後、「つまんねー・・・っつーかゲームになってねーよ」と言ったところ、「バーカ、それはお前に超能力の素質が無いからだよ」と一笑に付された。「超能力養成ソフト」この怪しい響きの売り文句はその日以来私の心に深く刻まれた。

 私は「こんなの絶対クリアできねーだろ?」と思っていたが、その友人は「ウチは家族全員クリアしたよ」と涼しい顔で笑っていた。恐るべき超能力一家である・・・。

寄稿:Peco 男 1979年生 兵庫育ち デザイナー


エスパーキヨタ本人のひとこと

 私の母は、水商売の人だった。

 大阪の高級クラブで働いていたらしく、頻繁に「芸能人と飲んでいる」と言っては、寝てる私を電話で起こした。まだ子供の私は、大体の場合は眠いからといってすぐに電話を切って寝た。しかし、その日は違った。

 いつものように母から電話がかかってくる。私の自室の電話に、こんな時間にかけてくるのは母だけだ。

「・・・はい、もしもし中野です」
「あ、マサキかー? いまエスパーキヨタ君と飲んでるで!」

 一気に飛び起きた。『マインドシーカー』は、エスパーキヨタの指導で超能力を開花させるゲーム。どこで彼と飲んでいるかを聞き、服を着替え、ジャンパーのポケットに『マインドシーカー』のカートリッジをねじ込み、自転車に飛び乗った。普段なら10分はかかる道を、4分くらいで走り、梅田にある母の行きつけの店に走った。冬なのに、汗が流れている。

 店に飛び込むと、母が飲んでいる。隣にはキヨタ君。タバコの煙が立ち込め、オレンジ色の照明で薄暗く照らされた店内は、そのときの私には、あまりにも大人の世界だった。

「あ、マサキ、ほらエスパーキヨタ君」

 私はポケットから『マインドシーカー』を取り出し、水割りと灰皿が置かれたテーブルの上に出した。「ココにサインしてください!」気持ちよく飲んでいるときに、いきなり飛び込んできた子供にこんなことを言われてもさすがエスパー、キヨタ君は冷静にこう言った。

 「うわ、キミこんなゲーム買ったん?」

寄稿:中野 男 1976年生 大阪育ち ホームページ

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