『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ミネルバトンサーガ ラゴンの復活 ミネルバトンサーガ ラゴンの復活
タイトー
1987.10.23発売
©1987 TAITO

得がたい心の震えや胸のときめき

 小学5年から中学1年ぐらいまでの間、我が家にもファミコンがあり、「ドラクエ」だの「サラマンダ」だの、そう多くはないですが、いろんなゲームをやった思い出があります。

 心に染み入るストーリーの奥深さ、物語の豊かさは、少年だったという点を差し引いても、実に素敵なものがありました。あまり物事に感情移入しない自分でも、仲間との別れのシーンや、ともに戦い続けた傭兵の死といった場面で、家族に気づかれないよう、グスグスと泣いていたことがあります。

 「ミネルバ」の後も、「ドラクエ3」ほか、いろんなソフトを借り、あるいは買って遊びましたが、「ミネルバ」で味わったような、心の震えや胸のときめきは得られぬまま、やがてテレビゲームから離れ、現実の世界になじんでいきました。

 それからもう20年。僕も31歳です。ふと出張先の北陸のホテルでネットサーフィンしているうち、このサイトを見つけて懐かしさのあまり投稿した次第です。本でも映画でも友だちでもアニメでもゲームでも、心の内から「何か」に共感できる、限られた時代の限られた瞬間に出会えた良き思い出です。

寄稿:よちいさん 男 1975年生 東京育ち 会社員


音楽とともに脳裏に焼きついている

 数多くゲームをやって来たけれど、全機種通じて音楽をすぐ思い出せるのはこれだけです。特にフィールドとエンディング音楽。

 音楽とともに脳裏に浮かんで来るのは、力押しでは厳しかった戦闘、弾が序盤から終盤まで足りなかったこと。極めて単純なドット絵なのに薄気味悪かったダンジョン。ザコなのに強くて嫌らしい攻撃をするイドという敵の名前。さらに、傭兵にもちゃんとランクがあって愛着がわいたこと。今でも通用するぐらい練られていたセリフの端々。ラスボス丸薬がぶのみの思い出。

 クリアしてはじめて嬉しかったRPG。自分にとってファミコンの思い出と言えば、まずこれを抜きにしては語れません。ファミコンのタイトルの内容を思い出すとき、万華鏡を覗き込むような感慨を覚えますが、『ミネルバトンサーガ』は、そんななかでもひときわ光の粒のように輝いています。

寄稿:ガンランサー 女 1972年生 栃木育ち 派遣社員


「これ、クリアできないゲームなんだ、きっと」

 このゲーム、やりこみました。当時小学4年生、親父が酔っ払ってどこかでつかまされたこのゲーム。息子の僕の喜ぶ顔が見たかったのでしょうか。ハヤってるわけでもなんでもない、友だちも誰一人持っていないゲームでした。

 ゴルゴンの迷宮より先にどうしてもいけず、「これ、クリアできないゲームなんだ、きっと」と思い、それっきりでした。友だちは誰も知らないから攻略情報も無いし^^;

 思い出すなぁ……大魔導師を仲間にしたときの心強かったこと、当時のゲームにしてはモンスターがリアルに気持ち悪かったこと。

寄稿:ゼノン 男 1978年生 東京育ち 公務員


FF発売を前に3日で終わらせた

 このゲームは高3の時に発売されました。すでに進路が決定していた私は面白いゲームを探していました。ドラクエIIの発売までは3カ月ぐらいあるし、FFの第1作目発売までも時間がある。何かいいゲームはないかとお店に走って見つけたのが、この『ミネルバトンサーガ』でした。

 タイトーのRPGということで、ちょっと迷った(「ジャーヴァス」という、とんでもないゲームがあったので)けど、安売りしていたので思い切って買いました。でも、買って正解でした。これは、ドラクエタイプのコマンド選択式ではなく、アクションRPGでしたが、シナリオもなかなか凝った作りで大満足、傭兵システム(部下が勝手に闘ってくれる)も斬新でした。

 FFの発売がせまっていたこともあり、休日は1日に15時間以上もプレーして、3日で終わらせた記憶があります(ちなみに、FFは7日で終わらせました)。毎日テレビゲームをしていた、古き良き時代でした。

寄稿:南祭 男 1969年生 福岡育ち カメラマン

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