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燃えろ!! プロ野球 燃えろ!! プロ野球
ジャレコ
1987.6.26発売
©1987 JALECO

南海ホークスの思い出、今でも

 私はファミコン世代からすればだいぶ年配になってしまうかもしれません。「燃えプロ」初代版を中古で買ったのが31歳でした。

 私はこのゲームの言いようのない魅力にとりつかれ、仕事から帰ると毎晩ペナントレースを楽しみました。チームは南海ホークスです。12球団一弱くセッティングされていて、普通に戦うと全敗してしまうのです。しかし、投手を先発‐中継ぎ‐抑えとこまめに替え、打者は初回から代打を送り、ヒットエンドランなど多彩な攻撃で、135試合中85勝して優勝しました(半年かかりました)。

 優勝決定戦は、門田選手のサヨナラホームランという劇的なもので、さらにそのあと、球場内パレードが始まりました。私は感動のあまり、涙が止まらなくなりました。当時私は32歳、南海ホークスはすでにダイエーホークスとして福岡の球団になっていましたが、往年の黄金時代の感動を、自ら体験できて幸せに思います。

 最終戦までの全スコア、パスワードは今でもあり、今度また優勝パレードを味わおうと思っています。

寄稿:燃えプロ1号 男 1960年生 大阪育ち 会社員


中1で貸して卒業式に返してもらう

 「バントホームラン」「ファウルのあとはどこに投げてもストライク」「満塁で三振するとアホとヤジがとんでくる」といったネタは、当時でも格好の笑いの種になっていました。

 中1のとき同じ部活だったI君にこのゲームの話をしたところ、「やってみたい」と言ったので貸しました。その後I君が別の部活に移ったことや、1度も同じクラスにならなかったこともあって疎遠になり、私も「燃えプロ」を貸したことなどすっかり忘れていました。

 ところが中学の卒業式の日にI君が「燃えプロ」を返しにきたのです。ビックリしましたが、2年以上借りていたソフトをちゃんと返しにきたのが嬉かったです。いまでもソフトはちゃんと保管してあります。

寄稿:YTA 男 1977年生 神奈川育ち 会社員


持ち主よりもうまいヤツ

 小学校3年生の頃でしょうか。毎週土曜日は決まってみんな我が家に集まり、「燃えプロ」大会をひらいてました。

 当時クラスの木村君は、学校が終わると素早く自宅に帰り、私が家に着く頃にはすでに、人んちでファミコンを始めている不届きな奴でした。でもこの木村君、俗に言う「持ち主よりもうまいヤツ」でして、彼に負けるたびに、内心、「もう来んなよ」とつぶやいていたことをこの場を借りて謝罪します。ごめんなさい。

 このゲームでは、ランナーが三塁にいる際、キャッチャーにバックホームの指示をするとお手玉をするのですが、3度目になぜか二塁に悪送球をします。これを二遊間で捕らずにセンターに拾わせると、何と三塁ランナーがスタートをきるではありませんか。センターがバックホームすれば悠々と間に合うのですが、ランナーは委細構わず突っ込んでくるので、簡単にアウトをとることができます。

 これでホームランバッターにデッドボールを当て、上手く三塁に進ませればコンピューター戦は楽勝です。ただし条件によって乱闘を起こすクロマテには注意しましょう(笑)

 そういえばこのゲーム、カートリッジが赤と白の二種類ありますが、この違いは製造時期によるものなのでしょうか? 誰か教えて〜。

寄稿:濱 竜也 男 1977年生 栃木育ち 製薬関係


ペボー

 「ペボー!(プレイボール!)」ゲームスタートと同時に聞こえたこのコールに、思わず友人と「おおぉー」と感動したものです。

 バースならバントしてもホームラン、どういう訳か八木が超俊足、ファウルの後はどこに投げてもストライク・・・。今考えればめちゃくちゃなゲーム性ですが、だからこそ今でも語り継がれる「ある意味」名作なんでしょうね。

 先日友人の家で久々にプレーしてみましたが、開始早々大爆笑。「ペボー、ペボーだってぇ(笑)」

寄稿:katsu 男 1977年生 福島育ち 金融業


「カワトウ」だらけ

 このゲームには驚く裏ワザがあります! まず攻撃の時、バッテリー以外の先発選手全員に代打を送るのです。このとき内野手には外野の選手、外野手には内野の選手となるようにしましょう。これを1イニング以内に、しかも代打選手1人だけ残るようにして繰り返していきます。

 そして3アウトになると当然守備につくのですが、なんとバッテリーを除く7人の野手全員が、1人残った代打選手に変わってしまうのです! OGチームならキャッチャーも同じ選手にできるので、1番から8番まで「オウ」や「ミスタG」にすることもできます。

 こうなりゃ当然打ちまくりですが、1イニングにすべての代打を使った時点でかなりの得点になってますのであんまし意味ないか!? でも僕らは2プレイでお互いがこのワザを使って、そこからが本当の戦いといって対戦した記憶があります。あのころって、自分たちで勝手にルール作って楽しむ才能に満ちてたんですね。

 ちなみに僕は間違えて全員「カワトウ」になり、期待した破壊力が得られなかった苦い失敗があります・・・。

寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 企画戦略部署兼任営業担当


部活サボりの代償

 当時中学生だった私は、部活動(柔道部)をサボって、ゲームソフトも扱っている近所の本屋までこれを買いに行きました。ところが!不良品をつかまされてしまい、電源を入れると「プレ・・・」と言ったところで画面が七色にフリーズしてしまうのです。何度やり直してもダメ・・・。

 交換してもらうにも購入先の本屋は通っていた中学校の目の前を通るので、部活をサボっている私は見つかるのが怖くてとりあえず不良品であることを店に電話で伝え、皆が帰路にたどり着く夜7時過ぎ頃に交換しに行きました。

 しかし!策士策に溺れました。新しいソフトと交換してもらい自転車にまたがった瞬間、見覚えのあるマークII…。そう、柔道部顧問の先生の車です。先生は帰りに本屋に立ち寄ったのでした。その場は穏便に済んだのですが、やはりサボりの代償は高く、次の日の練習で生まれてはじめての血尿を出しました。燃えプロ=血尿、この図式は一生忘れられないでしょう…。

寄稿:湯原 健男 男 1973年生 茨城育ち


大人になると理解する、このゲームの面白さ

 このゲームが発売されてから16年。つい先日このゲームを300円でゲットし、久しぶりにプレーしてみた。

 任天堂のベースボールやナムコのファミスタなどと違い、妙にリアリズムを追及したゲームなんだなと感心する。守備陣の肩の強さだったり、送球や走者の速さなど。そしていかにも本物っぽいゲーム展開(3回オモテで2-0とか)。

 子供のころは、確かにスゴいゲームだったかもしれないけど、決して面白いゲームではなかったように思う。それは、ファミスタのようなポップ路線ではなく、あくまでリアリティ路線を重視した結果なのだろうと思う。それを証明するかのように、大人になってこのゲームをしていると肩に力が入りっぱなしで、負けていると妙に腹が立つ。本物の監督になった気分だ。

 今ではクソゲーと言われるこのゲームだが、私はファミコンのソフトの中で、一番真剣になれるゲームだと、大人になった今はじめて知った。

寄稿:スズヒロ 男 1975年生 静岡育ち コピーライター


バントでもスタンドインの超人プロ野球

 あれは、小3くらいだったでしょうか。プロ野球に対する認識もかなり形作られ、人間の持つ能力の限界もわかり始めたころでした。

 当時、ヤクルトのホーナーが、阪神のバースと並んで最強の外国人助っ人としてもてはやされていました。子供心にそのホーナーのバッティングを試したくなった私は、これを買った最初のゲームはヤクルトでプレーしました。そのホーナーのバッティングは、他の選手とは明らかに違う弾道を見せました。その後、バース、クロマティ、ポンセ、リーなどでも試しましたが、結果は同じでした。

 皆さんご存知のとおり、このゲームにおいてこの方たちは、バントでもスタンドインさせることができるような豪傑だったのです。このゲームのおかげで、プロ野球(人間がプレー)に対する間違った認識を抱いてしまいました。

 その後、このゲームの第二弾が出ましたが、かの豪傑たちのようなバッティングは完全に改善され、だれもが、ごく人間らしいバッティングになってしまっていました。このゲームは、あの未完成具合というか、超人プロ野球っぽいところが魅力だったと思います。

寄稿:ABTK 男 1978年生 福島育ち 大学院生

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