『思い出のファミコン』が本になりました
 

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MOTHER MOTHER
任天堂
1989.7.27発売
©1989 SHIGESATO ITOI/Nintendo

いつかクリアしたい夢を追いかけて

 小学生の頃、友だちに借りて電源をつけたら、独特の音楽と地球が画面に映ったことを鮮明に覚えています。実は、マザーのこの1作目は、クリアしないまま友人に返してしまいました。(たし女の子を仲間にしたあたりで断念した)

 その後、マザー2、3とプレーしてクリアすればするほど、1作目への思いは募るばかり。そんな時、ゲームボーイアドバンスでマザー1・2が発売されて、すぐに購入。ネットでの攻略サイトを見ながらクリアしました。

 主人公の名前を入れるときのBGM、いいですよね。いつか自分もあんな冒険をしてみたい、と思いながら主人公と同じ色の帽子をかぶって友だちと遊びました。やはり昔のゲームのほうが、変に凝ってなくてストレートでいいな、と思います。

寄稿:ふり 男 1979年生 埼玉育ち 小学校教諭


のんびりまったりとプレーしたい

 明らかにほかのRPGとは違う世界観、それだけで当時、ゲームの視野が狭い自分を引き込ませるのは容易なことだったんじゃないかと今では思います。

 “戦闘”はあるのに“死”は決して無いこと、アメリカの無駄に広大なマップを好きに移動しながら浸れる“自由感”、仲間とさっぱりとした会話しかないのに、最後の方になると「やっぱり一緒に冒険してきたんだよなぁ」と思わせるものがあったり、そして何よりもクスリと笑わせてくれる様々な会話や、いきなり住民から状態異常にさせられるようなドッキリなど(笑)

 レベルや時間の制限を付けてプレーするよりも、のんびりまったりとプレーするほうがいいと後になって気付かされます。物語に複雑なものないからこそ、このゲームは自分がただ楽しみたいというプレイヤーほど、新鮮に思わせるものがありますよ。

ちなみに個人的に、主人公「ドラえもん」、おとこのこ「のびたくん」、おんなのこ「しずかちゃん」、おにいさん「ジャイアン」、好きな食べ物「どらやき」にしてもおもしろいですよ(笑)

寄稿:neo 男 福岡育ち 学生


レンタル屋で借りていた友人と

 「ギーグを倒すには十分なレベルのはずなんだけどなぁ。」なにかの予備知識があるものの、友人はまだエンディングまでたどりつけないでいた。

 夏休みを利用してすでに遠くへ転校してしまった彼の家に外泊していたのだけど、正直いって所持しているカセットには驚いた。なぜならほどんどが最新ものばかりであったからである。

 なんでも近くにカセットのレンタル屋があり、そこから借りているというのであった。レンタルでRPGをするとは忙しないなと思いつつも、彼は返却期限が迫っているこの赤いカセットはなんとしてもクリアしたいと力説した。

 顔に生傷が絶えなかった彼は父親と折り合いが悪かったのだが、新天地では母親と二人っきりで暮らしているようだった。家具もまばらなアパートの暮らしぶりからも察せられるように、彼はいつも家で一人きりで過ごすことが多かったようだ。いつものごとく夕飯も行き付けらしいラーメン屋へ一緒に食べにいった。

 夜も更けてきたころ、延々とそのホーリーローリーマウンテンからの行程を見ていたが、ずっと戦わずに防御してたらどうかと助言を行った。数分後、彼は新しい何かを発見したと声を上げ、その日のうちにエンディングを迎えることとなった。

 学校が始まって数ヵ月後、心の芯に何かが残ったままであったのだろう、このカセットを偶然にクラスの友人が持っていることを知り、その日からこの物語を始めることにした。好きな料理を入力してくださいと語りかけてくるテレビ画面にいったい何と入力したのだろうかと、彼のことがふと頭によぎった。

寄稿:ムルソー 男 1976年生 北海道育ち IT業界


贅沢なファミコン音楽

 剣と魔法のファンタジー路線から、フライパンと超能力の欧米風路線を作り上げたゲームは、当時考えたりもしてなく驚嘆と感嘆でした。

 広大なフィールドは29型テレビに換算して東京ドーム3個分の広さです。他のRPGとはスケールが違います(^^) そして、本当によく歩かされます。でも不思議と苦痛ではなく、むしろ歩きたいと思えます。グラフィックの色彩が綺麗で、「次はどんな世界が待ってるんだろう?」と歩けば歩くほど心がわくわくします。

 サウンドもまた一曲一曲がよくできてます、矩形波でEギター音に近い音を鳴らせ、ピッチベンドをやったり、エイトメロディースは美麗な音色で小学校の音楽の教科書にも載るほど、バラエティー豊かな曲群です。

 ファミコンサウンドで人の心を共鳴に結びつけることはよっぽどの作曲者でないとできないと思っています。3和音とWノイズΔMをフルに使い込んだサウンドは、贅沢なファミコン音楽として、聞き入れ側のユーザーをすぐに『MOTHER』の世界へ引き込むことができると思います。

寄稿:アキラ 男 1980年生 千葉育ち ネット関連


いろいろ斬新

 「最後(エンディング)まで泣くんじゃない。」というキャッチコピー(監修:糸井重里)が印象的だったCMの本作品を買ったのは、小6の夏でした。今でもそうですが、とても怖がりだった私にとって、最初に襲ってくるキューピーや、無人の工場や動物園(無論敵は出てくる)は、かくも恐ろしいものかと唸ったものです。

 このゲームの斬新なところは、「倒した敵がお金を落とす」のではなく、「父親があとでお金を振り込んでくれる」ことではないでしょうか? ま、お金を持った野良犬がいるわけないし、錯乱しているとはいえ、現金を持ったおじさんにバットを持った少年が襲いかかるというのもどうかとは思いますが……。

 記憶が正しければ、熊よりもおばさんの方が強かったはずです。「かいしんのいちげき」にあたるスマッシュは、やたら頻繁にでてましたねぇ。街と外との境がないのも『ヘラクレスの栄光』以来でしたが、あっちは世界観が狭く感じたのに較べて、こちらは全然違和感なかったですね。

寄稿:濱 竜也 男 1977年生 栃木育ち 製薬関係


思い出の「いちごどうふ」

 ドラクエと同じくらい、いや、それ以上に思い出に残っているのが『MOTHER』。スーパーファミコンの続編、IIもやりこみました。

 子どもが冒険をするというところにとても親近感を覚え、どこか懐かしいところを常に感じさせてくれた『MOTHER』。エンディングの優しい曲が耳から離れない方もとても多いと思います。大人になった今も、私は時々口ずさんでしまうメロディーです。

 ゲーム中盤での重要アイテム「いちごどうふ」。小学生ながらに、「どんな味がするんだろう? でも、きっと美味いに違いない♪」と勝手に想像をとてもとても大きく膨らませていました。いまだに私は「きっと美味いんだろうなぁ」と思い続けています(笑)。

寄稿:みっつー 男 1979年生 岩手育ち 社会人


6畳一間のルームメイトだった

 発売当時、地元を離れて東京の学校で寮に入っていました。6畳一間のお世辞にもきれいとは言えない部屋で、あるものと言えば生活用品くらいでしたが、その中にルームメイトのファミコンがありました。

 すでにRPGがいくつかありましたが、どれもファンタジーもので自分には馴染めない世界でした。しかし、この世界はちょっとアメリカっぽく洒落ていますが、「どこかにある街」のような気がしたし、主人公も普通の少年、友だちも周りにいる雰囲気があり、武器や敵までも身近に感じました。

 そんな仲間との旅が楽しくないわけはなく、すぐに夢中になり「次はどんな街だろう」とワクワクしながら遊びました。終盤になり、いよいよ終わりが近くなったときはなんだか寂しかった記憶があります。

 これと2のソフトは大切に持っています(本体がないので、遊ぶことはできませんが)。GBA版ですが、今でも時々あのころに旅しています。

寄稿:まさ 男 1970年生 宮崎育ち 会社員


とことん感情移入させられた

 とにかくキャラクター達が生きている。そう感じずにはいられないゲームです。

 主人公はどこにでもいる少年。そこにも感情移入させられました。そして町の人たちが、機械的に「ここは○○の村です」みたいな感じではなく、本当に話しかけてくるみたいなんです。敵キャラも一部、宇宙人とかロボットとか出てきますが、大部分は犬とかお兄さんとか(笑)。変なキャラが出てくるたびに大笑いしていました。

 でも一カ所だけ、トラウマなところがあったりします。中盤、幽霊屋敷に行かなくてはならないのですが、そこがかなり不気味。音楽も画面もオドロオドロしくて、ビクビクしながらやっていました。っとそこへエンカウント、「血まみれゾンビがあらわれた!」、僕「・・・・・・!!!!!(半泣)」。今思うと何のことない敵キャラなのですが、当時は死ぬほどビビりました。

 このゲーム、自分の中では五指にはいるほど大大大好きです。オカリナも笛で吹けますし(笑)。でも、ツッコミどころもある。後半になってセーブしようとパパに電話すると、パパ「お前の口座に25,000ドル振り込んでおいたからね。大事に使いなさい」こんなパパ、僕も欲しいです。

寄稿:ひろスィ〜 男 1981年生 埼玉育ち 大学生


GBA版『MOTHER1+2』で再確認した、子供から大人まで楽しめる懐の深さ

 このゲームは心に残る名作である。ゲーム自体の内容ももちろん素晴らしいのだが、パッケージや攻略本を含めたデザインワークスも素晴らしかった。

 敵キャラも個性豊かで愛嬌があり、なかでも私はスターマンが好きだった。小学校の図画工作の時間に、「紙粘土でポーズをつけた人間を作りなさい」と先生に言われてスターマンを製作し、なんとそのまま市のコンクールに出品されてしまったという笑えるエピソードも懐かしい(スターマンは胸に星形のバッジを付けているため、先生は警察官と勘違いしたらしい)。

 当時の思い出をもう一度味わおうと、GBA版『MOTHER1+2』を買い直してみたが、自分が大人になったからこそ分かる演出というものもあり、改めてこのゲームの面白さを再確認した。子供から大人まで幅広く楽しめるというのは、ゲームにとって最大の誉め言葉だと思った。

寄稿:Peco 男 1979年生 兵庫育ち デザイナー


親近感のあるゲーム

 剣と魔法の世界などの憧れの世界ではなく、自分たち自身の空間を等身大で感じさせてくれたゲームでした。登場人物たちはちょっと特殊だけど、本当にどこにでもいそうな少年少女たちで、妙な親近感を覚えたものです。男なら誰でもバットを剣に見立てて構えたことの一度や二度必ずありますから。

 そして、このゲームは何よりサウンドがいい! 仲間を得た後のワクワク感そのままのサウンド、電車に乗ってる時のサウンドの見知らぬ地への期待に胸膨らむ感じ、オープニングの地球とは何かと妙に考えさせられる落ち着く旋律など。今聞いても胸が熱くなります。

寄稿:新星 男 1985年生 群馬育ち 大学生


羨むほど妹が惚れ込んだソフト

 私や弟ほど、ファミコン(特にRPG)に関心を示さなかった妹が、唯一絶賛してやりこんだソフト。買ってもらったのは私で、他のゲームの片手間にちょこちょこ進めていたのだが、妹はこれ一本を猿のようにプレーしていた。なもんだから知識も凄い。

 私がプレーし始めると必ず横に座って、ああだこうだと口を出す。あそこにペンシルロケットがあるだの、このバッチを装備するとビームをはじき返すだの、もはやMOTHER研究家と化した妹の存在によって、まったく攻略本いらずの状況だった。

 当時は戦争や戦いといった殺し合いを題材としたものが主流だったRPG。それに対して『MOTHER』では、まさに自分と等身大の主人公が日常生活の中で小さな冒険を楽しんでいた。牧歌的雰囲気の漂うフィールドと、耳に優しくも美しい音楽の数々は新鮮だったし、思わずニヤッするような隠し要素が各所にちりばめられていて、プレーするたびに別の発見があるのも驚きだった。確かに女の子が感情移入しやすいゲームだったとは思う。

 我ら3兄弟も今や全員20歳を超え、ファミコン本体もとうの昔に処分してしまったが、大学生になった妹は『MOTHER』だけは今でも自分の机の中にしまっている。そこまで愛好するゲームを持つことができた妹が、今は少々羨ましく思う。

寄稿:yuusuke 男 1978年生 東京育ち 地方公務員


大人になった今もう一度プレーしみたい

 小学生高学年の頃、初めて自分で貯めたお金で買いました。当時の月のお小遣いは500円です。

 小学生の頃の懐かしい記憶、少し色気づき始めた頃に出会ったソフト。ストーリーの面白さ、今までのファミコンとは少し趣の違った音楽に少し大人の世界を垣間見たような気がしました。少年の出会う様々な出来事、少女との淡く静かな恋のダンス、全てが当時の私にすばらしい感動を与えてくれました。

 ゲームはファミコン時代で卒業していた私ですが、最近ファミコンを購入しました。まだマザーは手に入らないのですが、大人になった今もう一度プレーしみたいソフトです。

寄稿:深川 大樹 男 1978年生 熊本育ち 経営コンサルタント


当時私は5歳、くじけず進めたゲーム

 あの赤い箱をひかれて買ってしまった。発売日から数年たって買った。当時は5歳ぐらいで、あの黒いオープニング画面で私は何か恐怖を感じたゲームだった。

 序盤はいきなり電気スタンドが動き、私は泣いてしまった。でも、くじけずに進んだ。あんなに恐怖を感じるのに、その先をやりたくて。

 ピッピを連れ戻す途中、暗い部屋で、いきなりゾンビがおそいかかり、また泣いてしまった。数日後、ロボットにやれらたり、歌うサボテンに歌を教わったり。

 遂にギーグと出会い、戦闘でまた、恐怖を感じた。くじけずに歌を歌いまくって、ようやく倒した。エンディングは感動だった。思い出があるソフトでした。

寄稿:みっく 男 1988年生 愛知育ち 学生 ホームページ

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