『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ぺんぎんくんウォーズ ぺんぎんくんウォーズ
アスキー
1985.12.25発売
©1985 ASCII

“木村”のハンコ

 市内デパートのおもちゃ売り場、ではなく、売り場そばのエスカレーターあたりにワゴンセールで売られていたこのソフト。

 まだ小学生だった当時、親にねだって買ってもらうことに。ワゴンの所にいた背広姿の青年は、おもむろにソフトの箱の内側に「木村」のシャチハタをポンと押した。なぜそんなことをしたのかわからなかったが、さして気にもせず家路に着いた。

 強敵のビーバーもノーミスで倒すほどにやりこみ、しばらくしてからとある中古店に売ることにした。「箱・説明書つきだから100円プラスだな。」ところが店は箱の買取りを拒否。特に痛んでいないのになぜ、と抗議すると店員が一言。「いや、この“木村”のハンコがね。」シャチハタの朱色の印が、買取不可条件の「箱の汚れ」になるという。内側だからのぞき込まないと見えない、と言っても駄目。

 ……結局50円損。青年が転売防止のためにシャチハタを押したことに初めて気がついた。「木村、コラァ〜ッ。」その場にいない青年への怒りを木村印の箱にぶつけ、ビリビリに引き裂いた。大人って汚いと思った小学生のあの日(笑)。

寄稿:50円 男 1977年生 北海道育ち 会社員


もっと接近しましょ/石川秀美

 このゲームのBGMに「もっと接近しましょ/石川秀美」が使用されていることは世に広く知られている事実(?)であり、当時おマセさんだった僕は、こまめに歌番組をチェックしていたため、「♪もっと接近しましょ、貴方と二人〜」・・・と、原曲を口ずさみながらプレーしたものです。

 ボールを当てられるたびにケラケラ笑うコアラに対し、コントローラを圧し折ってやりたい怒りを覚えたこと数知れず。その鬱憤を晴らすべく、毎回犠牲になってくれたボーナスステージのモグラたちよ、安らかに。

寄稿:淳 / ハローブリッヂ 男 1978年生 神奈川育ち システムエンジニア ホームページ


かわいい顔して姑息な手

 妹が、『おにゃんこタウン』に次いで買った数少ないゲームの一つだ。 反抗期間近のボクは、「ぺんぎんくん」に全く魅力を感じなかったが、やってみるとこれが難しい。かわいい顔した動物キャラたちが、いやらしい姑息な手の限りを尽くしてくるギャップに闘志が燃えた。

2P対戦では、喧嘩しながら妹とやったのもいい思い出だ。ゲームで当時を思い出せるのもなんだかいいもんですね。

寄稿:こくおう 男 1977年生 福井育ち 会社員


簡単なルールなのに燃えてた

 僕はファミコンを買ってもらえるのが遅く、小学校高学年になってからだったと思う。本体+ディスクシステム(恐らく中古)と、ソフトは『グラディウス』と『ぺんぎんくんウォーズ』だった。

 お互い5つずつ持つボールを投げ合い、自分の手もとの玉がなくなると勝ち。簡単なルールなのに燃えて遊んでいた。角度を付けて投げてみたり、わざと向かってくるボールに当ててみたり・・・かなり真剣に戦っているのに、ボールが当ったときなどはコミカルに痺れている。

 それをみて母がよく笑っていました。今思うと面白いソフトだったなぁと思い返しています。

寄稿:TOMI 男 1976年生 佐賀育ち 公務員


連打・連打・連打

 とにかくボタンの連打・連打・連打だった。ボールをつかむのも、投げるのも、ボールを当てられて立ち直るためにも、ボタン連打が続くこのゲーム。あえて連射機能付きコントローラーに頼らず、1ゲーム終わるごとに頭がクラっと熱くなっていたことを思い出す。

 キャラクターは動物だったので、多少の可愛げがあったが、唯一キライな動物キャラがいた。コアラだ。ひとたびボールを当てられ、立ち直る間に、ペンギン(自分がプレーするキャラ)を狙ってボールを投げてくるのだ。あの卑怯さは本当に頭にきた。逆に当てて倒れている時には仕返しとばかりに投げてやった。

 あと、残り時間が少なくなってくると、光るブーメラン状の障害物が出現するのだが、それにボールが当たると、妙にスピードが付く。それに当たって倒れ、ゲームオーバーになったことが何度あったか。ましてその相手がコアラだったら、とてもやりきれない気持ちになった。

寄稿:47418 1976年生 東京育ち ホームページ

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