『思い出のファミコン』が本になりました
 

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プーヤン プーヤン
ハドソン
1985.9.20発売
©1985 KONAMI HUDSON SOFT

いちばんの宝物

 私はこのゲームを中二の秋に、親から誕生日に買ってもらいました。毎日のように、朝学校に行く前と学校から帰ってから、1時間以上熱中していたし、ストレス解消になったのが、今でも忘れられません。

 当時はファミコンのカセットが12本あって、この『プーヤン』がいちばんの宝物になりましたし、いちばん面白かったです。今でもたまにこのゲームをやると、けっこう楽しめます。当時熱中していた懐かしい思い出が今も心に残るこの1本です。

寄稿:ときわ 男 1971年生 北海道育ち パート


父、なぜ『プーヤン』

 忘れもしない。ゲームなんぞ絶対に買ってくれなかった父が唯一買ってくれたゲームだから。

 1985年の9月、スーパマリオを発売日のおもちゃ売り場店先で父にねだる。しかし、買ってくれない。次の週、同じ店でまたねだる。そりゃ必死で。もちろん、買ってくれません。

 その日、あまりにイジケて晩飯も食べず部屋に閉じこもっていたら、父が、「わかった。明日買っきてやる」の声。そりゃうれしかったですよ。

 で、買ってきてくれたのが『プーヤン』。どこをどう見ても『プーヤン』。カセット白いし、いいゲームでしたよ。母の唯一理解できた、アクションゲームでした。

寄稿:べら 男 1973年生 愛知育ち システム管理


クラス一頭の良い少女もやっていた

 小学生の頃、ファミコンはやはり男の遊びだった。教室でもあまり話題にならなかった『プーヤン』だが、なぜか自分は熱中していて、日々「骨付き肉の風船連続割り」「矢の垂直落下風船割り」などの技に精進していた。

 ある日、クラス一頭の良い少女がわれらファミっ子の「いけにえ」となった。

「おまえファミコンなんてやったことないだろー」
 皆がわいわいはやし立てる。だが答えは意外なものだった。
「えー、あるよー」
「うそつけー。じゃあ何やったんだよ。いってみろよー」
 まるで魔女狩りである。

 その後の会話は記憶にないが、その子がポツリとつぶやいた「プーヤン…」と、そのタイトル画面の「狼の遠吠え」の響きは今も耳に残っている。

寄稿:あり 男 1975年生 東京育ち 公務員 ホームページ

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