ポートピア連続殺人事件
エニックス
1985.11.29発売
©1985 ARMOR PROJECT/CHUNSOFT/ENIX
不器用な父の精一杯のコミュニケーション
何の前触れもなく仕事を終えた父が、「ゲーム買いに行くか?」と二人で歩いて、今はSATYになりましたが当時はニチイと呼ばれていたデパートへ行きました。以前からファミコン情報誌でポートピアのパルの画像が気になっていて(それだけが購入理由)買ってもらいました。
先日この話を母へしたら、「お父さんができる精一杯のコミュニケーションだったのよ」と仕事で留守がちな不器用な父親像がありました。
今は私も2児の父ですが同じように不器用なんだろうなと日々思っています。
寄稿:コンピュータ嘘つかない 男 1975年生 埼玉育ち 会社員
みんなが使ったクラスの秀才の方眼紙マップ
小6当時、クラスの大半がスーマリに熱狂しているなか、「ボス!」「なんだ山さん!」と掛け合いながらプレーしてました。
画期的な3Dダンジョン! 難易度が高すぎでしたが、クラスの秀才だった今井君が方眼紙でマップを作ってくれてクリアしたのを覚えています。僕らより少し遅れて、ほかの男子もポートピアの面白さに目覚めて、そのたび今井君のマップが使われたのでした。
余談ですが、最初の捜査本部でヤスを300回叩けば自首するってホント?
寄稿:ゆうすけ 男 1973年生 北海道育ち 工場長
15年以上後に判明した犯人に衝撃
小学校1年ぐらいの頃に、姉が友だちと一緒にこれをプレーしていたのをずっと横で見てたのですが、さっぱり何をやっているのかも解らず、ただ、誰が犯人なのかを探しているんだろうな、と思っていた程度でした。学校でもこのソフトが話題になることはあまりありませんでした。当時の私たちにしては、ちょっと難しすぎたのでしょうか。
そして、このストーリーの結末を結局知ることもないまま15年以上の歳月が流れ、21歳の頃、何を思ったか私は突如、今こそ誰が犯人なのかを自分の目で確かめてみる時だと思い、今度は自分でプレーしてみたのです。
……まさか、あの人だったとは……。15年以上抱き続けていた疑問が解消したのはよしとして、あまりにも想像を絶する結末だったので、もの凄いショックを受けました。想像していたより15年の歳月は長かったようです。
そしてそれと同時に、堀井雄二氏の偉大さをあらためて痛感しました。「だからドラクエも面白いんやなぁ〜」と、すべてを知った今、しみじみ思います。
寄稿:tama 女 1979年生 大阪育ち グラフィックデザイナー
「ファミコン神拳」との抱き合わせ
あー、懐かしい。これははまったなあ。何度クリアしたことか。みんなどうやってクリアしたんだろう?
なんか当時、少年ジャンプ連載の「ファミコン神拳」との抱き合わせだったようなイメージがある。とにかく「ファミコン神拳」にのってた攻略法なしではとてもクリアできた気がしません。地下迷宮(?)で左右向いて壁叩きまわったんでしょうか? みなさんまったくの自力でクリアできたんでしょうか?
寄稿:ryo 男 1975年生 神奈川育ち 自由人
ストーリーを無視した横道に価値がある
ファミコン初のアドベンチャーゲームだった本作、事件の進行や意外などんでん返しもさることながら、それ以上に楽しめたのが「ストーリーを無視した横道」だ。ムシメガネで太陽を見たり、リカちゃん電話にかけてみたり、おこいのいる新劇(ヌード小屋)で家族の目を気にしつつ「うぷぷっ」と言ったり。
僕らのこうした遊び心に見事答えてくれる設定は、今考えてもよくできたものだと思う。かつてパソコン版の『サラダの国のトマト姫』をやったときにはこんな横道は用意されてなく、アドベンチャーとは正解への道をひた走るものだと思っていた。
決して「サラトマ」が悪いというわけではないが、ゲームの中にも「遊び」の要素をふんだんに取り入れたこのポートピアは、当時の誰もが新鮮さを覚えたはずだ。どんな横道に行ったかを友達とよく競ったものだ。ストーリー展開意外の楽しみを与えてくれるゲームはこれ以外に数えるしかない。今もって名作だと断言できる!
でも、ヌード小屋の様子はテロップだけで、画面上にでなかったのが何とも心残りではあるが…。
寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 戦略担当兼作家
夜寝てから下校するまでまで電源入れっぱなし
ハマりました。かなりハマりました。全く鳴らないBGM、かと思いきや、思い出したように鳴り響くSE。その静寂感たるや、地下ダンジョンで壁に当たった時の「ドンッ!」の音で、ビビリまくる始末。
セーブ機能が無いために、ひとたび謎解きに詰まれば、電源入れっぱなしでその夜は寝て、次の日、学校から帰るまでそのまんま・・・と、いうことが何日か続いたことを覚えています。
当時、3Dタイプのダンジョンなんて、ゲームでもあまり見たことが無く、その時はじめてマップをメモに取りながらゲームをするという技能を身に付けました。しかしそのおかげで、あの地下ダンジョンの謎が解けた時から、わたしは3Dダンジョンを見たら、「マップを書かずにはいられない病」が発病するようになりました。
寄稿:ピチパラキング 男 1974年生 広島育ち 会社員
テレビをつけずにポートピアをクリアしたつわもの
このゲームを、神のようにやりこんだ友人がいた。
今では名前も思い出せない、そんな昔の友人だ。名前は確か高橋。かっ君とあだ名で呼んでいたから下の名前は知らない。団地の同じ棟に住んでいた。彼は6階、僕は7階。そういう、周辺のことばかり覚えてる。記憶のドーナツ化現象だ。
かっ君のポートピアやりこみは、とんでもなかった。異常ともいえるやりこみだった。当時、他に遊びが少なかったからかもしれないが、とにかく今考えても異常だ。
彼は、テレビをつけずに、ポートピアをクリアした。あの『ポートピア連続殺人事件』を、テレビ画面を見ないでクリアできたのだ。理解できないやり込みだ。
「ホンマにできてるんかいな!」
そう言うと、かっ君は少し待てといって、しばらくコントローラーを操作する。
「今、太陽を虫眼鏡で見てるとこやで」
テレビをつける。そのとおりだった。ヤスが怒っている。
「今、もんすたあさぷらいずどゆう」
テレビをつける。そのとおりだった。ダンジョンの中、メッセージが表示されている。
彼の頭の中がどうなっていたのか、未だに理解できないが、とにかく彼は、ファミコンのスイッチだけを入れて、ポートピアをクリアした。
15年以上会っていない。顔も思い出せない。ただ、その事実だけが鮮明に記憶に残っている。顔の無い彼はいまも私の中で生きている。
これを読んで思い当たった高橋さんは、淀川区のマー君の事を思い出して欲しい。そう、リバーサイドの35号棟7階に住んでいたマー君だ。かっ君、久しぶりやなぁ。今もポートピアはクリアできるん?
アドベンチャー黎明期の名作
当時、小学生だった私はマイコン(PC-88やMSX等)が憧れでした。ファミコンのいわゆるアクション全開なゲームではなく、当時のマイコンはアドベンチャーが主流で、その味わったことのないジャンルに非常に興味を抱いていた頃・・・。
突然出たんですね、『ポートピア連続殺人事件』。速攻でお小遣い貯めて買いました。音楽が無く突然の効果音が非常に効果的で、シンプルなグラフィックも当時としては遜色ないできだったと思います。そして神戸を中心にいろんな舞台へ進むと、本当に自分がそこへ行ってるかのようでした。
小学生低学年だった私にはエンディングまでたどり着くのが非常に難しく、友人と徹夜していて、明け方頃にエンディングを迎えた時には本当に感動しました。
寄稿:ジェミ吉 男 1975年生 兵庫育ち
「ファミコンは1日1時間」の約束を忘れて遊んだ作品
サウンドは簡単なSEだけだし、グラフィックも粗いドット絵なんですが、それで余計に恐怖感を煽られるって部分があって、殺人現場のシルエットとかが頭に焼き付いてトイレに行くのが恐かったのを覚えてます(笑)。
読解力が皆無に等しかった小学生当時は、犯人が「あの人」というだけで「突拍子のない話」だったのですが、いま再びやってみたら、ちゃんと納得のいく話で、さすがは堀井雄二!ってところでしょうか。自分の行動に対してフラグもキチっと立ってくれるしファミコン初のADVでこの完成度は驚異的だと思います。(唯一セーブ機能が無いのがなんとも残念!)
ところで小学生の当時、全国約半数の小学生同様、「ファミコンは1日1時間」と母に決められていたわけですが(笑)、ファミコンをやる上で一番の敵であった母をも巻き込んで唯一何時間もやったのがこの作品だったりします。その結果テレビの画面が焼けちゃって、またすぐに敵になってしまったのですが(苦笑)。
寄稿:オクダカク 男 197X年生 大阪育ち ファミコン小市民代表 ホームページ
⇒あなたも思い出コラムを書いて送ってみませんか?
|