『思い出のファミコン』が本になりました
 

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さんまの名探偵 さんまの名探偵
ナムコ
1987.4.2発売
©1987 NAMCO

やっさんのボートは定規で圧勝

 ファミコンを持ってなかった私は、10歳年上のいとこの家に入り浸って黙々とやってました。いとこは新婚で嫁姑問題で微妙な空気の漂う茶の間でしたが、まったく気にせずひたすらゲームしてました。

 やはりやっさんのボートにはかなり苦戦させられ、ボートだけで何日もかかりました……。そんなある日、いとこに「ボートをクリアしなくても先に進めたよ」と言われてすごく喜んだのですが、まさかそんなわけもなく、さらに数日かかりました。

 結局、定規をボタンの上に置いてリズムよくペチペチたたくと連打できるという技を覚え、ビックリするくらいの圧勝をできた時は感動ものでした。

 今でもボートやギャラクシガニに夢中になっていたのは思い出せるのですが、エンディングがどうだったかが思い出せないんですよね。ちなみに私が通ったいとこ夫妻は離婚というエンディングを迎えましたが……私が原因じゃなかったことを祈ります。

寄稿:さるばん 男 1974年生 岐阜育ち 不動産業


ボートレースはホリコマンダーで

 私がこのゲームと出会ったのは、誕生日プレゼントだった。誕生日に親から電話で欲しいゲームをきかれ、他に目当てのゲームがあるのにも関わらず、ちょうど店頭からこのゲームのデモが電話越しに聞こえて、思わず即決でこのゲームを買うよう頼みました。

 それまでアクションゲームばかりだったので戸惑いもありましたが、ミニゲームが結構面白くてはまりました。しかしボートレースだけは、連打がうまくいかなくてホリコマンダーに頼りました。謎解きもなかなか難しく、中盤が進められず何ヵ月か放置しましたが、再度挑戦して無事クリア。

 音楽も場面によってジトジト緊張するところもあり、時折見せるさんまの強張った表情もグッドでした。

寄稿:シルバ 男 会社員 ホームページ


ぶんちん、生きてるじゃん

 懐かしい思い出のゲーム。小学生にはなかなか難しく、ひとつ上の姉とふたりで知恵を出し合ってやった。

 さんまに呼ばれる愛称が、名前の前二文字に「ちゃん」付けだったため、「2文字で面白い名前は?」と考え、私たちのつけた名前は「くそあほ」だった……。当時の考えは理解できない。

 さて、このゲームでの一番の思い出といえば、やっぱり「ぶんちん」のことだろう。私たちは芸人さんにまったく詳しくなく、登場人物の中には、知らないキャラも半分くらいいた。「ぶんちん」もそのうちの一人である。

 今でも忘れられない、あの衝撃。テレビで『はなきんデータランド』を観た私たち。「この人、ぶんちんに似てるね」と指したその人が、まさしく「ぶんちん」という名前だったとき!私たちは叫んだ。「生きてるじゃん!」……当たり前だ。

 ミニゲームに泣き、ひとつわかっては大喜びし、クリアしたときのあの感動は今も胸に残っている。推理ものジャンルでこれを超えるものはない、と私は今でもそう思っている。

寄稿:くそちゃん 女 1977年生 東京育ち


姉貴と連打でやすしをぶっちぎり

 歳の離れた姉貴とは、喧嘩もしなければ会話もあまりなかった。しかし、このゲームは実在の有名人がドラマのように登場することもあって、姉貴がプレーするオレの横でよく見ていた。

 そんななか、鬼門のやすし氏ボートレースでどうにも勝てないオレを見兼ねた姉貴が、「あたしがAボタンを連打するからあなたはBを連打しなさい」と突然言ってきた。オレはきょとんとした。

 姉弟2人で小さいコントローラーに取り付き、一心不乱にひたすら連打!連打!! ふと顔を上げると、画面にはぶっちぎりでゴールするさんま艇の姿があった。

 くだらないことなんだろうが、あの姉弟勝利の思い出は今でも色濃く残っている。今オレは転職で全国を転々としているが、あのやさしい姉貴は元気だろうか……。

寄稿:はぐれバブルスライム 男 1980年生 宮城育ち 会社員


難しかったけど楽しかった

 なつかしいなぁ。このゲームは忘れもしない中学の時、最後の部屋でどうしたらいいかわからず、友だちふたりと部活をサボって3人で、昼の1時から夕方までかかってクリアしました。(真犯人この人でええの?って思いました)

 ほかにも、「やっさんのボートレースの時、連打ボタンを足の土踏まずでうまいこと踏んだら自分のボートがあっというまにゴールできる」なんて、今考えたらウソ丸出しの攻略法を信じて実行したり(もちろんボロ負けしました)、オール巨人さんの家のガスメーターが回ってて居留守が発見できたり、冷蔵庫にネタ本が凍らせて隠してあったり、太平サブローシローさんに(どっちだったかな?)ごはんおごったり、その後殴って情報吐かせたり(笑)、難しかったけど楽しかった思い出があります。

 最後にマップ上で東京に行くときに、さんまさんを新幹線に乗せた時の、BGMに合ったように首を左右に振る動きが今でも忘れられません。

寄稿:vanity.blue-tear0124 男 1978年生 兵庫育ち 会社員


女友だちが集まってはこのゲームを

 小学5年生だったかなぁ。当時は女の子でファミコン持ってる子ってあんまりいなかったから、持っていた私の家に5、6人で集まってはこのソフトをやった覚えがあります。

 今思うと笑えるんだけど、ひとつひとつの効果音(何かヒントが見つかったときとか)が怖くて怖くて。(^^; 伸助さんが殺されちゃうシーンとか、当時の私にはかなりショックだったし、流れていた音楽が怖かったんだよな〜。今またできればやりたいなー。でも多分極度の怖がりはなおっていないので、一人ではできないと思います(>o<)

寄稿:まいまい 女 1976年生 新潟育ち 専業主婦


「ギャラクシガニ」が妙に上達

 現在では「名探偵」といえば「コナン」だが、それが「さんま」だった時代もあったなあ〜。

 吉本芸人フェチだった当時の私にとっては「文珍師匠が殺害!?」「やっさんとボート!?」など、もう悶絶感涙モノのシチュエーションの連続でした。名前を入れるとニックネームで呼んでくれるのがなんともいえない味を出していて良かったと思います。

 純粋にアドベンチャーゲームとしてのできも良く、つまったときの救済措置として「ギャラクシガニ」が用意されているのも当時としては新鮮でした。つまることが多かったため、クリアするころには「ギャラクシガニ」が妙に上達してました。

 でもやはりすごいのは20年近く経過した今でも、登場人物のほとんどが依然ブラウン管に露出しているところでしょうか。当時の吉本興業の状況を知る上でも良い資料にもなると思います。

寄稿:糞芸大作戦 男 1977年生 京都育ち SE


役立たずのさんまコマンド

 今になってみれば、すでにどんなふうに進むかわかってるのであまりに簡単なゲームですが、小学校の頃、僕らの周りでは『たけしの挑戦状』と並ぶ2大クリアできないものとして有名すぎました。

 特に温泉の出し方にはとてつもなく苦労した覚えがあります。それにしてもこのときのさんまさんはただついてきているだけで、あまりに役に立たない。コマンドのところにある「さんまコマンド」は困ったときに頼るというものなのだが、たいがいは人になすりつけず自分で考えろみたいな発言なのだ。

 「殴る」コマンド選択。さんま「殴るったって誰もおらんで」。おれが殴りたいのはあんただよ!! 行き詰まってさんまコマンドも役に立たないとき、いつもやる行動でした・・・。

寄稿:クラウド 男 1978年生 岐阜育ち インストラクター


ミニゲームにかなり必死

 謎解きもさることながら、登場するキャラもおもしろく、かなり親しみを持てるいいゲームだ。PSソフト『ナイナイの迷探偵』でも『さんまの名探偵』がちょこっと出てくるくらいだ。

 ミニゲームも多く、かなり必死でクリアを目指していたことを思い出す。競艇での連射は顔を真っ赤にしつつ勝ったり、レオタードを脱がせるために「ぜんまいネズミ」を間一髪よけたり。真剣にトランプに取り組んだり・・・まぁいろいろそれぞれに思い出があるわけである。

 それらとは全く関係なく、ゲームセンターの「ギャラクシーカニ」(インベーダーゲームのパクリ?)に挑戦するもなかなかクリアに至らず(勝てばヒントをくれる)、結局それには全く頼らずクリアをする。最後は少々しんみりさせてくれたりと、いろいろ考えさせられた。

寄稿:47418 1976年生 東京育ち ホームページ


今でならギャラいくら?の豪華出演者陣

 何度プレーしたか覚えてないくらいはまりました。小さい頃の自分には全く持って理解不能の作品。そして、物心ついてふとファミコンを取り出したとき、一気に世界が変わりました。特筆すべき点はなんと言っても出演者の豪華さ。

 主役を張るのは明石家さんまさん。殺されたのは文珍師匠。その他に今いくよくるよ、太平サブローシロー、オール阪神巨人、島田紳助、西川のりお、横山ヤスシ・・・今作ったらギャラだけでいくらかかるんでしょう?

 最終的にはクリアするまでのタイムアタックをしたりして、30分くらいでできるようになった覚えがあります。エンディングを見るという概念が不足していたこの時代、かなり作りこまれた作品ではないでしょうか?

寄稿:羅理恵 男 1980年生 静岡育ち 営業


ピンポン玉でボタンをこする連射

 ファミコンのゲームの特徴といえば、今では考えられないほど「連射」というのが避けられない重要な要素になっていたこと。これに泣かされたなんて人も多かったはずです。僕にとってこの『さんまの名探偵』は、そんな連射で苦労したゲームのひとつでした。

 推理の途中、例の独特な口調で現れる「やすし師匠」。なぜだか衝撃の出会いの後に繰り広げられるボートレース。やっさんとの勝負に勝たないと推理に関する情報が得られないから、さあ大変。連射機能のついたコントローラを持ってない僕にはこれが大問題だったのです。

 まずは普通に連射。高橋名人じゃあるまいし、これには限界があります。あえなく敗北・・・。次に爪でこすりながらボタンを押す方法。いい線まではいくんですけど、これも指に走る激痛のため断念。一体どうすれば・・・?

 そして編み出した最終奥義が、「ピンポン玉でボタンをこする」テクニック。「ダダダダ・・・」と連打し、やっさんのボートに僅差で勝利!! 「やったぁ、勝ったぞ!! クリアだ!!」と、本編を忘れてゲームをクリアしたかのような達成感に浸るのでありました。

寄稿:もっぴ 男 1978年生 愛知育ち ライター


ピューマのしっぽ、グルングルン

 10歳そこらの私がどうしてこのゲームを買ったのか、今となっては、その経緯が分からない。オープニングでゲームをスタートさせないと、ちょっと不協和音な音楽と共に、文珍師匠が殺されたシーンになったような記憶がある。私より4つほど幼い弟には相当なショックだったらしくおびえていた。懐かしい。

 ピューマのしっぽ、グルングルン回したな。のりお師匠が高飛びや、みたいなことも言ってたっけな。大好きなゲーム。今もう一度やりたい。

寄稿:FDPN 女 1977年生 大阪育ち OL


「はんこうせいめい」=何かの生命体?

 これをプレーしたときは小学校3年生くらいだったような記憶がある。友人と協力して話を進め、結構後半にさしかかった頃、誰かの部屋の前に積まれた新聞の束の中から「はんこうせいめい」を発見!!

 今にして思えば「ああ、犯行声明ね。」で済むのだが、当時小3だった私には、「はんこうせいめい」の意味がわからず、何かの生命体じゃない?とか適当に友人に言ったりしていた。ああ頭悪い・・・。

 その後、イスを回す仕掛けに気づかず延々3時間プレイするハメに・・・。苦労したなあ。

寄稿:Peco 男 1979年生 兵庫育ち デザイナー


電気メーターで居留守かどうか判る、という発見

 記念すべき人生最初のファミコンとの出会いがこれでした。今は亡きやすし師匠とのボートレースで、弟もろとも指の皮がずるむけました。憎かったよ、師匠。で、ゲームでは吉本のトップの人たちがポコポコ死ぬ。いいのかそれで、誰も文句言わないのか、と当時はハラハラしました。

 つい先日、ゲーム類を整理したのですが、他のファミコンソフトは箱も説明書も残ってませんでしたが、これだけは綺麗に保存されていました。何だかちょっと泣けました。

 あと、私はこれで、電気メーターを見れば居留守かどうか判る、という知識を身に付けました。何の役にも立ってないけど。

寄稿:アッシュ 女 1975年生 埼玉育ち 吟遊詩人


「大阪人のセンス」が問われる

 べたで申し訳ないが、まさに大阪人のセンスを詰め込んだソフトだった。だが、見かけの親しみやすさとは裏腹に、非常に難解かつトリッキーな仕掛けの数々に、私達母子は犯人にたどり着くまでに5年以上の月日を費やしてしまった。真面目な小学生だった僕に、それはあまりに難しすぎた。

 サブロー・シロー、いくよ・くるよ、オール阪神・巨人、桂文珍、西川のりお、島田紳助、やすし師匠などの、上方を代表する豪華キャスト。このゲームに必要なのは奇抜な発想、まさに「大阪人のセンス」が問われているのである。

 仕掛けの内容を書きたいところではあるが、それでは面白さが無くなってしまうので、興味のある方は是非「あほ」になってプレーしていただきたい。下手なロールプレイングゲームより遥かに面白いはずだ。

寄稿:Kenichiro 男 1983年生 大阪育ち 大学生

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