『思い出のファミコン』が本になりました
 

思い出のファミコン_トップへ


スーパーマリオブラザーズ2 スーパーマリオブラザーズ2
任天堂
1986.6.3発売
©1986 Nintendo

お金の尊さを覚えた憧れのゲーム

 このゲームは、『スーパーマリオブラザーズ』にはまった私にとって、あこがれのゲームでした。日々スーパーマリオを楽しむ中、ハイレベルな難易度のスーパーマリオをやりたいと、ただ憧れたものでした。

 なぜうちになかったのか、それはディスクシステムでしかできなかったからなのです……。ファミコンは買ってもらえたものの、ディスクシステムとなると、私もねだるにも言いづらく、友だちの家で少しだけやらせてもらうだけでした。ルイージでプレーすることによる感覚の変化、ジャンプ台などギミックの数々で難易度があがっても、やっぱりスーパーマリオ。憧れましたねぇ。

 ある日、親戚のおじさんにディスクシステムの話をしました。その時、おじさんは断るでもなく、そこから持ってけと、カップラーメンの容器に入った小銭を指さしました。たしかにそこには、ディスクシステムも買えてしまうほどの小銭が入っていました。しかし……私はそれを使うことはできませんでした。そのお金が、日々少しずつ積もり積もってここにあることを感じ、私の望みなどちっぽけなものなのだと思いました。

 私の中では『スーパーマリオブラザーズ2』は、今でも憧れのゲームです。お金を貯めることの尊さを覚えた、違う意味で印象的なゲームです。ちなみに私はお金を貯められていませんw

寄稿:もよもと 男 1976年生 青森育ち 会社員


キノコの色がわからない!

 このゲームは私の友だちの家にありました。その子の家にはファミコン専用に古いテレビがあり、好きなだけプレーできたんです。

 しかし、そのテレビはなんと白黒テレビ! 「スーマリ2」の難易度が格段にあがります!! キノコの色がわからないのです。なのでチビマリオ状態できのこを取るのは命がけでした。

 とる前に、生きるか死ぬか、緊張しながらとり、「ピロリ♪ピロリ♪ピロリ♪」と大きくなると「おぉ!」と安堵のため息と歓声があがりました。

 なつかしいな、その友だちと時にはお兄さんと3人で遊んだ思い出が詰まったソフトです。

寄稿:みよたん 女 1975年生 東京育ち 主婦


「スーパーマリオブラザーズ ツゥー」

 CMがとても印象に残っています。確か、任天堂の他のCM(スーパーマリオやスパルタンX)もそうだったような気がしますが、内海賢二さんの声(Dr.スランプの則巻センベエやドラゴンボールの天下一武道会のアナウンサーの声の人)で、「スーパーマリオブラザーズ ツゥー」というセリフが今でも心に残っています。

寄稿:ミハル・ラトキエ 男 1975年生 長野育ち 無職


現実逃避してた時のプレーでクリア

 このゲームをやってたのは小学校の時で、お金持ちの友だちの家に弟と行っては、友だちそっちのけでやったものであります。

 なぜかそのころは、ドラクエ等のRPG派と、マリオ等のアクション派に必ず分かれていたんですよね。それで、変に仲悪くなったりと。うちは雑食でしたけど。

 実は最近これを1日に2時間と空けず2回続けてクリアしました。6年前ですけど、国家試験前にかなり精神的に追い詰められて、友だちの部屋でファミコンやりまくって現実逃避してたらクリアしてしまいました。いや、受かったから良かったけれど。昔は自力でクッパと出会ったりできなかったんですけどね。追い詰められると人間何するかわかりませんね。

 ちょっと前にも、仕事で疲れてた時、PCで海賊版?女体のマリオのゲームしました。

 なんだか辛い思いをしてる時しかやってない感じですが、また絶対やりたいゲームです。たぶん実家では本体捨てられているでしょうが。

寄稿:マス 女 1978年生 山形育ち 医療関係


硬派なイメージを持った異色の作品

 「マリオ2」は異端児だ。ディスクシステムというハードで生まれた「スーパーマリオ」の2作目。この作品には、他の作品には継承されなかったシステムがたくさんあった。毒キノコ、風、逆ワープ、キャラによる操作性の違い・・・。そして、圧倒的なまでの難易度。しかしその高い難易度を攻略するため、私は何度となく、挑戦した。

 ルイージを殺すこと数百回、ついにクリアしたときの感動は忘れられない。そしてパラレルワールドへの旅。それだけではない、全ステージをクリアすることで開ける9面。「マリオ2」は、長い、非常に長い楽しみを与えてくれた。

 なるほど確かに、「マリオ2」は他の作品とは明らかに違う、硬派なイメージを持った異色の作品かもしれない。でも私は、そんな「マリオ2」が大好きだ。願わくば、「マリオアドバンス5」では「マリオ2」をそのままの形で復刻して欲しいものだ。

寄稿:GASP 男 1979年生 京都育ち 会社員 ホームページ


巨大コントローラーを使って2人1組で

 夏休みのある日、近所のデパートへ友達と『スーパーマリオブラザーズ2』の大会に出かけました。ところが僕達の目の前に現れた光景は、大画面モニターに映し出されたタイトル画面と、幅1.5メートルはあろうかという巨大コントローラー! 

 なんとこの大会は、その巨大コントローラーを使って、2人1組で、方向キー担当とA/Bボタン担当に分かれて、「足」でプレーするという無茶苦茶な大会でした。

 ほとんどのコンビが開始数秒でゲームオーバーのなか、僕らも例外ではなく、マイキャラが『ルイージ』だったため、Bダッシュしようものなら文字通り死ぬまで止まらず、巨大コントローラー上で2人呆然としていました。

寄稿:とおる 男 1973年生 福島育ち 会社員


努力して究めることで到達出来る高み

 私がこのゲームを初めて知ったのはCMでした。当時、初代スーパーマリオに多少飽きが来ていた折、CMで目撃してしまった、空中ブロック渡りポールつかみに、パタパタ甲らジャンプ。その衝撃の高難度プレーに、幼い私の中に熱いものがこみ上げて来たのです。

 そしてスーパーマリオ2をおねだりして入手。それからは、○ァミマガの攻略記事を片手に、ひたすら修業の日々でした。要求される様々な高難度テク、失敗・挫折の日々。最難関と言われた7-4より前に、5-3、5-4でハマったり……。そして、無限増殖無しでワールド9(全32面クリアで行ける)へ到達出来るまでに至りました。

 さすがにノーミスは無理(と記憶してます)でしたが、スーパーマリオ2はあの頃の私に、努力して究めることで到達出来る高みというものを、教えてくれたのです。

寄稿:いつしまあじし 男 1975年生 東京育ち プログラマー

あなたも思い出コラムを書いて送ってみませんか?