『思い出のファミコン』が本になりました
 

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タッグチームプロレスリング タッグチームプロレスリング
ナムコ
1986.4.2発売
©1986 DATA EAST CORP. 1986 NAMCO LTD.

人間、向き不向きがある

 当時、自分と1年年下の弟と、その友人とその友人のお兄さんとかとこのゲームをプレーしていました。でも全然、勝てませんでした。あの頃からでしょうね。格闘系のゲームが下手の横好きになったのは。

 その後何年か経って、「ストII」とか「鉄拳」とか出たりするんですが、必ず自分のまわりには上手な人がいて、自分はあまり勝てないという、そういう状況が出来上がりました。人間、向き不向きがあるということを印象付けてくれたゲームでした。

寄稿:sato 男 1974年生 青森育ち 無職


観客席をのし歩く

 友だちが持っていて、いつも遊んでいたな。メチャクチャ笑ったバグを今でも思い出す。

 ピンチになったら2コンのマイクで叫ぶと、ハリセンで相手を吹っ飛ばす裏技があったんだが、ロープ際でそれをやったら、相手がリング外にシフトし、そのまま観客席の中をのし歩いていた。

 予想外の展開で大笑いしたのを良く覚えている。やはり、ゲームは他人の顔を見ながらやるのが楽しい。

寄稿:allen 男 1971年生 兵庫育ち 会社員


親父の怒鳴り声

 僕がまだ小学校の頃の話です。当時ゲーマーの友だちと、ほぼ毎日家でファミコンにハマっていました。たまたまこのゲームの裏技を見つけて、(ホールドされたときにIIコンのマイクに助けてーと叫ぶとハリセンを持った相棒が助けに来るという裏技)それを何度も何度もやっていました。

 その時に事件は起きました! 実はこの裏技、2回目以降は相棒が来ないのです。それを知らずに僕は叫びました。相棒が来ないので、何度も叫びました。何度も……、その瞬間、親父の部屋からメチャメチャでかい声で、「うるせー!!!!」と怒鳴り声が(笑) その後、ブルーになった2人はゲームを止め友だちは帰宅しました。

 中学の頃に亡くなった親父を思い出させてくれるゲームです。親父、まだゲーム好きだよ。

寄稿:龍 男 長野育ち


このゲームの影響でプロレスにはまる

 当時、プロレス好きの友達の家でよくこのゲームをした。スタートボタンを押すとすぐに「カンッ!!」と鳴るゴングの音が印象的で、テレビのボリュームを最大にして、友達と爆笑していたなぁ、なんて。

 このゲームの影響で、プロレスにはまりまくってしまい、友達の家の空いている部屋に布団を敷いて、ある意味本気でプロレスをしました。家の布団だけにとどまらず、学校の教室や体育館までもリングにしてプロレスをしまくったものです。すぐムキになって友達を泣かせたり、けんかになったりしたあの頃が、いい思い出になっています。

 今も、友達と温泉などに行って広い部屋に皆で宿泊するときなど、夜になって布団が敷いてあるのを見ると、無性にプロレスがやりたくなる気持ちを必死で抑えている自分がいます(笑)。

寄稿:クリボー 男 1976年生 宮城育ち スポーツインストラクター

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