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たけしの挑戦状 たけしの挑戦状
タイトー
1986.12.10発売
©TAITO CORP./ビートたけし 1986

女子のお宅にお邪魔してプレーした記憶

 私が小学生だった頃、近所の男友だち3人で、なぜか近所に住んでいる同級生の女子の家に遊びにいくことになった。その女子とは、普段から一緒に遊んでいるわけでも仲がいいわけでもなく、同級生という関係以上でも以下でもなかった。今でもなぜ遊びにいったのかよくわからない。

 さて、お宅にお邪魔すると、女子がいる家らしくこぎれいでさっぱりした雰囲気。ツルっとした廊下を通って奥のリビングに通され、みんなでこたつに入ってファミコンをしたことは覚えている。『たけしの挑戦状』のほかに、何のソフトをプレーしたのかは覚えていない。『つっぱり大相撲』だった気もする。

 その女子の母親も同席しており、途中、ソーサーにきちんと砂糖とクリームとスプーンがのっているコーヒーが出てきて、それまでそのような経験が無かったので感動した。今思えば、男の子が遊びにくるということで母親が気合を入れておもてなししてくれたのかもしれない。

 子ども4人で頻繁に交代しながらプレーしていたので、内容はよく覚えていない。難解で意味不明だったことと、役職に就いているサラリーマンを蹴ったりする場面があったような記憶があるがそれも定かではない。

 途中、その女子が『たけしの挑戦状』のことを「これはくそゲーだから。」といった趣旨の発言をした。したがって、私の中では、『たけしの挑戦状』といえば「くそゲー」である。

 当時から「くそゲー」というワードがあったのか謎であるし、別の記憶と混同しているのかもしれない。家庭用ゲーム黎明期に、すでに「くそゲー」というワードが存在していたのか、しかも、女子がそのような汚い言葉を用いるようなことがあったのだろうか……今となっては謎のままである。

寄稿:万太郎 男 1979年生 群馬育ち 事務系


デパートのおまけゲームがハンググライダーステージ

 私が小学生の頃、デパートに付属しているゲーセンに、「コインゲームで賞品をゲット」みたいな謎のコーナーがあった。コインゲームで貯めたコインをカウンターに持っていくと、抽選ゲームができる。そしてそのゲームをクリアすれば、ファミコンソフトやラジカセなどがもらえるワケだ。

 この抽選ゲームはコインを使えば誰でもできるのだが、なんとそのゲームの内容は「たけしの挑戦状のハンググライダーステージ」だったのである。要するに、ハンググライダーステージからスタートし、シッカリひんたぼ島に着陸できれば賞品ゲット、できなければゲームオーバー、という極悪な内容だったのである。

 当時は『たけしの挑戦状』自体をやったことがなく、私は何回やっても失敗ばかりだったが、ある日、友人と一緒にデパートに行ったとき、友人は「なんだ、たけ挑のグライダーじゃん」とか言い放ち、数回のチャレンジでアッサリクリアしてしまった。

 そして私と友人は、たしかツインファミコン(当時既に時代遅れ)をもらった記憶がある。今にして思えば凄い極悪なゲーセンだったと思うが、クリアした友人は確かに神だった(笑)

寄稿:Peco 男 1979年生 兵庫育ち デザイナー


19年越しの制覇

 このソフトは発売されてすぐに手に入れました。しかし、当時小学生の私が理解できるわけもなく、そのまませんべいの缶の中へお蔵入りとなってしまいました。

 ある日、ふとしたことからWeb上で攻略法を発見し、再び『たけしの挑戦状』を差し込み攻略再開! 攻略法があるにもかかわらず、それでも毎晩1時間くらいずつプレーして、1週間強かかりました(笑)。クリアしたときは心地良い達成感と、明日の仕事は早いんだった!という脱力感が同時に襲ってきましたね。

寄稿:室長 男 1975年生 静岡育ち 企画デザイン室勤務


ソフトの売却を許さなかった姉

 テレビでたけし本人出演のCMが流れてから約半年ほどして、姉がいくつかの裏パスワードと共に我が家へ持ってきました。それまで姉がゲームソフトを買ってきたことなど無かったので、その意外な行動に驚いた記憶があります。

 ゲームの内容はあまり理解できず、そのわりには裏パスワードを使って街中で発砲しまくったり、いきなり宝のある島からプレーしたりと、ソフトを買った姉よりも熱心にプレーしてました。絶対に着陸できない共産圏の島(?)にセスナで着陸する、なんて夢を見るほどまでに。

 数年のち、一時期ファミコンに飽きて本体ほか所持ソフトすべてを売り払おうとしたとき、姉が「これは自分が買ったソフトだから勝手に処分するな」と、このソフトの売却を許しませんでした。

 その当時は「何年も放っておいて今さら所有権を主張するな」と心底ムカついたものですが、数年後のクソゲー談義やゲームソフトのプレミア化などでこのゲームの名が挙がるようになり、結果として当時の姉の言動は正しかった、と思ったものでした。あくまで結果論ですが。

寄稿:50円 男 1977年生 会社員


「たけし作品」としてもっと評価されてもいいと思う

 今から思えば6〜7歳の子どもがするようなゲームではなかったように思います。ですが私にとっては、最も印象に残ったゲームのひとつ。

 ナンセンスをきわめた難易度もそうですが、それよりも私の心をかき乱したのがあの「主人公」でした。社長も妻も通行人もヤクザも関係なく殴るその姿は、なんだかスゴク怖くもあり、また爽快でもありました(笑)。

 でも考えてみたら、このゲームにはたけし特有のリアリズムと不条理が息づいていますよね。しかも、映画にはないユーモラスな生々しさがファミコンで表現されている点で、個人的には「たけし作品」としてもっと評価されてもいいんじゃないかと密かに思ってマス。

寄稿:吉田 将志 男 1979年生 京都育ち 会社員


感動のエンディング

 『たけしの挑戦状』。私はファミ通か何かの雑誌についていたパスワード一覧本を入手し、自分の兄に全てを託しました。当時の記憶をたどると、なんか変な島に上陸して、あちこちでジャンプしたりしゃがんだりすると、地下か洞窟へ入ることができ、そこでもジャンプとかしたら、宝物を手にすることができました。

 エンディングロールでは、たけしのイメージが出てきて、「攻略おめでとう・・・。」みたいなセリフを見て、兄ともども感動してじっくり読んでいたものです。その後は自分でも改めて試してみましたが、全くクリアすることができませんでした。なんとも謎の多いゲームですが、ファミコンのゲームっていろんなジャンルのゲームがあって楽しかった。

寄稿:たかぞー 男 1977年生 北海道育ち 会社員


IIコンマイクの思い出

 “♪あ〜なたぁ〜のたぁめなぁらどぉーこまぁーでもぉ〜”スナックで「雨降る新開地」(?)をIIコンのマイクで歌ったのを今でも覚えています。で、宝の地図が貰えて水に30分ぬらしてまたまたIIコンのマイクで「でろっ!」ってやったのを覚えています。それ以外は実家に帰ってオカンと子供を撲殺したりとある意味R指定入れてもいいんでないかって内容が多々ありました。

 黒澤明が死に、日本の映画界をしょって立つ、世界のたけし。そんな彼の挑戦状は未だに叩きつけられたままである。最初からプレーして解き明かした人がいれば国民栄誉賞ものだと思う今日この頃。

寄稿:おっさん 男 1975年生 兵庫育ち 会社役員


クリアすること、多分、死ぬまで無理

 たぶん、自分が知る限り、最強というか、最悪の難しさを誇るゲーム。何しろ、日本から脱出して、ひんたぼ島に行くことすら不可能に近い。それに、ほとんどわけが判らないトラップの数々。

 必勝本を買ったけど、「を」のパスワードを使ったがだめ。流石にこれだけはクリアすることを諦めた。数年前に再度挑戦した。でもやっぱりだめだった。多分、死ぬまで無理だろう。

 っつうか、クリアした人、いるの?まじで。

寄稿:Z.Z 男 1976年生 兵庫育ち 国家公務員

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