『思い出のファミコン』が本になりました
 

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テニス テニス
任天堂
1984.1.14発売
©1983 Nintendo

初心者がプレーしたらまともにラリーできない

 このゲームは、ある程度歳が経った後にやるとかなり燃えます。今ではプレステ2とかのソフトはほぼ完璧なつくりになっているものの、しかしファミコンは素晴らしい。

 というのもあの理不尽な動きといい、横向きながらラケット振る動きなども、なかなか笑わしてくれます。おそらく初心者がプレーしたらまともにラリーできないでしょう。最初から難易度高めでやるとイタイ目にあいます。そう、そこです。友だちと、最初はレベル低めでやっていき、次はレベル高くしよう!となり、気がつけば時間とともにレベルアップしてます。

 ここでボレーしても大丈夫か!?と、CPUとの心理戦が緊張します。こんなクソゲー、これから一生つくれないでしょうね。今(2005年)のクソゲーっていうのは中途半端すぎて、くそゲーともいえないと思ってます。

寄稿:ass 男 1985年生 愛知育ち


母がハマッてくれたおかげでゲーム制限時間の融通がきくようになった

 当時のファミっ子の最大の敵といったら、母親の「ゲームばっかりやってないで勉強しなさい!」攻撃だと思います。

 わが家では「ゲームは一日一時間」が鉄則であり、これを破ると、もうすぐでマリオを全クリできようが、ゼルダのデスマウンテンをクリアできようが、ドラクエ3でやっとこさゾーマまでたどり着こうが、母親に容赦なくコンセントを抜かれました(ドラクエのときは心臓止まるかと思いました)。

 そんな鬼母が唯一ハマったゲームがこの『テニス』でした。普段はファミコンを目の敵にし、怒らせようものなら本体を窓から放り投げかねない勢いの鬼が、このゲームをやっていると小学生に戻ってしまうのです。それはもう壮絶なハマりっぷりで、僕にとっては救世主のような(おおげさかも・・・)ソフトです。

 それ以来多少の融通がきくようになり、いきなり電源を落とされることはなくなりました。今でもたまーに押入から本体を出してきては遊んでいるそうです。

 最後に・・・このゲームをパチンコでとってきてくれたお父さん、本当にありがとう。おかげでゾーマを倒せました(笑)。

寄稿:ひろスィ〜 男 1981年生 埼玉育ち 大学生


意味不明なコンピュータの動き

 このゲームの醍醐味はなんといってもダブルスではないでしょうか。よく弟と組んでコンピュータ相手にやっていたものです。

 しかし、実際に本物のテニスをやってみると分かるのですが、こいつら動きが尋常じゃない(ま、どのゲームにも言えるんですが)。そんななかで一番意味不明だった動き、それは、コンピュータ側はポイントが決まると、なぜか中央に二人で寄ること。この動きを弟と二人で真似していたものです。

 昔のコンピュータは意味不明なところが多く、その意味不明なところを突いては笑うものでした。『テニス』はそんなゲームのひとつでしたね。

寄稿:クラウド 男 1978年生 岐阜育ち インストラクター


努力の末には強くなれる

 「動体視力の訓練か!?」と思わせるほどのレベル5の相手プレーヤーの速さ! スマッシュなんか打たれた日にゃ、思わず「うわぁっ!!」と叫んでテレビから身をかわしてしまうほどでした。「こんなん絶対勝たれへんやんけ・・・。」と嘆きつつも、ひたすら練習に明け暮れた日々。逆にレベル1なら、3回空振りしてもまだボールに追いつけるほどの遅さ。「この差は何やね〜ん!!」。

 地味〜なゲームながらも、単純さゆえの奥の深さにドップリはまってしまった一作でしたね。審判がマリオってのも、今にして思えば楽しい演出です(当時はそんなコト思いもしなかったのですが)。そして念願のレベル5クリア! しかも圧勝!! その後、それよりまだ速いナゾのプレーヤーが出現したのですが、レベル5をクリアできる実力があれば、何の問題もなく倒せるようになってました。

 何年かして、とあるゲームのバグ用ステージのためにこのテニスが中古市場を賑わせましたが、僕は努力の末には強くなれることを教えてくれたこのソフトを純粋に愛しています。

寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 企画戦略部署兼任営業担当

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