『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ワルキューレの冒険 時の鍵伝説 ワルキューレの冒険 時の鍵伝説
ナムコ
1986.8.1発売
©1986 NAMCO

熱い夏の思い出とともに未だ持ち続ける1本

 1986年8月、開店前のトポス西新店に並ぶ私。「買えるかな? ドキドキ」。自分の前には、開店前だというのに百人くらいは並んでいました。たしか整理券は配られなかったと思いますが、開店と同時にみんな順番を守って買っていました。

 この日は、ナムコのファミコンソフト「ワルキューレの冒険」の発売日。当時、私は高校生でした。トポスは、ダイエー(現・イオン)系列のディスカウントショップで、ファミコンの新作ソフトが発売日から2割引きで買うことができる、定価販売が中心だった当時としてはすごいお店でした。

 ひとり、またひとり、ユーザーが増えていき、ついに自分の番。「……かっ、買えました!!」その時はとても嬉しかったです。そして次の瞬間、「はい!売り切れで〜す」と店員さんの声。私が最後だったようです、「ふぅ〜」。

 私のうしろの人が、言葉に表せないくらい悲しそうな顔をしていました。かわいそう、と思って見ていると、「あっ、あと1本ありました!」と、また店員さんの声。見本として天井からブラ下げているのが残っていたのです。うしろの人、とても嬉しそう。君の代わりに、心のなかでガッツポーズしてあげました。

 ……あの日から、30年以上の月日が流れました。あのゲームを発売したナムコも、今ではバンダイと合併してバンダイナムコとなり、私の知るナムコはもう無くなってしまいました。あのゲームが売られていたトポスも、今では建物が老朽化して、ついに取り壊しに。

君は、あの「ワルキューレの冒険」を手放してしまいましたか?
私は、未だ持っていますよ、あの夏の熱い思い出とともに。

寄稿:若宮桂 男 1968年生 福岡育ち 介護職 ホームページ


ラストまで衝撃

 このゲームをはじめて目にしたのはゲーム雑誌の特集でした。小学生だった私はすぐに欲しくなり、発売日には近くの「ボンエース」というスーパーで購入したのでした。

 しかしこのゲーム、攻略本必須といわれた超不親切ゲームだったのです!! そんなことを知らない私は、次の大陸まで行けたので満足し、パスワードを記入して電源を切ったのです。そして次にスタートすると、最初に戻され、アイテムなども消えていたのです。なんてゲームなんだって思いました。今のゲームに比べたら恐ろしいですよね。

 しかし、ぼくらの子どものころはそんな簡単にファミコンソフトを買えません。ひとつのソフトに命かけるのみでした。そしてやっとの思いでたどりついた最後の戦いでも衝撃が!! なんとラストボスは倒せないんです。切っても切っても復活します。

 何でここまで来てこんなんやねんと思いました。私はナムコをうらみました。ボスを封じるという設定を後で聞きましたが、そんなの知らんでしょ。

寄稿:yusis 男 1973年生 岡山育ち 店長 ホームページ


初恋の思い出

 このソフトは高校生のとき中古で購入しました。当時攻略本も無く、お馴染みの(?)マッコウクジラのあたりで行き詰まり、そのまま放置してました。

 ちょうどその夏、文通していたイトコが大阪から遊びにきたのです。手紙でなら何でも話せたのですが、当時田舎のうぶな少年だったボクは、面と向かってなかなか思ったことを話せませんでした、その時です。「このゲームの女の子可愛いなぁ。ねぇ、どぉやるん?」それが、「ワルキューレの冒険」でした。

 得意のゲームの話題に張り切ったボクは、「君の星座は?」「血液型は?」「好きな色は?」・・・女の子なら十人中九人は好きであろう「占い系質問」に彼女も超乗り気に! すべて入力終わった後で、一言「これでどうなるん?」(期待に満ちた視線)「いやレベルアップしたときのパラメーターが・・・まぁ見てて!」

 (5分後)ちゃっちゃら〜ちゃらららら〜♪ 「ほっほら! 体力の上限の上がり方が大きいだろう? これが他の星座だと・・・」(失敗を予感しつつ一生懸命)「ふーん・・・」(冷淡なあいづち・・・)

 これがもし『神宮館'89電脳九星占い』だったら・・・さらに「相性バッチリ!」なんて出てたらぁ・・・なんて思う時もありますが、今となってはいい思い出です。

寄稿:TwoOfClubs 男 1975年生 山口育ち 会社員 ホームページ


夏が来れば思い出す

 初めてこのゲームを知ったのは親友の家。当時の新作ゲーム、それがこのワルキューレだった。その時の僕は、発売されて一年たった『ドルアーガの塔』の根強いファンだったが、このゲームの第一印象は「ドルアーガのマネやんけ!」だった。特にレベルアップ時やアイテムをゲットしたときの音楽のイメージがそれを意識させた。ホントはどっちもナムコなので気にすることもなかったのだが。

 次に目にしたのは、親戚がプレーしているときだった。親戚が買った攻略本を何気に見ると、壮大なマップや徐々に強くなるアイテムに興味をひかれた。ぜひ一度やってみたいと思い、別の友人に借りて僕の冒険が始まった。

 一度やり出すと夢中になる僕は、夏の間エアコンの効いた部屋にこもり、ひたすら進め続けた。結局最後の敵は倒すことが不可能で、戦いの最中にラスボスが落としたアイテムを使ってゲームクリアになるのが不満だった。しかし、大海原に掛かった虹を渡ったり、クジラの恩返しを受けたりしたあの冒険を、熱い夏が来るたびに思い出す。

寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 企画戦略部署兼任営業担当


RPGも交代で協力プレー

 当時はかくれんぼとかと一緒で、TVゲームも「みんなで一緒にやる遊び」でした。だからRPGだと、「1人1時間ずつ」とか決めて交代で同じゲームをやってました。

 要領が良かったりうまく進めてるヤツは当然進みが早いわけで、あとからやるヤツは、分かってる内容を同じように追っていくだけなのですが、全然そんなこと気にならなかった。今思えば贅沢な時間の使い方をしていたなと思いますね。

 このゲームでいえば、自分も友達も持っていて、やっぱり、時間交代でレベル上げをしてました。経験値をためてベッドで寝るとレベルが上がるのですが、そのときの音楽が爽快で、今でも覚えています。

寄稿:だいまど 男 1974年生 福岡育ち 店長

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