『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ゼビウス ゼビウス
ナムコ
1984.11.8発売
©1983 1984 NAMCO

家でできる感動

 これは、私がファミコン本体とともに初めて買ってもらったソフトでした。最初に『ゼビウス』と出会ったのはデパートのゲームコーナー。それまで見たことのない美麗なグラフィックには絶大なインパクトがありました。ですから、それがファミコンソフトとして発売される、と聞いたときは本当に嬉しかったですね。あれが家でできるのか、と。

 実際、アーケード版をそのまま移植、というわけにはいかなかったようですが、それでも充分でした。ただ、ヘタレな私の腕ではアンドアジェネシスまでが精一杯でしたが……。たま〜にうまく倒せても、その後出てくるザカート(黒い球)にやられるんですよね……。

寄稿:風雲再起動 男 1971年生 岡山育ち 会社員


生まれた頃からファミコンがあった私、そして今「ファミコンミニ」

 家には私が生まれた頃からファミコンがあった。そのおかげで、気づいた頃にはコントローラーを握って、マリオやアイスクライマーの世界を駆け回っていた。

 しかし小さい頃から、この『ゼビウス』はやっていたものの、板の飛んでくるステージでことごとく撃沈・・・。

 無理な話だった。どんなにがんばっても5〜6歳の子どもに『ゼビウス』をクリアすることはできなかった。

 時は流れ現在。「ファミコンミニ」発売! 発売ソフト一覧を見て『ゼビウス』があることを知り、幼き日の思い出がよみがえった。そして予約まで入れた。

 予約したのにもかかわらず、待ちきれず当日朝5時に、近くのコンビニへ歩いて買いに行った。受け取った時に見たパッケージはとにかく懐かしかった。そして帰ってきて箱を開けながら今度こそはクリアしてやると誓ったのだった。

寄稿:ロデム 男 1987年生 北海道育ち 学生


当時の家庭用パソコンにまさるファミコンの表現力

 1984年といえば、当時中学生だった僕のまわりでもアーケード版『ゼビウス』人気が絶頂期だった年。誰もが自分の家で『ゼビウス』をプレーしたいと願っていた。

 そんななか、「X1」というパソコンに遂に『ゼビウス』が移植! さっそく買った友だちの家に遊びに行くと、モニターに映るのはまぎれもない『ゼビウス』、死ぬほどうらやましかったのを覚えている。でもX1の値段は10万円以上、自分には買 えるわけがない・・・。

 その後ファミコンにも移植して発売されたが、あんな高価なパソコンですら、スクロールはガクガク、エリアを超える度にテープロードで待たされるってんだから、たかだか1万4800円のゲーム機に何ができるとまったく期待なんてしてなかった。しかしファミコン版『ゼビウス』を別の友だちの家で初めて見たときの衝撃といったら・・・。

 滑らかにスクロールする画面、こんな小さなカートリッジの中にゼビウスの16エリア全てが詰め込まれていると思ったら、いてもたってもいられず、おもちゃ屋に直行して本体と一緒に即買い。念願だった自宅でのゼビウスを思う存分プレイしまくることができたわけです。

 ファミコン版『ゼビウス』は願いをかなえてくれた、今でも大切な1本です。

寄稿:CAB 男 1971年生 広島育ち 半導体設計


激しいプレーでボタンはスカスカ、コードは断線・・・

 テレビのCMでゼビウスが動いている。当時、中学生だった私と友人は、興奮して、「オモいカルチャーをオモチャーと言う。」のキャッチコピーと、細野晴臣氏出演のコマーシャルを見つめた。ついにファミコンでゼビウスができる。さすがはナムコ、やってくれるじゃん。

 ソフトを予約し、発売日にはゲット! 速攻で家に帰りカセットをさしたらスイッチON、画面に映った『XEVIOUS』のタイトルを見た時の感激といったら・・・。

 実際は、ナスカの地上絵がない、アンドアジェネシスが浮遊要塞ではない、などアーケードとは違う所もあったが、原作の雰囲気は損なわれていなかった。当時のROM容量が厳しいなか、なかなかの移植だったと思う。

 日々、ゼビウスでのプレーが続き、コントローラーの四角いゴムボタンはスカスカになって上手く押せなくなったり、敵を避けるのにコントローラーも一緒に動かしてしまうから、コードが引っ張られ、しまいにはコントローラーのコードが断線し、ポーズの嵐に・・・なんてこともあった。

寄稿:DRUAGA 男 1970年生 東京育ち 配達人

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