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爆笑人生劇場 爆笑人生劇場
タイトー
1989.3.17発売
©1989 TAITO

今となってはチープだが、それを補って余りあるほどの魅力

 このゲームは、私が小学生の時分によくプレーしていた作品です。その頃には、ゲーム市場はすでにプレステ、64などに移行していたと思いますが、飽きずに遊んでいました。

 私の兄、姉、そして近所の友人と4人で遊んだことを覚えていて、その結果に一喜一憂したのは良い思い出です。その内容もおぼろげながら記憶しており、主人公の祖母の家に遊びにいくイベントが特に好きでした。

 その後、同系列のゲームで「人生ゲーム」などが発売されましたが、「人生劇場」以上に楽しく感じたものはありませんでした。グラフィック、音源、シナリオなど、昨今の作品のそれと比べると、本当にチープな作品ですが、それを補って余りあるほどのある種の魅力がこの作品には存在しています。

寄稿:w 男 1991年生 高知育ち


殿方3人、おなご1人

 私は、初めに遊ぶメンバー(COM3人ぶん)を決める時、絶対に殿方としか選ばないという行為に及んでいました。もちろん自分は女でプレーし、殿方3人、おなご1人というハーレム状態(?)でいつも遊んでいました。現実では夢のまた夢……ですから、ね。

 ミニゲームのテストが異常なまでに好きだったり、職業は「アイドル」か「やっちゃん」によくなってました。

 あの頃は気楽でよかったなぁ……と今は思います。それだけ自分も歳くったんでしょうね。うまいこといきませんな、人生って……。

寄稿:午前2時 女 1980年生 徳島育ち


自由な発想の実現が容易に可能だった時代

 もう17年も前になるんですね……。『究極ハリキリスタジアム』、『たけしの戦国風雲児』を挟み、タイトー在籍最後の企画担当商品が、この『爆笑人生劇場』です。

 出せば売れるブームも沈静化していったこの時期に、ボードゲームのジャンルに挑戦したのがこの商品ですが、たしか他社からボードゲームタイプが先に発売されたのを記憶しています。

 当時、私は20代後半、まさに青春ですね。自由な発想の実現が容易に可能だった環境(時代?)が今、思えばヒットの要因だったと思っています。その当時、会社の上司はゲーム内容には一切口を出しませんでした。きっとよく分からなかったんだと思います(笑)。

 雑誌広告では表と裏の2面の誌面を買い取り(通常は2ページ見開きにするところ)、人生の表と裏として、イラストでは裏には後ろ姿を描くなど、アイデアに溢れ、それが次々と実行されていきました。

 そんな作り手として、当時遊んでくれた人々の声に触れることができることは、まさに感無量です。バグが多かったのでちょっと心苦しい面もありますが……。

寄稿:sato 男 1962年生 東京育ち ゲームプロデューサー


ゲームをしながら自分の人生を空想してたあの頃

 小学生の頃ハマったこのすごろくゲーム。同時に4人までプレーできたので、友達や兄・従兄弟と何度もやった。

 ゲームの中では大学生から社会人、老後までをプレーし、その時々で結果が異なる。結婚して子供が生まれたり、就職して、出世して給料が増えたり。当時子供の自分には刺激的だった。ゲームをあまりやらなくなった最近、プレステ2で最新版があることを知りなんだか嬉しくなりました。

 大人になることに憧れ、実際に自分がどういう人生を歩もうかいろいろ空想させてくれたこのゲーム・・・。しかし、大人になっても無職で、人生に対して不安になっているのが現実です(泣)。

寄稿:鈴木☆ハナ 男 1978年生 群馬育ち 無職

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