『思い出のファミコン』が本になりました
 

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バルーンファイト バルーンファイト
任天堂
1985.1.22発売
©1984 Nintendo

100面まで行けばきっと何かがあると信じてた

 ファミコンソフトの中で一番はまったかもしれません。このゲーム、操作に癖があり、かなり難しいです。止まろうと思っても急には止まれません。ボタンの微妙な押し加減で変わってくるからです。

 そんな複雑な操作の中、敵(人間、ナマズ、雷)は容赦ないです。特に雷は強烈です。面を重ねるごとにスピードが増していき、的確にプレイヤーを狙ってきます。いつもは友だちや兄と頑張っていたのですが、一度、自分ひとりでプレーしてみようと思い立ち、やってみました。

 しかし、孤立無援では正直きつかったです。記憶では56面までいったと思います。面がループするのは当時では当たり前だったのですが、私は「100面まで行けばきっと何かがある」と信じて止みませんでした。今思えば、若かったですね。でも思い出深い逸品でした。

寄稿:龍也 男 1979年生 岡山育ち 自営業 ホームページ


対戦ゲームとして

 このゲーム、実はまともに進めたことがありません。本来なら敵の風船をわり、先に進んでいくゲームなのですが、僕の遊び方はもっぱら2Pプレーで風船の割り合い合戦で、ほぼ対戦ゲーム化していました。

 もうとにかくみんなで大笑いしながらやっていました。「ふざけんなよー」「うるせー」みたいな感じで(笑)

 最近引っぱり出してプレーしてみましたが、やっぱり普通にやるより対戦のほうが面白いです。絶対!

寄稿:ノリスケ 男 1981年生 埼玉育ち 会社員


名作、現在も忘れがたし

 昭和60年(1985年)、中学入学を控えた春休みは同級生数人と連日ファミコンに明け暮れていた。当時『バルーンファイト』のほかに、『クルクルランド』や『アイスクライマー』などの2人同時プレーゲームの名作を、間近でできる幸福な環境にあった我々は、その恩恵を存分に預からせてもらった。

 シンプルながらも奥が深い、やりこめばやりこむほどに上達する絶妙なゲーム内容に、我々は寝食を忘れるほど夢中になったものだ。仲間が自分よりスコア(または面数)が上回ると、悔しくなって、自宅で親の眼に怯えつつ「特訓」に励んだのも、いまでは懐かしい思い出だ。

 あれから20年。ゲームをすること自体がすっかりご無沙汰になってしまったが、いまも時折引っ張り出しては、衰えた腕前に苦笑しつつもプレーに興じる30男がここにいる。

寄稿:もょもとタケロヲ 男 1973年生 岩手育ち 工員


命の尊さを学んだ

 アメリカでは2があったそうで、どなたか情報おもちでないか? 小6の時に大熱中して、『アイスクライマー』と発売同時期かな。親友に福田君というのがいて、彼が『アイスクライマー』、私がこれ。

 当時2人同時プレーゲームがすごく流行っていたというか、任天堂がその系統しか出してなかったような気がする。固定画面で2人で遊ぶ、元祖『マリオブラザーズ』のノリ。制作者はハル研究所=今の任天堂社長。あのピヨピヨいうキツネ(いまだに何かわからん)や巨魚、そして一発触れたら即死という電気。風船割れたら落ちて死ぬ。小6ながらにして命の尊さを学んだ。

 ゲームボーイ版の2はやったけどあれは別物だ・・・。ぜひDSで復活してほしい。

寄稿:ゾイン 男 1972年生 神奈川育ち 映画監督


ボーナスステージは一人プレーでパーフェクト

  子供のころに買ったソフトはクソゲー購入率が高かったが、唯一といっていいほど当たりなソフトだった。なかなかソフトが買えなかったので、このソフトはかなりやりこんだ。まず、AボタンとBボタンの微妙な使いこなし! 慣れないと主人公がどこに飛んでいくか見当がつかないのだが、子供ながらにマスターした記憶がある。

 とくにボーナスステージの土管から出てくる風船割りなんかでは、一人プレーでパーフェクトをとるのが当たり前だった。最近ももちろんやっており、特に二人プレーが楽しいです! クリアしていくにつれて、だんだん敵が風船を膨らます時間が短くなりかなりあせります。で、その敵なんですが、あれはいったい何者? いつもやりながら、「宇宙人がーーー! おれの風船をーーー!」と叫んでいます。

寄稿:直樹 男 1974年生 岐阜育ち Web制作


操作感がドリフトの感覚に通じる

 これほど苦渋を飲まされたゲームはない! とにかく操作が難しい! 止まりたくても止まってくれない! 電線めがけてまっしぐらだ!!

 これまでのゲームは十字キーを右に押せば右、左を押せば左に進むのが常識だったが、なにせ空中を、しかもバルーンの浮力で移動するものだからすぐには向きを変えてくれない。横滑りを計算して早目に操作をしなければならないのだ。

 この常識を覆した動きにまったくついていけず、ソッコーでゲームオーバーになってばかり。ファミコンしててこんなにムカついたコトはないだろう、最も苦手なゲームだった(練習して上手くなりましたが)。

 それからかなりの年月が経ち、クルマを運転するようになったが、サーキットでドリフトしながら、ふとこの『バルーンファイト』を思い出した。タイヤが滑る感触、クルマの動きを素早く感知した先手先手の操作。そうか、あのときと同じか。僕は急にバルーンファイトがやりたくなった。

寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 戦略担当兼作家


リアル風船おじさんの思い出

 僕の街には「風船おじさん」と呼ばれる人がいた。巨大なヘリウム風船をゴンドラにつけ、無謀にもアメリカへと飛び立ったおじさん・・・・

 横スクロールに身を任せ、ひたすら風船を割りながら、無数に散らばる雷をかわしていくだけという、地味で孤独な夜空の旅路。「BALLOON TRIP」モードこそが、僕にとっての『バルーンファイト』だった。

 なぜに風船? なぜに旅? 感電すると知りながら、雷が美しく輝く星に見える一瞬。ナマズに丸呑みされると知りながら、低空飛行する己の性。そして命を落とした後に繰り返される、リセットボタンへの超スピード・フィンガー!

 あ、おじさんの気持ち、少しだけ分かった気がする。「朝焼けがきれいだよ」それがおじさんからの最後の無線連絡でした。夜明けの『バルーンファイト』ってどんなだろうか・・・。

寄稿:庶慕 男 1975年生 東京育ち クリエイター


プレーを通してみんなの表情が出るゲーム

 ゲームソフト購入、2本目か3本目だったと思う。そして自分にとって初の任天堂ソフトだった。

 さすがにこのゲームをプレーしてビックリした。ゲームのワクワク感、ボタンひとつの操作感をココまで堪能できるとは思わなかった。ゲームがこんなに素晴らしいモノだとは思いもせず、これからのゲームライフに大いなる喜びを導いてくれた。それがこの『バルーンファイト』で実感した感想だ。

 友達や兄弟、両親までも巻き込み、遊び尽くした。絶えず笑いや絶叫や怒りに満ちた微笑みが耐えなかった。ゲームプレーに出る個人の性格というモノを楽しんだ。任天堂の野望に導かれてもいいと思った。

 この懐かしき至福の思い出は一生忘れません。もちろん今もこのソフトは持ってます!

寄稿:Mario 男 1971年生 兵庫育ち ターフスペシャル社代表 ホームページ


助け合いのつもりが足の引っ張り合い

 「バルーンファイト」では、プレイヤーは絶妙なコントロールタッチでふわふわ飛ぶため、ささいなコントロールミスであっさり敵に風船を割られたり、一方、芸術的な流れ技で敵の風船を割ってステージクリアすることもできた。

 とくにその本領を発揮したのが二人同時プレー。二人で協力プレーしようとすると、お互いに足を引っ張り合い、逆にサバイバルでプレーしているにもかかわらず、結果的に助け合うことが多分にあった。

 ゲームのシステムでなく、自らの操作が作り出している不確定要素。思い通りにならないおもしろさが痛快で、兄弟や友人同士の遊びでは大いに楽しんだ。次にプレーする機会はぜひ、自分の子どもと楽しんでみたい。

寄稿:深田 洋介 男 1975年生 東京育ち 編集者 ホームページ

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