『思い出のファミコン』が本になりました
 

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デビルワールド デビルワールド
任天堂
1984.10.5発売
©1984 Nintendo

兄弟3人で寝る間を惜しんで楽しんだ

 兄弟3人で朝までやった思い出のゲームです。夏休み、クーラーがガンガンの冷え切ったリビングで2人プレーを交互に楽しみ、「そうじゃない、逃げろ!」や「もう一回頑張ってみよう」と、寝る間を惜しんで楽しみました。

 その後犬の散歩に行って、朝の8時くらいに就寝して、16時に起きてまたゲームと、ゲーマー顔負けの酔狂を楽しんでいました。

 今は兄弟各々に家庭を持ち、多忙な毎日ですが、あの日のことは鮮明に覚えています。

寄稿:コンピューター嘘つかないさん 男 1975年生 埼玉育ち 会社員


兄貴と会うたびに思い出話

 初めて買ってもらったソフトがこの『デビルワールド』。たしかそんなに面白かった記憶はないが、兄と一緒になって遊んだのはよく覚えてる。初めは協力プレーしてたが、だんだん足の引っ張り合いになり、よく取っ組み合いのケンカをしたものだ。そしていつも私が泣かされてた。

 今では兄とは年に1回くらいしか会わないが、いつも『デビルワールド』の話をしてしまう。たいして面白かった記憶もないのに、会うたびに『デビルワールド』の話をしてしまうのは、兄と一緒に遊んだ時間が楽しかったんだろう。

 『デビルワールド』はあの当時の思い出を蘇らせてくれる大事なソフトだ。兄貴一緒に遊べて楽しかったよ。

寄稿:ノリ 男 1978年生 千葉育ち 会社員


いつも私は卵のまま

 このゲームを弟とやると、いつも喧嘩になりました。奴は私に向かって火を吐いて動きを止め、殺しにかかるのです。私がゲーム下手だと知ってのこの仕打ち。ひどい。私も、卵のままいつまでも生まれてやらない、という地味な仕返しをしていました。

結婚後、夫と中古ゲーム屋に行って見つけ、懐かしく思い購入。早速プレイしたのですが…夫が真っ先にしたのは、私に向かって火を吐くこと。当然、卵のままいつまでも生まれてやりませんでしたとも!ちくしょー!

寄稿:ユキ 女 1980年生 大阪育ち 主婦


家族と自分の原点を思い出す

 このソフトは一番印象に残っています。週末にしか帰って来なかった父親が、クリスマスの日に『デビルワールド』を買って帰って来て、家族でクリスマスケーキを食べた後、兄と二人で茶の間で大はしゃぎしながら熱中。それを見ていた親が、ゲームキャラが挟まれそうになると、応援をしつつも大笑いしながら、家族で盛り上がりました。

 それから3年後、私は反抗期になり、道という道を踏み外しました。このソフトを見ていると、あの当時のことや、親の愛、素直だった自分の気持ちを思い出します。

寄稿:DERA・コペン 男 1971年生 宮城育ち


貸したまま同窓会がきっかけで再会

 この時代のゲームは当時自分が小さいこともあり、なんだかとても高価なものでした。『デビルワールド』の箱ジャケを見ては、「ほんとはこういうリアルな世界でやつらは戦っているのだ」と想像力を膨らませて楽しんだものです。私はボーナス面でパーフェクトを出すのが趣味でした。よくあせってバーに挟まれたものです。

 その『デビルワールド』も、小学校のときにどこかになくしてしまったのですが、最近小学校の同窓会で友人と久々に会って自宅にお邪魔したとき、自分の『デビルワールド』が出てきて感動しました。……というか貸したものは返せって感じですネ。

寄稿:よしなが八 男 1976年生 東京育ち 運送業


3,800円版と4,500円版が存在!

 それまで3,800円均一だったファミコンカセットが、このソフトから定価4,500円に! 当時、消費税なんてものはなかったのですが、単純に箱に入っていたソフトが透明プラスチックの箱に覆われて、箱もひとまわり大きくなって、カセットにパッケージイラストがかかれるようになりました。で、さらに実はこの『デビルワールド』には2つの謎があります。

1:3,800円版と4,500円版が存在する!
 先に書いたとおり、パッケージが小さく、カセットにタイトルしか書かれていない従来の3,800円版と、透明プラスチックケースと箱が大きい新サイズの4,500円版の2つがありました。どちらを手にするかクラスで盛り上がったものです。

2:カタログと全然ちがう
 発売前に書かれていたカタログが2パターンあって、ひとつはイラストCGもので、かなり製品版と内容が違っていました。血の池に落とされないように注意する謎のゲームだったのです。

寄稿:ゾイン 男 1972年生 神奈川育ち 映画監督


行方不明に

 小学生のときに買ってもらった。白いツブツブを変な音でとりまくった。スクロールでかべにはさまれた。たのしかったよ。

 一度、友だちのうちに、チャリンコのかごに入れて、もっていってあそんだ。帰りも、チャリンコに入れて帰ったつもりだった。しかし、無い! デビルワールドが無い! さがしまくったが、どこにも無い。

 当時の俺にしてみれば、とても高価なもの。親にこっぴどくおこられた。俺の『デビルワールド』は、今いずこ・・・。

寄稿:馬鹿教師 男 1975年生 三重育ち 中学校教諭


あれはどう見てもコマネチ

 任天堂版パックマンと言った感じの、とてもイカしたゲームだったと思っています。小学生だった自分にとって、画面のスクロールは何にも替えがたい恐怖で、画面ギリギリまで行って挟まれたときは、いかにも痛そうな表情に「悪いことをした」と胸がキュンと痛くなったものです。

 それはさておき、画面を上下にスクロールするときのあのボスキャラのポーズ。どう見てもコマネチだったよなぁ〜。

寄稿:スズヒロ 男 1975年生 静岡育ち コピーライター

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