『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ドンキーコングJR. ドンキーコングJR.
任天堂
1983.7.15発売
©1982 Nintendo

そろそろヒールのマリオもふたたび

 知られたくない過去ってありますよね。会社で役職を持って働く自分も、かつては補導経験5回のヤンキー。やっぱ人間、年をとるとまるくなるんでしょうか。

 だって、世界のスーパーヒーローだって、かつてはゴリラをいじめるヒールだったし。前作ドンキーコングの復讐をした『ドンキーコングJR.』(ドンジュニ)では、まるでダースベイダーのよう。結局ゴリラの息子(ルークじゃないよ)にやられてしまい、なぜか改心してしまったマリオは、その後はピーチ姫を救い、カーレースやゴルフ、テニスなどなど、いろんなジャンルに挑戦する人気者となっていくのです……。

 ぼちぼちマリオだってストレスがたまってきてるはず。任天堂の新機種では常に登場するマリオ、そろそろヒールのマリオ(ワリオ、ワルイージとかじゃなく)に触ってみたい。DSでヒールとして活躍するマリオをグリグリさせてー。

寄稿:田中 男 1975年生 和歌山育ち 主任


1回50円とられた

 初めてファミコンに出会い、初めてやったゲームがこれ! 武田君という同級生のウチで、この画期的な遊びに出会いました。私の場合は1回50円とられましたが(笑)。たしか彼のファミコンは四角ボタンでコードがグレーだった気がします。貴重かな。

 この年の年末に、親からファミコンを買ってもらいました。小5のことです。ちなみに付属してもらったソフトは『ドンキーコングJR.の算数遊び』でした(笑)。2面をクリアするのがやっとでしたが、今は目隠しでもいけます。

寄稿:ゾイン 男 1972年生 神奈川育ち 映画監督


「1回20円」

 兄貴との思い出の一品がコイツです。当時小学生の私は貯金が趣味と言えるほどドケチでした。そんな私が貯金を崩してファミコンを買うはずも無く、母親に「買ってくれ」とお願いする毎日。

 そんなある日、中学生の兄貴が、な、なんとファミコンと『ドンキーコングJR.』を買ってきたのです! 大嫌いな兄貴を初めて尊敬の眼差しで見つめる私。そして兄貴は一言、「1回20円」。バカな私は歓喜のなか、即答で「お兄ちゃんありがとう〜」でした。

 期間は覚えていませんがあっという間に本体分は抜かれました。ウハウハの兄貴の横で泣きながらスタートボタンを押してしまう悲しい性。母親に相談しても、「約束したなら貯金から払いなさい」で撃沈。

 お互い子供の親となった今でも、正月などに実家で集まり、酒が入ってはこの話になります(鬼のようなセリフを吐いた母親は憶えてないとのこと)。

寄稿:役人&美容師 男 1972年生 北海道育ち 美容師


4歳で父母を超える

 当時親子でゲームにはまっていた時、父が中古で買ったものだった。 父も母もクリアできない中、当時4歳の私だけクリアしてました(笑)。ツタを伝ってくるワニを、フルーツを落として倒すのが快感で、何回もプレーしてました。その後、ステージ2でジャンプ台から動く足場に飛び乗る技も編み出して、マスターしたり。でも、2周目はやりませんでした。1周しただけで満足だったからです。

寄稿:とよ 男 1985年生 福島育ち 高校生

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