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ドラゴンクエスト ドラゴンクエスト
エニックス
1986.5.27発売
©1986 エニックス/アーマープロジェクト/バードスタジオ/チュンソフト

裏ワザなく自力でクリアして初めて「ドラクエ」の魅力に気づいた

 ファミコンを手にいれたのが1986年3月頃、当時は「スーパーマリオ」をプレーしたいがために買ってもらったのを記憶してます。ディスクシステムで「スーパーマリオ2」が発売されて、テレビCMをやってたのが6月だとすると、「ドラクエ1」の認知度はその頃は低く、まだ『ポートピア連続殺人事件』のほうが、エニックスのゲームとしては人気があったのを覚えてます。

 当時、アパートに住んでいた自分は、周りの上級生がさまざまなファミコンカセットを買ってもらってたのを知っていたので、毎日のように上がり込んではプレーさせてもらうのを期待してました。そんななか、黒いカセットを見せられて、自慢気に「今からクリアするの見せるぞ」と言われて、お初に目にかかったのが「ドラクエ1」でした。

 RPGのなんたるかをまったく理解してない自分は、画面に出てくるモンスターがダメージを受けてやっつけられるさまは不思議で、何が目的のゲームかわかりませんでした。そして、りゅうおうが正体を表した時の姿とBGMで驚き、さらにエンディングまで見せられてしまった時、初めて冒険もので動かない絵のみのゲームなんだ、と理解しました。

 夏休みも終わりになった頃に貸してもらい、「スライムに会心の一撃を出すには連射すればよい?」とか勘違いしてた時、兄が淡々と冒険を進めて行ってるのを見て、武器を買ったり、薬草でヒットポイントを回復するのを覚えて、レベルが上がれば呪文を覚えるということもわかってきて、ようやく計画的に進められるようになりました。ただ、結局自力でクリアするのは必勝攻略本を買って4ヵ月も先となりました。

 じつは裏ワザで何度もズルしてクリアしてましたが、自力でクリアしてストーリーが一本つながった時になって、初めて『ドラゴンクエスト』の良さに気づきましたね。「ドラクエ」なんて略して会話してなかった頃の懐かしく恥ずかしい思い出です。

寄稿:ウトヤスオ 男 1978年生 宮崎育ち 営業


世界の半分をもらってみた

 このソフトに出会ったのは、私が小学校6年生の時でした。当時、まりくんという友だちがいて、彼がこのソフトを持っていました。

 初めて見るドラクエの世界はまさに衝撃でした。冒険のわくわく感、強敵と対峙した時の緊張感、そして倒した時の達成感……どれもこれも新鮮でした。

 そして苦労してたどり着いたラスボスとの対決。いつものようにまりくんがプレーし、そばで見ている私。

「世界の半分をまりくんにやろう」

 ラスボスのその問いに対し、私はまりくんに、「『はい』にしてみようよ」と言いました。まりくんは少し躊躇したものの、「はい」を選択。そしてその結果に固まる二人……。

 その時の復活の呪文、まだ覚えています。

「はふべらる びもそぜにのふ にじがでび ためば」

 まりくん、ごめんよ。

寄稿:らずみかん 男 1974年生 神奈川育ち 管理職


このゲームがきっかけで将来の目標が決まる

 アクションもシューティングもまったく駄目だった私は、ファミコンなんてつまらないと思い始めてました。でも『ドラゴンクエスト』の広告を見て、発売日がすごく楽しみになりました。

 当日はりきって買いに行ったけど、当然他に人は見当たらず。それでも弟とふたりで一生懸命遊びました。寝る間も食事の時間も惜しんで。

 このゲームがきっかけで将来ゲームを作りたい!と本気で思いました。結局ゲームではないですが、プログラマーになれたので仕事も楽しかったです。自分にとって人生を変えたゲームです。

 一度クリアしてからも何度も遊びました。復活の呪文ノートも一生懸命書いた記憶があります。あのノートどこいったのかな? ソフトは今も眠っています。また、やりたくなってきました。

寄稿:sakura 女 1973年生 埼玉育ち


エンディングに見せられ見せて

 初めて見た時は文字ばっかりであまり面白いとは思えなかったんですけど、キッカケは確か小6の夏休みの時のことでした。従兄がクリアするところを見せてくれたのです。クリアして、エンディングがあり、エンドロールがあって……と。

 あのようなエンディングがあるのは、ファミコンでは確かドラゴンクエストが最初ではなかったかと思います。それで180度反転してドラクエが好きになったんですが、今度は自分がプレーして弟にクリアしたエンディングを見せてあげました。

寄稿:sato 男 1974年生 青森育ち 無職


兄妹の仲をとりもってくれた

 このゲームは従兄弟の家で初めてプレーした。こんなにおもしろいゲームは初めて!というくらいの衝撃で、普段仲の良くない兄とも満場一致で親にお願いして即効買ってもらった。

 行き詰まっては2つ上の従兄弟に電話までして質問した。めったに会わない従兄弟、そして気が合わない私たち兄妹をその時はこのゲームが結びつけていた。兄が私に「学校で面白い復活の呪文を教わったぞ」と、2人でテレビの前にならんで「おぉ〜」なんて驚いたりしたな。

 今も仲のいい兄妹ではないけれど、兄との楽しい思い出なんて無くつらい嫌な思いばっかり、と思うけど、確かに兄妹の楽しい時間はあったのだな。やっぱり兄妹なんだな、と、ドラクエの思い出とともに少女期に思いを馳せたりしてみる。

寄稿:みよたん 女 1975年生 東京育ち 派遣社員


いろいろ楽しめた「ふっかつのじゅもん」

 本格的なちょっとおませなゲーム、というのが最初の印象でした。それまでRPGはやったことがなかったので、何がどうなってるのかわからず、一緒に借りた攻略本を見ながらやりました。レベル12でドラゴンを倒すと言われればそのとおりにやった記憶があります。

 そんなかんじで真面目にやっているところに、裏技の「ふっかつのじゅもん」というものを知ったときは衝撃でした。レベルが高いのに何もしていないとか、レベル1なのに最強装備とか、やってみるとすごく簡単になったりして、それがおもしろくていろいろやりました。あれだけ真面目にゲームをやったことは他にないと思います。

寄稿:もよもと 男 1976年生 青森育ち 会社員


兄のプレーを見てクリアした気になっていた

 ゲームはリアルさを求めている。先日発売になったファイナルファンタジーの最新作は、もう映像がゲームの域を超えているように見える。ソニーはプレイステーション3が発売延期するものの、発売すればマーケットを席巻するのは明らか。さらに画像の鮮度とリアリティーは増すことになる。

 しかし、どんなに画面が綺麗に映っても、作る側は何年経っても変わらず、人なのである。ストーリーを書くのも人間であり、これは「源氏物語」も「平家物語」も同様である。

 なかでも、堀井雄二氏は超有名なシナリオライターである。あのドラクエシリーズを書いた人。しかし、初めてドラクエに出会ったときには名前を知っていた。ドラクエIIの復活の呪文でも出てきたからだが、「だからなに?」といった感じで気にもとめていなかった。偉大さに気づくには大人の感覚が必要だったのである。

 小さい頃の遊びはもっぱらゲームだった。兄のやっている画面を見るのが好きで、IIの裏技の復活の呪文も、IIIのバグリ技も興奮しながら兄に教わったものだ。しかし、自分自身ではクリアしていないのが最近判明した。兄のばかり見て、クリアした気になっていたようだ(IIIのガイアの何とかって知らないし)。

 しかしこれは大変嬉しい。堀井雄二氏の作品を1から遊ぶ楽しみができたということだからだ。懐かしさもいいスパイスなる。あの頃の興奮がよみがえる。

寄稿:谷山 数見 男 1982年生 東京育ち


ラジカセをテレビの前に置いて録音

 『ドラゴンクエスト』、それは少年だった私に、ロールプレイングゲームのおもしろさを余すことなく教えてくれたゲームである。壮大なストーリーとゲーム観にマッチした音楽のすばらしさ。完全にハマってしまいました。

 で、この素晴らしい曲をテレビから離れても聞いていたい!ということで、当時はカセットテープしかなかったので、ラジカセをテレビの前に置いて、静かに録音しながらプレーしてました。くしゃみや喋り声などがあるとそれも録音されてしまうので、静かにプレー……。竜王までたどりつき、大好きな竜王戦の曲だから、少し長めに録音してました。

 しかし、曲に浸っていると、録音中などと知らない母親が、「ちょっと〜!! 買い物行ってきてくれん!?」と大声で……。その大声以外は完璧だったと思い込んでたテープには、近所の犬の吠える声や子供の声がかなり混じっていました。今となってはいい思い出です。

寄稿:ベイオウルフ 男 1975年生 兵庫育ち 公務員


竜王との対戦で「べホイミ」と「べギラマ」を間違える

 小学生の時、となりの家に住む生涯の親友と一緒に買ったゲームでした。本当はディスクシステムとマリオ2を買いに行ったのですが、ディスクシステムが1台しかなく、その代わりに。

 ただゲーム(話)を進めて行くだけだった今までのゲームのイメージとはまったく違い、慣れるまでは苦労しました。でも、情報を交換しながら、友だちとほぼ同時に「にじのしずく」を手に入れ、あとは竜王を倒すだけの所まで来ました。今までにない緊張の中での竜王との戦い、攻撃とベホイミを繰り返しながら、ひたすら相手が倒れるのを待ちつづけていました。竜王の炎をなんとか凌ぎ、ベホイミでHPを回復させようと選択ウインドウを出したその時、突然家の窓を「ガンガン!」と叩く音が。

 画面に集中していたためビックリしてAボタンを押してしまったのですが、消えるウインドウの端にあったカーソルは「ベ○○○」を指していたので、ちょっと安心して、窓の様子を見に行こうと立ち上がりました。しかし、横目に見た画面の先で勇者が繰り出した呪文は、「ベギラマ」……。家の窓を叩いていたのは、ゲームをクリアして興奮状態の友だちでした。あの時のことは、新しいドラクエが出る度に笑い話になります(笑

寄稿:駿すけ 男 1974年生 東京育ち 会社員


あのときのような感動体験は今もある?

 『スペースインベーダー』、『ギャラガ』、『ゼビウス』・・・等。ゲームといえばアクションものでした。ファミコン用のソフトもほとんどがそう。

 そのなかで『ドラゴンクエスト』は、まさに画期的! RPGなる、それまでとは全く違ったカテゴリーの登場でした。皆が熱中し(当然私も)、寝不足になり、学校・職場での話題が「あのアイテムはどこ?」「裏キャラはここに」とゲームの攻略になったり、高橋名人とは別のジャンルでのゲームの覚醒だった気がします。

 あれから四半世紀を迎えようとしてしているなか、急速なコンピューター技術の革新により、絵は綺麗になり、動きはよりリアルに複雑になり、攻略の難易度も上がり進歩している。

 なのに、子供たちに、あのときのようなあの感動が無いなあ、と感じているのは果たして私だけなのであろうか。攻略本も数多く出版されていて、自分で苦労しなくてもゲームが完結できる昨今。ゲームの中の勇者になっていたあのころが懐かしい。

寄稿:木島 史靖 男 1964年生 長野育ち


2人パーティーで竜王を倒す

 私がドラクエ1をクリアしたのはかなり後の方だった。先にドラクエ2という壮大なRPGをクリアしてしまったため、もはや寂しいひとり旅などやる気が無かったのである。そんな私も夏休みに入り、暇を持てあまして仕方なく1を始めた。

 当時の私は、「いかに低いレベルでクリアできるか」に情熱を注ぐ傾向があり、謎解きなどそっちのけで爆進し、なんとレベル8でリムルダールの街までたどり着いた。しかし、さすがにそんな低レベルでは周辺の魔物にかなうハズもなく撃沈・・・。地道に努力するということを少し覚えた瞬間でもあった。

 その後はレベル26で見事ドラゴンを倒し、姫を救出。そして姫と一緒に宿屋に泊まると、

「さくやはおたのしみでしたね」

 ガーン!! さすが勇者、出会ったその日にイキナリだなんて・・・。思わぬところでドラクエ2の伏線を見たような気がして、少し苦笑いした。

 もちろんその足で「お姫様だっこ」をしたまま竜王を倒し、世界に平和をもたらしたのは言うまでもない。記念すべき初のRPGは寂しいひとり旅ではなく、超ラブラブな2人パーティーだったのである。

寄稿:Peco 男 1979年生 兵庫育ち デザイナー


必死に貯めた小遣いの行き先を変えるほどの魅力

 たしか、当時狙っていたソフト(何かは忘れた)をGETすべく、小遣いを握り締めお店に向かったときのこと。レジ前のショーケースへと駆け込むと、目に飛びこんできたのは何故か新商品と書かれたドラクエであった。鳥山明のイラストにひかれたのかもしれないし、パッケージから壮大な世界を感じ取ったのかもしれない。とにかく、無謀にも必死にためこんだ小遣いの行き先を変える魅力を感じたのだ。当時、貯金箱が『おっとっと』というスナック菓子の空箱だったという貧乏ぶりからも、貴重な蓄えをよくぞと思い返します。

 さ〜て買ったはいいが、RPGという未体験のゲーム。スタート直後の王さまの部屋を出るのに15分はたっぷりと費やした。そして初の武器屋デビュー♪ わずかなゴールドしか持ち合わせていない僕は、迷わず「たけざお」を買った。しかも買いまくった・・・。敵に投げつけるつもりだったのか、二刀流になるつもりだったかは覚えていないが、強くなると確信していた。きっといろんな可能性を感じてたのだと思う。しかし、その数分後リセット&再スタートをきったのは言うまでもない。

 失敗を重ねて、RPGというものがわかってきた。町人からのヒント、初のコンティニュー(復活の呪文)、必然的に1冊のドラクエ帳が作られた。もちろん表紙には『ドラゴンクエスト』のタイトルが、大きな丸秘つきで。そして周囲の友達も始めるようになり、情報交換や進み具合を語り合った。本当に楽しかった!

 ゲームはもちろん、目的の周辺がとても楽しかった。「リムルダールの町の下の方にはよくゴールドマンが出る!」ときくと、一心不乱に倒しまくった。そう、憧れの「魔法のよろい」を手にすべく・・・。7,700Gもしやがったが、数歩あるくと体力が回復する点には感動した! その後出会う、タダで手に入る「ロトのよろい」を知らずに・・・。そして、最終局面、あっさりと竜王の誘いに乗る。レベル1・・・。

 さて、その勇者の名は「さゆり」。そう私は当時、おニャン子の国生ファンだった。そんなこんなの思い出もぎっしりである! きっとどんなに技術がすすんでも、あのとき味わったRPG初体験は超えられないと思う。

寄稿:ロン太 男 千葉育ち 自営業


ドラクエシリーズでクリアした時の喜びが一番印象的だった

 このゲームを初めてプレーしたのは、小学生の頃、友達の家で。最初は、「なんじゃこりゃぁ?」という感じで、何をしていいのかさっぱり分からなく、説明書を見ても「?」で、そのまま何となくプレーしていました。結局その日は意味が分からないままでした。「たけざお」だけを装備したままずっとプレーしていたような・・・(笑)。

 その友達の家に何度も遊びに行き、ドラクエをプレーしていくうちに、ようやくRPGゲームの意味が分かりましたが、結局クリアは出来ませんでした。クリアしたのは、自分もファミコンを買ってもらってからで、発売してからかなり後だったと思います。

 現在まで、いろいろなRPGゲームが登場し、ゲーム性やグラフィックスなど、また音楽などもかなり進化し続けていますが、このゲームをあの頃意味も分からず、それでもプレーしたことで、RPGゲームの素晴らしさを知ることが出来たのではないかと思います。これまで発売されたドラクエシリーズは全てプレーしましたが、クリアした時の喜びが一番印象的だったのは、このドラクエIだと思います。ちなみに、「どうのつるぎ」を買える180Gが最初に貯まった時の喜びも、鮮明に覚えています。

 上下左右、どの方向に移動しても向きの変わらない主人公、壁や人にぶつかれば「ドンドンドン!」。人に話すときには、東西南北・・・etc.。今となっては、笑える部分が多いですが、このゲームが登場したからこそ、今のRPGゲームがあるのだと思います。自分と同じような時代にこのゲームをプレーした方なら、皆そう感じているのではないか、いや感じているに違いない・・・。

寄稿:クリボー 男 1976年生 宮城育ち スポーツインストラクター

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