ドラゴンバスター
ナムコ
1987.1.7発売
©1984 1987 NAMCO
ほどよい難しさとワザのかっこよさ
このゲームを知ったのは、鹿児島県の温泉郷のホテルのゲームコーナーでした。アーケードゲームのアクションRPGはこの作品が初なのでは?
時間内にダンジョンをクリアしないと突然襲ってくるケイブシャークという緑色のサメの口みたいなモンスターが衝撃的でした。また、剣を振り回す主人公クロービスの2段ジャンプの難しさがほどよく、下突き剣や兜割りといったワザもかっこよく、ファミコンに移植されてからは楽しませてもらった一本です。
中ボスを倒す時の駆け引きが絶妙で、ノーダメージで倒した時が快感。アイテムのキノコはライフアップができて大変貴重なため探しまくりましたし、スーパーソード3本でウルトラスーパーソードになるという、今でいう無双状態にするまでが醍醐味です。
12ラウンドをクリアした後の「裏ドラゴンバスター」をクリアするために、ダンジョンのアイテム配置を表と裏に分けてノートにとったりしていた頃がとても熱かった。ゴールドメッキのこのカセット、今では剥がれてしまってボロボロですが、数々の戦いの思いでが詰まっています。
寄稿:ウトヤスオ 男 1978年生 宮崎育ち 営業
シーフが憎い!
このゲームは一心不乱にプレーしました。アクションRPGの要素が高く、アイテムの豊富さ、モンスターの多彩さ、どれをとっても最高でした。
ただ、モンスターを倒して剣を入手した直後に、敵キャラのシーフに剣を奪われると、瞬時にやる気を失うゲームでもありました。昔のゲームはこのようにシビアであり、現在のゲームでは味わえないスリルがありました。私はこのゲームを通じて人生を学びました。
寄稿:ちゅん 男 1978年生 神奈川育ち 会社経営
荒いドット絵の水着姿に感動
このソフトは発売とほぼ同時に購入したソフトです。これまでは発売のほとぼりが冷めてから購入することが多かったのですが、このソフトは別でした。
当時高校2年生だった私は、部活の冬合宿があり、それが終わると同時に新宿のヨドバシカメラで買ったと記憶しています。ほかのソフトと同様に、ひととおり遊び倒してあまりしなくなったころ、ファミコン情報誌に裏技が載っているのを見つけ、目が釘付けになりました。
その内容とは「お姫様が水着になる!!」という裏面が存在することです。黒いワンピース姿のお姫様が……(ここら辺はあいまいな記憶ですけど)。
ファミコンの荒いドット絵の水着姿で感動していた20年前の俺……。刺激的な映像などが氾濫する現在では想像できないような牧歌的な光景が目に浮かぶ、昭和の終わりの思い出です。
寄稿:ぶいがんま 男 1969年生 東京育ち 会社員
ばあちゃん、ありがとう
小1の頃、ばあちゃんに旅行の土産にと「ドラクエII」を頼んだ。でも買ってきたのは黄金に輝くソフト『ドラゴンバスター』。当時60歳くらいだったばあちゃんにはそんな違いわかるはずも無いのに、俺はばあちゃんが憎くて、「ばあちゃんなんか嫌いだ!!」といってその日は一言もばあちゃんと話さなかったっけ。
物心ついたときから毎日いっしょに寝てたばあちゃん。でもその日だけは両親と一緒に寝たんだ。ばあちゃんその日は寂しかったろうな。
んで、次の日学校から帰ってしょうがなく『ドラゴンバスター』をやってみた。そしたらこれが意外に面白い。夢中になって遊んでいると、ばあちゃんが突然部屋に入ってきて、「ごめんなぁ、○○○。ばあちゃん馬鹿だがらわがんねくてよぅ……(山形弁)」俺はゲームに夢中で、「もういいから! 入ってくんな!!」そう言われた時のばあちゃん、ほんとに悲しそうな顔してた。
でも、『ドラゴンバスター』が面白かったから、怒りなんてとっくに忘れてその日はいつもどおりばあちゃんの部屋に行った。布団に入るとばあちゃんがぎゅっと抱きしめてくれた。俺はその日、ばあちゃんに抱きしめられながらばあちゃんの腕枕で眠った。
ばあちゃんが死んでもうすぐ5年。ばあちゃん、あの時は本当にごめんね。急病で亡くなったばあちゃんに俺は何もしてあげられなかったけど、一人暮らししている今でもあの『ドラゴンバスター』は大事に持ってるよ。ばあちゃん、いろんな思い出をありがとう。
寄稿:名無し 男 1980年生 山形育ち 会社員
漫画を描くほど熱い想いに
趣味で簡単な漫画を描いてみたい!そんな思いがどこかにあったのか、落書き帳にコマを割って描いた初めての漫画が『ドラゴンバスター』だった(笑)。
このゲーム、確か必殺技というか特殊な攻撃として、剣を縦に突き立てたり、横にしたりする技があったように思うが、その技が僕の描いた落書き漫画にも登場。しかもこの漫画、もちろん宿敵はドラゴンで、当時王道の姫を助けるというストーリーにしていたように思う。そんな熱い想いにさせてくれたこの『ドラゴンバスター』に拍手を送りたい。
寄稿:けい 男 1976年生 滋賀育ち SE
またクリアしてみたい、やり甲斐のあるゲーム
このゲームは弟から盛んに「面白い」と聞かされていたのだが、あまりに連呼されると逆にいぶかしく思えるものだ。
中古で購入したのか、友だちに借りっぱなしなのか、今となっては出自不明ながら、ともかくゲームが毎日遊べるようになった。そして、これがまた本当に面白い。
マップには幾通りか進路がある上にダンジョンも広い。ダンジョン内を全部回ると体力も消耗するし、いつまでもウロウロしていると、ケーブシャークなんていう凶悪なモンスターまで出てくる始末。そこで折り良く雑誌の付録として付いてきたダンジョンのマップを見ながら、必要アイテムの位置なども考慮しつつ、最適と思われる攻略ルートを見つけ出した。
そこまでしたのだから当然クリアもした。しかしながら、マップもなくプレーもおぼつかない今となっては、そこにまで至らないのが残念である。それでもなお、いつかまたクリアしてみたい。そう思えるほどやり甲斐のあるゲームだ。
寄稿:KK 男 1976年生 愛知育ち 自営業
お年玉で買い、こたつでプレーした
冬の寒い日、ディスカウントショップにお年玉を握りしめて買いに行きました。当時はナムコがカリスマ的存在だったので、「ナムコのアーケードの名作らしい」というだけで買いに行ったのでした。金色のカートリッジになんだか淡い色づかい。当時、雑誌の攻略付録を見ながらこたつでプレーし続けたのを覚えています。
でもこのころのナムコって、「パックマン」、「ゼビウス」、「ドルアーガ」の頃に比べてなんとなく輝きを失いつつあった頃で、淡くて見づらい色づかいとともに内容も我を忘れて遊ぶほどじゃなかった気がします。
寄稿:TETSUYA 男 1974年生 大阪育ち 会社員
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