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ファミスタ'90 ファミスタ'90
ナムコ
1989.12.19発売
©1989 NAMCO

延長22回までもつれる大熱戦

 あれは今から17年前くらいの中2の夏休みのことでした。私はGチーム、友だちはどこのチームを使ったか忘れましたが、延長22回までもつれる大熱戦を演じました。

 たしか私が3ベースを打って、友だちが3塁に返球したとき、ボールがサードの横を抜けてファールゾーンまで転がっていきました。私はホームに行くのをためらいましたが、友だちは力なく「ホームに行けよ……」と言いました。今思うと恐らく次の攻撃で逆転する自信があったんでしょう。ですが、その裏の攻撃も0点に抑えて、私が勝ちました。

 今でも、野球ゲームをするたびにあの日のことを思い出しますが、あれ以上の大熱戦はそれ以来ありません。もう一度、あの日のような緊張感などを味わいたいものです。

寄稿:くわわ 男 1977年生 新潟育ち 団体職員


DチームでLチームとGチームを倒すことこそ喜び

 岐阜出身である僕は、このゲームが発売される一年前にセ・リーグを制覇した中日ドラゴンズの大ファンである。ゆえに、一番使用するチームはDチーム。

 当時は、「たつまき(立浪)」、ドラゴンボールでもないのに「ぴつこる(彦野)」「はいほう(大豊)」、そして四番ファースト「おみあい(落合)」、そして守護神「かくげん(郭源治)」を使えるのが嬉しかった。しかし、野球ゲームはおろか、ファミコン自体が不得意だった。

 友だちの家や、兄の友だちの家で何度もプレーした。僕の中では一番の立浪が出塁して、四番の落合でガツンと特大ホームラン!! そして最後は郭でシメ……という筋書きをいつも頭の中に入れていたのだが、それでもことごとく負けた。なぜか……。守備がど下手くそだったからだ。

 しかし、某野球ゲームで、「フライはボールの影を追えばとれる」「ボールは変化または緩急をつける/左右に投げ分ける/ボール球もうまく使う」ことを習得した僕は、幾年かの年月を経て、ついに勝利を手にした。

 特に僕の小さい頃は、秋山・清原・デストラーデ・辻・石毛・伊東がいた西武の黄金期、そして宿敵は巨人。すなわちLチームとGチームに勝つことが嬉しかった。

寄稿:がんばれドラゴンズ 男 1984年生 岐阜育ち 介護士


野球好きの友人と話し相手にさせてくれたゲーム

 やり始めたのは今から7年前、職業訓練校の寮でたまたま友人たちが遊び始めたのがきっかけだった。最初は野球のルールさえ全然知らなかったが、一人プレーで見よう見まねで何回もプレーし、対戦仲間の友人から「強くなったんじゃないの?」と言われ、野球好きの友人と話し相手にさせてくれたきっかけのソフトでした。

 今の野球ゲームはあまりにもリアルに追求しすぎたせいで難しくなってしまったが、このゲームは初心者にもやりやすいレベルだし、操作も丁寧に作れている。ファミスタシリーズが長く愛された理由がよくわかった。今でも一人でも熱くやり込んます。

寄稿:Usaden 男 1981年生 神奈川育ち パートタイマー ホームページ

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