ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境
バンダイ
1986.4.17発売
©MIZUKI.TOEI ANIMATION 1986 BANDAI
懸賞で当選!今も保管
このゲームは生涯唯一の懸賞で当選して手に入れたゲームでした。ガチャガチャに入っているミニ冊子に応募券が付いており、3枚一口で応募するものでした。たしか300名に当選だった記憶があります。
数ヵ月後、身に覚えのない郵便物が届き、当選と判明して大喜びしました。ゲームもエンディングはありませんが、たくさん遊び尽くしました。今でもカセットだけですが、売らず、捨てずで保管しております。当時は他の所持ゲームよりも大事に扱ってたなぁ〜。
寄稿:ユリトモのパパ 男 1975年生 埼玉育ち 会社員
散髪しない子どもたちが散髪屋に集まって夢中に
このゲームの発売当時、近所に新しく散髪屋がオープンしました。散髪屋の名前は「じゃあんぷ」。なぜ「じゃんぷ」ではなく、「じゃあんぷ」なのか、誰も真相は知りませんでしたが、ほどなくしてこの散髪屋は、僕の通っていた小学校では異例の【お客様以外出入り禁止令】が出るほどの人気スポットとなっていました。……というのも、この散髪屋さんは待ち時間の間にファミコンがやりたい放題だったのです!
当初は、純粋に散髪にやって来たお客に、店主が前の客を散髪してる間のちょっとしたひまつぶし程度に、お客を飽きさせないようにするサービスの一環だったのでしょう。しかしながら、子どもたちのネットワークはある意味、現代のITネットワークを凌駕するスピードで情報が伝達します。そして、伝言ゲームよろしく、末端に伝わる頃にはただ単に、「あそこの散髪屋はただでファミコンをやらせてくれる」という都合の良い部分しか情報が拡散していませんでした。
気がつけば、散髪に来る子どもはひとりで、なぜかファミコンだけをやりにくる子どもたちが10人前後。店の売上は2000円未満。でも店内はいつも満員御礼(笑) そして私も、その10人のうちのひとり。そしてその「じゃあんぷ」で皆が熱狂してプレーしたのが、このゲームでした。
今からしたらどうってことない内容の、無限ループアクションゲームでしたが、毛目玉のキャラが画面下からふわふわ出てくるだけでなぜかみんなが大盛り上がり。しかしやがて、お店から苦情が学校へ行ったのか、先生から散髪以外での出入り禁止が僕たちに通達されました。
今でもその散髪屋は健在ですが、昔も今も散髪の客として利用したことはないので、まだ店内にTVゲームを置いているのかは分かりませんが、存続している以上、店主の腕前は確かなのだと思います(笑)
寄稿:ピチパラキング 男 1974年生 広島育ち 会社員
目玉と毛目玉
このゲームはやはりエンドレスなんですね。当時はやってるうちに同じステージばっかりで目的がわからずにやっていました。
1up隠れキャラとして空から目玉の親父が降ってくるんですが、同時に降ってくるキャラの毛目玉(目玉の親父に毛が生えてる)をとると死ぬんですね。
あるとき、かなりステージが進み、残り1機しかなくて敵の猛攻で崖っぷちのときに、目玉の親父にすべての望みを賭けたところ、目玉の親父と毛目玉がぴったり半々にくっついて降ってきたんです! そりゃないよぉ……。「取ったらどうなるんかな?」と思い取って見ると……死にました。酷な話です。
あの頃、こういうファミコン初期ならではなくやしい思い出はたくさんあります。そこが今となっては笑い話となってます。みんな、同じ思いをしてファミコンと共に育ったんだなぁ、としみじみします。
寄稿:みよたん 女 1975年生 東京育ち 派遣社員
子供たちに嫌われたおもちゃ屋
あれは何歳だったか。ぼくは母親とともにどこかに出かけていた。どこだか覚えていない。母親の服装だけが鮮明に記憶に残っている。普段着ないような綺麗な服。
その「どこか」からの帰り、ぼくはおねだりをした。ぼくは母親を連れて、「おもちゃの山村」に入った。「おもちゃの山村」・・・。ここは小学生たちに嫌われていた。山村のオヤジはすぐ怒る。ぼくたちはよくバカにしていた。
山村の前にはレコード屋がある。なぜかファミコンもあり、店のなかにテレビをおいて、ファミコンを自由にやらせていた。とうぜんレコード屋は子供たちに人気があった。つまり、山村は子供たちに嫌われたおもちゃ屋、という宿命を背負ってしまったのだ。
しかし。ぼくはなぜか山村で「ゲゲゲの鬼太郎」を買った。本当は『スターウォーズ』がほしかった。なのに、山村は「鬼太郎」をすすめた。ゲーム内容はまったくおぼえていない。しかし、そのころ小学生のぼくは、「鬼太郎は最高のゲームだ」と思っていたのは事実だ。
山村がいなかったら「鬼太郎」には出会えなかった。嫌われつづけていた山村。けれど、本当はぼくはタダでファミコンやらせて子供たちを集めるレコード屋のおやじより、あんたのほうが好きだったよ。『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』と山村は、ぼくの大切な記憶だ。
寄稿:夏1976 男 1976年生 東京育ち 無職
「どえりゃあ損してまった」
アニメのゲーム化ソフト。懐かしいな。よく夏休みの10時くらいからやってたな(抱きあわせで「ドラゴンボール」「ハイスクール奇面組」→愛知での話)
というわけで早速プレー。これが難しい・・・。でもお馴染みの砂かけばばあ、子泣きじじい、塗り壁、目玉親父、ねずみおとこ(なぜかコイツは敵)も出てくるし、ぬらりひょんやバックベーアードなどの主要キャラも充実!! 音楽は耳から離れないよ・・・。
ただ、やり込みにだけは向きません。このゲームははっきり言ってエンドレスです。というのも去年の昼過ぎ、大学から帰ってすぐ友人とふたりで全クリ目指してスタートしました。
が・・・難易度が高いし、アニメでは最強だった鬼太郎も敵に触れただけでアウト。当たり判定もかなり大雑把で、当たってないのに鬼太郎は死にます。数時間やりこんで夜明けを迎えたところでいったんポーズ。そのまま授業を受け、帰宅し再スタート。また数時間プレーし、88面まで行く。
信じたくはなかった。気のせいだと思ってた・・・。いや、気づかないフリをしていた。「これさあ・・・。さっきから同じステージをたらい回しされてるだけじゃない・・・!?」
そうなのだ。ステージ、ボス、マップ。さっき倒したがや・・・。100面までいけばなにかあるはず、そう信じて更にやりこむも見事に101面がスタート・・・。「どえりゃあ損してまった」と、愛知出身の二人が落胆し、109面までプレーしたところでバグり終了。本体は熱くなっていた。
寄稿:てんしょん 男 1982年生 愛知育ち 学生
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