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グーニーズ2 フラッテリー最後の挑戦 グーニーズ2 フラッテリー最後の挑戦
コナミ
1987.3.18発売
©1987 KONAMI

攻略本をめぐり

 このゲームは当時小学生の私にはあまりにも難解過ぎた。クリアすることができなかったので攻略本を買うことに。当時、田舎に住んでいたので本屋の数が少なく、何軒か探したのち、ある本屋で攻略本を見つけ、喜び勇んでレジに向かっていった時にある衝撃の事件が……。その時のやり取りは以下の通り。

ぼく:「これください。」
本屋のおやじ:「〜円だよ。」
……私は図書券を差し出す。
本屋のおやじ:「(ムッとしながら)図書券かよ、父ちゃんか母ちゃんにいって金もらってきな!」

 ここの本屋は以前から品揃えもサービスも悪いことで有名だったが、素直に従い、家に帰って親に事情を話すと、親は激怒。二度とその本屋には行くなと言われました。私はどうしても攻略本が欲しかったので、結局親に隠れて現金をもってその店に行って攻略本を入手した。

 ただ、その店は数年後おやじが病気でなくなり、つぶれていました。でもこの攻略本のおかげでこのゲームをクリアすることができました。

寄稿:ちゅん 男 1978年生 神奈川育ち 会社経営


兄弟で協力して冒険

 いつもは喧嘩ばかりだった僕ら兄弟も、このソフトは協力してやった。マップが広すぎたので、攻略本を買い、交代でナビ。いつもは二人ともプレーヤーをしたがったけど、このソフトであれば、後ろで見ていても楽しかった。攻略本も説明不足で、二人で悩んだり、話し合ったり、本当に冒険をしているみたいだった。

 ゲームは1日1時間だった。でも雨の日は別。これをやっていた頃は雨の日が多くて、二人でたっぷりやり込めた。今でも雨の日になると、そんな幸福な思い出がよみがえる。雨の音、ヒーターの匂い、室内に干した洗濯物の湿気、そしてあのドアを開けたときの「ウーワッパ〜ン」という効果音。

寄稿:みなお 男 1975年生 千葉育ち 会社員


最強パスワードを公開しよう

 親戚の兄ちゃんの家にあったこのカセット。親戚の兄ちゃんと共にゲームの中身そっちのけでのめりこんだのは「パスワード探し」であった。

 他のゲームでもよくある、本来のパスワードを「少し」いじることによって、若干武器が増えていたりライフが増えていたりする。攻略そっちのけでそれにはまってしまった私には、このゲームの思い出=「パスワード入力画面」になってしまった。

 そして、その意味のない執念は奇跡を生んだ! 今現在、どんな攻略誌にも攻略系サイトにも掲載されていない最強パスワードを私たちは開発した。兄ちゃんとの「これは俺たちだけの内緒な。」という言葉を破ってここでそれを公開しよう。

「アホノマイキイアホノマイキイ」。ガセに聞こえるかもしれませんがホントです。

寄稿:陽一 男 1981年生 山形育ち 大学院生


盗み聞き、必死に覚えた14文字

 その頃私は小学校4年生だったと思う。周囲で流行っていた『グーニーズ2』を私も買ってもらい、攻略する毎日。ある日、友人と上級生の間で、「グーツーの最強パスワードを教えてやるよ」という会話が・・・。そして、盗み聞くように覚えたそのパスワード。

 パスワードというものは大抵意味不明な文字列であり、それを一度で必死に覚えたわけだ。教育心理学の世界では、7±2程度のものなら覚えれるものであるとされているが、その時私が覚えたパスワードというのは・・・「ケュソコママモマロチエソケハ」の14文字。ケのあとの小さい「ュ」がクセモノであった。

寄稿:teacher 男 1977年生 福岡育ち 大学院生


また、あの時の友達と一緒にクリアしたい

 私はこのゲームを初めてやったとき、まだ小学校1年生であった。その当時、世間はすっかりスーパーファミコンに世代交代していて、ファミコンブームは去った後であった。家にはスーパーファミコンしかなく、幼なじみの友達の家に行って、ファミコンをすることができた。

 当時の私達にとっては、このゲームは難しく、攻略本があってもクリアできなかったのを覚えている。1人専用ゲームだったが2人でいっしょに謎解きをしながら、進めて行ったものである。初めての場所に行けたときはお互い嬉しくて、とても気分がよかった。

 その友達は、3年半前に転校してしまった。そして、今度その友達がこちらを訪れることになっている。もし会うことができたら、また一緒にこのゲームをクリアしたい。

寄稿:真野アヅサ 女 1987年生 福島育ち 学生 ホームページ

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