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ヘクター'87 ヘクター'87
ハドソン
1987.7.16発売
©1987 HUDSON SOFT

広島大会決勝で高橋名人に肩を叩かれた

 当時の私は「コロコロコミック」を愛読し、高橋名人を知り、憧れ、シューティングに熱中してました。

 グレートキャラバン広島大会、小5の私はバスに乗るのも初めてで、まったく知らない土地に一人でたどりつけるのか不安になりました。そして無事にたどりつき、予選を勝ち、決勝に進むことができました。

 決勝の5分モードは練習不足でまったくダメでしたが、高橋名人に肩をポンと叩かれたことはいまだに私の思い出として深く心に残っています。その時にもらったグッズ等は今でも大切に持っています。

寄稿:花谷 賢ニ 男 1976年生 広島育ち


高橋名人も登場した全国キャラバンでの苦い経験

 この年の夏は燃えていた。一年前の全国キャラバンは、ノーミスだったのに予選落ち。今年こそは何としても予選突破し、Tシャツをゲットしてやると意気込んでいた。

 発売日がかなり遅れたが、勉強そっちのけで練習に没頭し、予選モードにかなりの手応えをつかんだ俺は、上位入賞に目標を切り替え、決勝モードの練習に励んだ。

 いよいよ大会当日。会場は超満員で、うまそうな奴ばっかりだったが、ある程度自信はあった。ところが予想だにしない出来事が起こる。なんと、並んだ順番の都合で、会場全員に見られてしまう大画面モニターに当たってしまったのだ。高橋名人も登場して、俺の緊張は頂点に達した。

 だが、練習はウソをつかなかった。頭は真っ白でも高得点に向け、指先が練習の通り忠実に動く! あっという間の2分間。予選突破ラインの得点はたたき出したが、案の定レベルの高い大会になり、またしても予選落ち。あれほど練習した決勝に進めなかった……。

 この年もあの憧れの黄色いTシャツを獲得できず、残念な結果に終わったが、今でもふと思い出すとセピア色の記憶と共によみがえり、ファミコン世代で良かったと改めて思うの今日この頃である。

寄稿:ニュータイプ 男 1973年生 福島育ち 会社員


どれをとってもはなまる

 このゲームはお気に入りでした。ステージ演出、音楽、2分・5分モード(キャラバン用)、どれをとってもはなまるです! ちなみに連射用のコントローラーでないとプレーできませんでした。当時ワタクシは小学生で、『ヘクター'87』はもちろん、ファミコンそのものに夢中でした。まわりのみんなもそうで、時にはお叱りを受けることもありましたね。ゲームのやりすぎ→勉強がおろそかになる→テストの点が低い→通信簿低評価……など。

寄稿:小出 健太郎 男 1976年生 千葉育ち 会社員


発売当時は敬遠してしまったが今こそ極めてみたい

 「この機体は一切パワーアップしません」

 1998年頃にプレーした某シューティングで、ある機体を選択するとこんな風な注意書きが出てましたっけ。『ヘクター'87』というゲームは、まさしくソレでした。

 実は発売当時に私はこのゲームをプレーしませんでした。当時からシューティングのヘタヨコだった私は、タテ+ヨコ交互のスクロール面、遺跡みたいな風景、HP(ヒットポイント)方式、そして何よりキャラバンゲームということで、何だか面白そうだとそそられてはいたのですが、 結局プレーせず少年時代は過ぎ去りました。

 そして初プレーは学生時代、所属サークルの部室でしたが・・・。激難。エネルギーは一瞬で削られる攻撃ばかり。さらに驚愕の事実が、アイテムはHP回復のみで、パワーアップ無し。「こっこっこんなカタいゲームだったのくわっ!!!(爆)」

 でも、だからこそある意味極めてみたいゲームでもあります。今度機会があったらまたプレーしてみたいです。

寄稿:いつしまあじし 男 1975年生 東京育ち プログラマー

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