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ハイドライド・スペシャル ハイドライド・スペシャル
東芝EMI
1986.3.18発売
©1986 T&ESOFT

貸したカセットを紛失された替わりに……

 「貸してもらったカセットを無くしてしまった」という電話が、友だちのお母さんからかかってきた。「今、おもちゃ屋で同じタイトルの物を探しているけれど、見つからないので、他に欲しいゲームはないか?」と。僕は、「じゃあ『ハイドライド・スペシャル』を」と即答しました。そのような経緯で手に入ったゲームです。その時たまたま出かけていた母に、「知らないカセットが家にある理由」を話し、当然怒られました。

 軽やかなBGMと、それに伴わないゲームシステムの分かり難さ。今思えばインターフェースや攻撃と防御の概念等にクセがあったのだと思います。内容も難しく、どんなに頑張ってもサンドウォームのあたりから進めずに諦めかけていたころ、無敵技を知り、それを使ってエンディングを見ました。当時はとにかくボスを倒してクリアした、という達成感のみで、つい最近プレー動画を見て、初めてストーリーを把握しました。

寄稿:もにもに 男 1977年生 東京育ち クリエイター


クリア以降のやり込み要素がない

 一般的には「クソゲー」との評価が高い本作ですが、私の評価は「可もなく不可もなく、というかクリアまでの時間が短くて評価しにくい」です。

 結局、入手後3日目にしてクリアしてしまいました。総プレー時間は20時間以内でしょう。あまりのあっさりとした結末に私は呆然としました。「もっと楽しめると思っていたのに……。」

 例えばドラクエ3ならクリア後も楽しめますが、当時の私はクリア以降のやり込み要素を本作に見いだすことができませんでした。今後も見いだすことはないでしょう。どなたか「クリア後もこうすれば楽しめる」という方法をお知りの方はご一報下さい。

寄稿:玄陵 男 1968年生 愛知育ち 社会人


何もわからない

 親の転勤で引っ越すときに、友だちから餞別としてこれをもらった。もらいものなので、箱も説明書もまったくない。ファミコン本体にカセットを設置し、いざ冒険へ!

 スタートボタンを押すと主人公らしきキャラがいきなりフィールドに立っている。何をしたらいいのか、最初にどこへ行くかもまったくわからない。ヘタに遠くにいったり、洞窟らしきところへ入ったら、たちまち敵にやられる。その前に敵に攻撃してるのか攻撃されてるのかがさっぱりわからない……。

 結局、そのまま意味がわからずにやめてしまった

寄稿:安藤 男 1983年生 国外育ち 学生


みみず最強

 攻略本がないと絶対にクリアできないこのゲーム。兄はソフトと攻略本を持っていたものの、途中で投げ出した。それをもらって最後までクリアした。

 物陰に隠れての攻撃とか、背後からの攻撃とか、勇者らしからぬ卑怯な手段でないと、敵モンスターとまともに戦えないのがものすごいリアル。今でも攻略方法は完全に覚えている。

 まわりの友だちはみんなクソゲーと言っていたが、僕の中では一番好きないいゲーム。ただ、レベルをマックスにあげても、サンドウォーム(みみず)という敵モンスターに瞬殺されてしまうのが今も納得できない。

 なんだあの強さ。みみずに殺される勇者。そしてその勇者に倒される魔王。

寄稿:vb 男 1976年生 岐阜育ち 会社員


あの時あこがれたゲームは大人買いでクリアに至る

 こいつが出回っていた当時は、クソゲー、裏技の材料ソフト、と誰からも好評価を得ることがなかったソフトだと思います。

 しかし、なぜか僕には異様なまでに面白そうに写ってました。友だちが持っていたので、「やらして」と頼むんですが、「はっ・・・? おもろくないから、『バルーンファイト』やろうぜ」と断れるてなもんで。でも、小学生時分に、たとえクソゲーと言えど、「つまらんからあげるよ」とまではいたらないんですよね。買うほどの金もないし。やりたかったなー。

 それが大学に入り金に余裕ができた途端、売ってあるのを見た瞬間、即買いでしたね・・・。それもこれも、あの頃に残してきた欲求のワンピースを埋めるため。

 ゲーム自体は、大人の僕には簡単でした。あっけなく、すっげー簡単にクリアしました。そして、クリアしてちょっと、しんみり。そっと天井を見上げ、あの頃の僕に「やったぜ・・・」と伝えたとか、ないとか。

寄稿:Morris 男 1977年生 熊本育ち 会社員


中古ショップで売買取引の主要銘柄となったソフト

 そろそろ昭和も終わろうかとしている頃、近所のデパートの4階に中古ゲームショップができました。当時、私の地元ではゲームショップ自体がまだ珍しく、中古販売をしている店はここ一軒でしたから、値段に関して相場らしい相場がありませんでしたし、相手が子供でも、親の承諾書無しで買い取りしてくれました。しかもこの店、何故か在庫数による極端な変動相場制だったために、価格が一週間もすれば大幅に変わってしまうのでした。(恐らく店長はゲームの知識も無かったのでしょう、89年当時に『ファイナルファンタジーII』を200円!で買った覚えがあります。)

 私はそうは思わないのですが、クラスのみんなの間では、『ハイドライド・スペシャル』(以下ハイドラ)はつまらないと評判でした。「マップが把握しにくい」「敵が鬼強い」「キャラが攻撃してるんだかどうだか解らない」「敵を叩いた時の音(ブシッ)がイヤ」「パッケージに騙された」とか、散々な言われようでした。そんなわけで、ハイドラは子供たちと近所のおもちゃ屋から大量流出したため、在庫が豊富で、実売100円で売っていました。

 そんな中、一人の小学生が、毎週極端に変動する買取価格を見て、値段が安いときに買い、翌週に高くなっていたら売るようにすれば、お小遣いが稼げるのではないか、ということに気が付きました。なかでもハイドラは最下限の値段である100円で売りに出されることが多く、彼にとっては鉄板の物件なのでした。

 しばらくして、シンクロニシティーとでもいうのでしょうか、周りの小学生も一斉に相場を読み始めるようになりました。それからというものの、「100円のハイドラは大勢の相場師によって買い取られ、在庫不足により一週間後には買い取り価格480円に生まれ変ったところで、すかさず売りに出され、在庫過多により再び100円に戻る」を繰り返すことになります。結局そんな子供たちが大挙して押し寄せ、1年と経たずにその店は潰れてしまいました。

 ・・・ハイドライドスペシャル、それは多くの小学生相場師を生んだ伝説のソフトなのでした。

寄稿:タカムラ 男 1979年生 静岡育ち 自由人

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