『思い出のファミコン』が本になりました
 

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カラテカ カラテカ
ソフトプロ
1985.12.5発売
©JORDAN MECHNER 1984 LICENSED FROM BRODERBUND
PRESENTED BY SOFT PRO

大雑把だが面白く爽快

 当時でもすごい貧弱かつ大雑把なグラフィックで、いかにも外国っぽい作りでした。タイトルからして「空手家」じゃなくて「カラテカ」ですから。

 構えないと一撃で死んでしまうところや、意地悪な鳥が飛んできて体力を奪っていくところが面白かったです。敵を壁際に追い詰めて、北斗百烈拳ばりの突きを連打してKOしたときは爽快でした。

寄稿:イニシャルM 男 1973年生 福井育ち


のっぺらぼう

 『カラテカ』……。当時、小学生だった私にはその言葉の意味が分からなかった。空手家ということだったのかな、と最近思っています。

 今思えば、ずいぶんな内容のゲームでした。スタート直後バックしていくと崖から落ちるし、罠である柵も小学生の私にはなかなか難度の高いものでした。

 カセットにはかっこいい格闘家のような絵が書いてありましたが、実際の画面ではのっぺらぼうでしたね。それでも、友だちと交代でプレーして、その空手家の怪しげな動きに笑ったものです。

寄稿:品田 男 1975年生 埼玉育ち 会社員


皆でバンザイしながらハイキック

 当時小学生だった私は、不気味なBGMと波の音しかしないこのゲームをやった後に、友だちの家から一人で帰るのが怖かったです。

 構えずに殴られ即死、串刺しで即死、カラスで即死、極めつけはスタート地点から後ろに下がって崖から落ちて即死、と容赦のない難易度でした。

 学校でもカラテカごっこが流行り、皆でバンザイしながらハイキックしてました。それだけインパクトの強いゲームでした。クソゲーだけどね。

寄稿:アパしょー 男 1975年生 群馬育ち メカニック


20年前も俺、ここで串刺し

 最近ネオファミコンを買い、夫婦でハマッています。そして、この『カラテカ』もやりたくなって購入。手にした時に、20年前友だちと遊んでいた時のことを思い出しました。そして、あの柵へ到着。

 いざ柵へ挑戦! しかし、串刺し。げげっ! でもその時、思い出した。20年前も俺、ここで串刺しになったじゃん!! 結局、あの時もマリコ姫助けられいまま……。あの時のことを思い出しながら、マリコ姫救出をもくろんでいます。

寄稿:ぜんごろう 男 1971年生 北海道育ち 運送業事務


クリアしないと次のゲームを買ってくれないから・・・

 発売当時からいきなりクソゲーと呼び声高かったこのゲーム。当時何歳かは忘れましたが、小学生だった私もやはり「何だこのクソゲーは!」って思っていました。

 しかし、我が家はゲームを買ってもらったら、クリアするまで絶対に次のゲームは買ってくれないことになっていたのです。仕方なくかなりやりこんで、一応クリアはしたのですが、ひとつわからない点がありました。それは、試合前にする礼です。

 礼で始まっても礼では終わらない!というのもありますが、そうではなく、これはときたましか出なく、友だちと一緒に出そうとがんばってたのを覚えています。友だちは不満そうでしたが・・・。出せる条件ってあるんだろうか・・・。

 ちなみにクリアは、あの最初は絶対ひっかかる柵を越えたら、後は個室で1対1となるので、壁に追い込んでキック連打をしていれば、相手は何もできないまま倒せるので簡単です。

 しかし、あの柵とかカラスとかの罠を仕掛けるくらいなら、1対1などせず、大勢で殺りに来たほうが早いのでは・・・と思ったのは私だけだろうか。

寄稿:ハップギーン議長 男 1977年生 石川育ち イラストレーター


ゲームの天才であった私の人生の汚点

 当時の私はゲームの天才でした。出し惜しみしない資金力を背景に、子供ながらに優れた情報収集能力を発揮し、同級生達を悩ますあらゆるゲームを攻略したものでした。『たけしの挑戦状』、『グーニーズ2』、『ハイドライド・スペシャル』・・・、同級生達を絶望させてきた幾多のソフトたち。もちろんこれらも攻略しました。

 が、ついにやつが、ついに攻略できないものがやってきました。ある日のこと、ゲーム名人の友達の中を巡りめぐって、奴はついに私の元へやってきた。嗚呼、『カラテカ』。君だけはクリアすることが出来なかった・・・。柵を越えても、鳥などの敵も越えても、ついにはゴールへたどり着けなかった。私の人生の汚点、『カラテカ』。君の名を忘れない。

寄稿:台風 男 1976年生 埼玉育ち 弁護士


柵が越えられないんです・・・

 小学生時代におそらく初めて味わった「挫折」だと思われるゲーム。それまでは『デビルワールド』や『ディグダグ』等といった、終わりのないゲームをしてただけかもしれないが。

 ターニングポイント(?)は柵ですねぇ。どーやっても柵を越える事ができなくて、走り抜けたりすり足で抜けようとしたり、一旦罠作動後に上がるタイミングで走り抜けようとしたり、小学生ながら必死で探ってたのを覚えてます。でも、結局どれも正解ではなく、必ず柵で一撃で死亡してました。どうやっても柵が越えられないので途中で辞めて封印したのを今でも鮮明に覚えています。

 それから約20年が経ち、そんなゲームっ子の俺も28歳。今でも姫を助けられなかったのが心のトラウマとして引きずりながら働いています。んなぁ事ぁないけど(笑)。

寄稿:おっさん 男 1975年生 兵庫育ち 会社役員


リアリティを追求した先が「クソゲー」

 まさに伝説の「クソゲー」であったと思います。

 まず、スタートしたすぐ後にうしろに歩いて崖から落っこちれば死ぬ。構えないでてくてく歩いて敵とすれ違おうものなら即座にやられる。当時の小学生程度のゲームレベルでは考えられない難易度であったが故、「クソゲー」のレッテルを貼られてしまった最初の作品ではないでしょうか?

 それもこれも制作者のリアリティの追求であったのかもしれないが、それ故当時の小学生ゲーマーにけむたがられてしまった作品であったと思います。

 一回くらい敵と触れた程度ではやられない、何かしなくても何とかなる、という当時(今も?)の甘っちょろいゲーム風潮に喝を入れた、初期の貴重な作品だったと思います。もちろん僕もクリアなんざできませんでしたけどね・・・。

寄稿:よう 男 1976年生 静岡育ち 情報処理技術者 ホームページ

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