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けっきょく南極大冒険 けっきょく南極大冒険
コナミ
1985.4.22発売
©1985 KONAMI

「けっきょく」といえば

 このゲームは、すぐご近所に住む同級生の女の子Sさんというかわいい女の子が持っていました。私は、その少し前にそこへ引っ越してきたということもあり、まだ交友関係が狭く、よくそのSさんと遊んでいました。男の自分と彼女では、なかなか共通する遊びもないため、ファミコンが恰好の遊び道具でした。

 貧乏な我が家にはないものが、彼女の家にはたくさんありました。ファミコンもそうですし、ピアノもそう。クーラーを見たのも彼女の家が初めてでした。そんな彼女に淡い恋心と、貧乏なボクには彼女はどうせ高嶺の花じゃん、的な思いが複雑に絡み合いながら、遊んでいたことをこのゲームのタイトルを聞くたびに今でも、思い出します。

 あれから二十数年が経ち、お互いに家庭を築いた今、いまだに会社などで、「けっきょく」というフレーズの後には、必ずといっていいほど「南極大冒険」と口走ってしまう私は、この幼少の頃の淡い思い出がもとになっているような気がします。

寄稿:ピチパラキング 男 1974年生 広島育ち 会社員


このゲームで初めてボタンの連射を学ぶ

 これは、今はなき某駅前の西武デパートで買ってもらいました。あの時はゲームを買ってもらうのも遊ぶのも、いい意味のドキドキ感がありましたね。

 このゲームはやっぱり主役のペンギンの可愛さ! 穴に落ちたときにはい上がろうとするしぐさ、ころんだときの効果音がまさに「おっとっと」をあらわしていたり、など。ペギコプターではボタンを必死に連射していました。今から考えるとこのゲームで初めてボタンの連射を学びましたね。

 かすかな記憶では、2週目はちょっぴり難しくなっていたような気がしますが、これもまた怪しい記憶です。

寄稿:あかいかわ 男 1977年生 神奈川育ち 公務員


飽きずに長期間やり続けたソフト

 このゲームは他のソフトに飽きた時によくやっていました。内容的には他に持っていたファミコンソフトに比べて面白いというわけではなかったのですが、なぜか一番長くやり続けたソフトでした。

 僕だけではなく姉たちも暇があるとこのソフトをやっていました。「何が魅力なのかな?」今でもその答えがわかりません。面白くて熱中してたわけでもなく、かと言ってつまんなくて飽きるソフトではありませんでした。

 プレー時間はたぶん僕が一番はまったソフトの「ドラクエIII」を超えていると思います。でもこのタイトルを聞くと一番懐かしい気持ちになるソフトでもあります。

寄稿:エニクス 男 1983年生 群馬育ち 会社員


飛び方が苦しそうなペンギン

 このゲームは最高です。シンプルイズベストをつらぬいた作品です。

 ペンギンがアザラシにぶつかる音と、そのあとでよろめくシーンが大好きです。南極についてもたいしてすごいシーンが見られるわけでもない、そのチープさが大好き。ペンギンの飛び方が苦しそう。ペンギンを応援したくなります。またやりたいな〜。あの音楽とともに〜。

寄稿:ミハヤ 女 SE ホームページ


「ソフトあり本体なし」だった不遇時代の一本

 ファミコン本体の値段、14,800円。当時小学5年生、「小学生のお小遣いの公式」どおり、「学年数×100円」の500円が月の小遣いであった私には、とても手の届く代物ではなかった。

 ファミコン登場から2年近く、ぼちぼち友人の家にもファミコン本体が普及し始めた当時。否が応にもファミコン欲しい熱が高まった挙句にとった手段は、ファミコンソフトのみの先行購入、というものだった。ほんとは任天堂の『ゴルフ』がなぜか欲しかったのだが、近所の量販店では売り切れが続いたため、その買いたくても買えないリビドーをなんとか解消するため、妥協の上購入してしまったのが、この『けっきょく南極大冒険』だった。(実はコナミのファミコン初参入ソフト)

 本体購入までのしばらくの間、友人宅で肩身せまく、このソフトで遊んだのは言うまでもない。(当時、同じような「ソフトあり本体なし」の流浪の同級生はけっこういた)

寄稿:深田 洋介 男 1975年生 東京育ち 編集者 ホームページ

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