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ロードランナー ロードランナー
ハドソン
1984.7.31発売
COPYRIGHT ©1984 HUDSON SOFT WITH PERMISSION OF BRODERBUND SOFTWARE INC ALL RIGHTS RESERVED

エディットモードでパニックアクションゲームに

 このゲームで思い出深いのが、エディットモード。自分たちでオリジナルのステージを作って楽しめるモードだ。

 ただ、当時小学生だった僕には、どんなからくりを作ろうとも、所詮各ステージの焼き増しでしかなく、そんなに面白いステージが作れるわけではなかった。作った所で、自己満足に近いものだった。

 そこで自分が考えたのが下のステージ。「だったら超シンプルに作ってやれ!」というコンセプトの元、作ったオリジナルステージです(笑)。



 ……ただし、このステージ、裏技でスピードMAXにしてやるのが前提なのです。友人に「はい、やってごらん?」といってコントローラーを渡してスタートするとどうなるかというと……。

 スタートボタン押した瞬間! 「チャラリラチャラリラチャラチャララ〜〜〜」とアッ!という間に瞬殺されます(笑)。要するに、敵が瞬間的に襲ってくるのです。

 クリアするテクとしては、十字キーの左上を押したままスタートし、最初の階段を登りはじめたら右上を! 右のはしごを登り始めたら左上を! をラストまで走りきるのです!

 完全なパニックアクションゲーム。いろんな友人の家でこれを作っては、大爆笑と共に大好評でした(笑)。まだカセットお持ちの方、一度おためしあれ。

寄稿:CHO 男 1973年生 愛知育ち デザイナー


「ブタ」にしか見えなかった

 スクロール先に突如現れる敵キャラに驚き、落下先では敵キャラに左右から挟まれて慌てて穴を掘るが、敵に近過ぎて掘れない、しまいには焦って自ら掘った穴に落ちてしまう始末……。

 とにかくスリリングで、何度も汗の付いたコントローラーをティッシュで拭きながら遊びました。この敵キャラ、「ロボット」の設定でしたが、僕たちには「ブタ」にしか見えず、「ブタが来た、逃げろ!」と友だちと叫びながら遊んでました。

寄稿:つむちゃん 男 1976年生 福島育ち 商社マン


必ず「生き埋め」でゲームオーバー

 小学生の頃、友だちの家へ遊びに行った時には必ずと言っていいほどプレーしていた『ロードランナー』。家が貧乏で家庭用ゲーム機を買ってもらえなかった私にとって、友だちの家で『ロードランナー』をやっている時が一番幸せだったように思います。

 でも、小学生にこのゲームは難しかったですね〜。毎回毎回、始まって数分で「生き埋め」ですもの(笑)。持ち主である友だちも、なぜか毎回「生き埋め」でゲームオーバー。なので仕方なく、「どっちが長くプレーしていられるか」や「スピード穴掘り競争」といった、ゲームのストーリー完全無視の楽しみ方で遊んでいました。

 当時は、どんなものを与えられてもそれで遊べてしまう「想像力豊か」な子供だった私たち。「現代の子供はこういう感覚になれないんだろうな〜」なんて考えながら、今でもたまにファミっ子になっている自分がいます。

寄稿:阿寒湖まりも 男 1972年生 北海道育ち フリーライター


はまったエディットモード

 ファミコンを買ってもらったときに一緒に買ってもらったソフト。今から思うと、なぜこのソフトだったのかは思い出せないけれど、当時小学校低学年の僕には高度すぎたような気がしつつも、かな〜り楽しんでました。

 そしてはまったのがエディットモード。友だちに、「クリアできないだろ〜」と言われて作られた面。これがどうしてもクリアできなかったので、悔しいけれど降参。そしてブロックすり抜けの裏技を教えてもらった時には感動と驚きで一杯になりました。懐かしい。当時一緒にファミコンをやった「あっくん」、今はもう結婚して家庭とか持っているのかな。

寄稿:あかいかわ 男 1977年生 神奈川育ち 公務員


うやうやしくプレーした

 これは覚えている限りではファミコン初体験で遊んだソフト。まだ自分の本体は持っておらず、もっぱら友だちの家をお邪魔した時に遊ばせてもらうわけなのだが、外で遊ぶことの方がどちらかと言えば多かったし、そう毎日毎日できるわけでもなかった。今思えば、それはもう、うやうやしい気持ちで対峙していたものだ。

 たいてい友だち数人で交代で遊んでいたのだが、皆うまくてなかなか自分の番が回って来ない。ようやく自分の番が回って来てもゲームに不慣れなためにあっけなく終了。それでも満足していたかどうかまでは覚えていないが、好きなだけ遊べる今と違って、また特別な、貴重な時間を過ごしていたような気がする。

 そういえば、敵から逃れるのに必死で、勢い余って逃げる方向にコントローラーまで一緒に、しかも思いっ切り引っ張ってしまい、本体は吹っ飛びゲームは止まってしまった、ということがあった。それからは注意するようになったが、慣れない頃はこういう経験のある人もいるのではないだろうか。

寄稿:KK 男 1976年生 愛知育ち 自営業


ワクワクできる奥の深いゲーム

 これぞ僕の元祖ハマリゲー! かつてこれほどワクワクできたゲームがあっただろうか。埋めても埋めても復活してくる敵ロボット、レンガの奥に隠された金塊、紙一重で敵をかわして脱出用ハシゴへダッシュしたときの緊張感!

 単なるアクションゲームにパズル要素を組み合わせたこの『ロードランナー』は、僕をとりこにするのに充分だった。余裕でクリアできる面もあれば、友だち数人といくらやってもできない面も。一番難しかったのは、ハシゴとバーしかなく、穴を掘れないステージ(確か17面だったかな? 定かではない。)。

 今考えると、敵ロボットを埋めないとクリアできない人はまだまだシロウト。敵ロボットの動きをコントロールできて初めて脱初心者って気がする。その理論は続編の『チャンピオンシップロードランナー』で確かに証明されることになる。それを思うと、今でも大人が楽しめる奥の深いゲームだな。またやりたいな!

寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 企画戦略部署兼任営業担当


「Aを13回」押したスピードこそ我が家の定番

 小学校二年生当時、東京都町田市に住んでいた私は、父親に連れられて、新宿のヨドバシカメラに『スーパーマリオブラザーズ』を買いに行きました。しかし、品薄状態でやむなく買ったのがこのソフト。とはいえ、結構はまりました。親父と共に。

 ステージが始まる前の黒い画面の時にセレクトを押すと、面を選ぶことができ、その画面でセレクトを押したままAボタンを押すと、キャラのスピードをアップさせることが可能でした。普通のスピードじゃ飽き足らず、「Aを13回」押すスピードが我が家の定番。歳の離れた父と共に楽しく遊んだのを昨日のように思い出します。

寄稿:teacher 男 1977年生 福岡育ち 大学院生


エディットモードで友人を陥れ

 私が初めてプレイしたファミコンソフトです。この手のパズルゲームは初体験だったので、大変苦労したのを覚えております。思わずジャンプしようとしてAボタンを押して、そのまま落ちたり。今考えるととんでもなく下手ですが、当時はそれでも楽しかったです。

 このゲームにはエディットモードが搭載されているのですが、絶対クリア不可能なステージも作れてしまいます。これを利用し、友人を陥れたりしてましたね。

「おいおい、こんなのもクリアできないのかよ。俺はできたぜ!」

・・・腹黒い小学生でした。

寄稿:草野団子 男 1974年生 神奈川育ち 物流関係 ホームページ

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