『思い出のファミコン』が本になりました
 

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レーサーミニ四駆 ジャパンカップ レーサーミニ四駆 ジャパンカップ
コナミ
1989.8.25発売
©1989 KONAMI

ミニ四駆を通じて覚えたことの数々

 私はミニ四駆ブームの頃、丁度小学生でした。もちろん毎日嬉しそうにミニ四駆ばかり触っていましたね。

 実は私はこのファミコン版のミニ四駆、ものすごく得意でした! ルーレットも当然目押しできていました。今になってスロットに役に立っているのかなあ。さらにミニ四駆を通じて、ドライバーやニッパー、電気ドリルなどの工具を使うことを覚えたと思います。小さい頃から手先を使い、電気やモーター、車が走る仕組みを、ガキながら少しは理解したのだと思います。子供の頃の遊びって大きくなっても忘れていないですしね。

 懐かしさから先日ネットで田宮模型のTシャツを買いました。いつまでも少年の心を忘れないように……。

寄稿:しんさん 男 1979年生 兵庫育ち IT関係


どうでもいい知識ばっかり身について・・・

 このゲームは非常に難易度の高いゲームでした。内容は小学生がミニ四駆のレースに出て勝つために、様々なイベントをこなしてお金を稼ぎ、パーツを買ってレースに臨むというものです。

 恐らくほとんどの人が、まずゲームの主旨を理解できないで止めたでしょう。理解できたとしても、レースで勝つことができず、途中で投げ出したと思います。最初は僕も全く勝つことができず、何度も投げ出しました。最初にやったのが今から10年以上も前の小学校2年生頃、僕と1つ下の弟と、弟の友達と3人でよくやりました。

 あれからもう10年が経ってますが、いまだに攻略し続けています。(別にそれだけをやっているわけではなく、ちゃんと人生歩んでますよ!) ようやくのレースでどのセッティングをするのか。エンペラーやシューティングスターを手に入れるにはどうしたらよいのか。どうやれば思い通りにルーレットを回せるのか、大金持ちになる方法など・・・。はっきり言ってどうでもいい知識だけが身についてます。

 これだけこのゲームをプレーしてくれれば、ミニ四駆ブームの終焉とともに消えていった、ファイター、前ちゃん、メカニックマンたちも草葉の陰で喜んでくれてると思います。

寄稿:haruka 男 1983年生 山形育ち 大学生


すべては運次第

 中古で500円で買ったソフトです。世代的に、「ファミコン」「ガンダム」「ミニ四駆」は、3種の神器でありました。

 ミニ四駆好きで買ったこのゲームですが、すごろく形式で進めていくため、かなり運に左右されます。そして、一定期間すごろくをすると大会になるのですが、まず、大会までにパーツをそろえきれません。すべては運次第です。

 大会では、スピードを競ったりパワーを競ったりするのですが、大方の人は1回戦敗退となります。コンピュータだけになっても大会は終わりません。延々とコンピューターの試合を見続けることになります。暇で暇でたまりません。

 唯一、3つ目の大会の障害物レースでは運がよければ勝ちます。この3つ目の大会がやりたいがために、よくこのゲームで遊びました。が、すごろくは運、大会も運。現実とゲームは違うんだと見せつけられるゲームだと思いました。

寄稿:雪鷹 男 1979年生 宮崎育ち フリーター


ファミコンゲームでありながらシビアな一面も

 当時、俺は小学校低学年でした。全国的にもミニ四駆が流行っていたと記憶しています。少ない小遣いで、モーターを買ったり、シャーシーを買ったり、自分なりにカスタマイズをしていました。ちょうどその頃、ひとつ上の近所の友達が、このファミコン版を持っていまして、よく一緒に遊びました。

 内容に関しては微妙なんですが、いろいろなイベントがあって、自分が選んだミニ四駆をカスタマイズして、レースに出場して云々、確実に覚えていることは、ファミコンゲームでありながら、シビアなところがあって、しっかりとそのミニ四駆を調整してあげないとレース場にて突然コースから外れたりしたんです。あの瞬間は本当に盛り上がりました。

 あれから幾年が過ぎ、当時、ミニ四駆のパーツを買ってたお店も、主人の体調が悪くなって閉店。ひとつ上の友達も引っ越していった。俺自身、当時、「将来はゲームを作りたい!」なんていきがっていたが、今は大学で金融分野を勉強している。今まで何事もなかったように生きていたつもりだったが、しっかり生活が変化しているんだな、とつくづく感じる今日この頃・・・。

寄稿:担保債務証書 男 1983年生 愛知育ち 大学生

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