『思い出のファミコン』が本になりました
 

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桃太郎電鉄 桃太郎電鉄
ハドソン
1988.12.2発売
©1988 HUDSON SOFT

初めて友だちと夜を徹してプレーしたゲーム

 当時、仲の良かった友だちと、初めて夜を徹してプレーしたゲームだった。それまでにも、高い難易度や謎解きが難しく深夜までプレーするゲームはもちろんあったが、それはいずれも1人でやるゲームであって、眠くなったり飽きたりしたらいつでも途中で辞められた。

 とはいえ、1人だろうが4人だろうが、眠くなったり飽きたりする事情は変わらないはずで、やり始めの最初の時は、「まぁ3時頃まで持てばたいしたもんだ」的な、お互いに半分冗談みたいなノリだった。

 ところが、ゲームが終盤に入った3時を回っても誰も眠りに落ちていない。せいぜい数百万円の資産の変動に一喜一憂していた序盤から、終盤になるに従い数千万から数億円と膨れ上がるのだから、サイコロを振る指だって力が入るというものだ。もっとも、その数千万から数億円というお金の具体性については、おそらく当時の自分も含め誰もわからなかった、というか想像もできなかっただろうけど。

 結果、誰がめでたく「ももたろうビル」を打ち建てて優勝したのか、奇妙なことにこの点はまるっきり憶えていない。もしかしたら、その時はもう勝敗などどうでも良かったのかもしれない。

 いま冷静に考えると、別に感動的なストーリーがあるわけじゃなく、内実のない、単なる数字が飛び交う味気ないゲームを、よくみんなで徹夜してできたな、と不思議にさえ思う。同時に、そういう不思議な時代を、自分も確かに通過してきたんだな、とも思う。

寄稿:芦原 男 1976年生


進化はしているものの……

 はじめて自分で買ったゲームです。高校生の頃、土曜日の午後にこれをずっとやってました。

 大人になって、後のシリーズもやってみましたが、ゲーム的にはどんどん進化しているはずなのに、なぜかファミコン版ほどハマることができませんでした。

 ファミコン版はたしかターンが四季のみしかなかったのではないかと思いますが、そのシンプルさが良かったのかな、と思っています。(現在の桃鉄はとにかく懲りすぎている印象があります……。)

寄稿:はむ 女 1971年生 長崎育ち 主婦


大晦日恒例「年越し桃鉄」

 うちは家族揃ってゲーム好きだったから、大晦日の日は年越し『桃太郎電鉄』をやるのが恒例だった。最初は両親と兄と私で4人プレー。そして妹が生まれて、母親と幼い妹が一緒にプレーしてた。

 病気で生活の制限があった私は、その時だけ夜更かしも夜食も少しだけ許されてて、すごく特別な日だった。今は兄と私が実家を出て、なかなか帰る暇もないけれど……。両親と妹と、まだ恒例の桃鉄、やってるといいな。

寄稿:小冬 女 1978年生 熊本育ち 派遣


目押しが今のパチスロに生きてます

 かなりはまったねぇ〜。友達2、3人とよくやりましたよ。僕は、必ずと言っていいほど優勝?(優勝でいいか?)してました。

 さいころを振るときに、「1」の目が出る瞬間に投げるんです。そうすると、必ず「6」が出るんですよ。この公式を応用して、「2」を出したいときには「5」、「3」を出したいときには「4」ってぐあいに。あの「目押し」が、今のパチスロに生きていますね。

 1人で99年プレーしてクリアしたときには、国家予算ぐらい持ってましたよ。幼いころの記憶なので不確かですが・・・。

寄稿:happy 男 1975年生 北海道育ち


このゲームをしたことで高校受験に役立った

 すごろくゲームの代表作で、現在でも続編が出ているほど人気の高い桃鉄。そんな桃鉄にも、こんな時代があったんだよなぁと・・・。

 このゲームをプレーしたことで、自分が受けた影響はとてつもなく大きい。それは社会科の地理が好きになったこと、そして「得意な科目は?」ときかれたら、「地理!」と今でも言えることである。都道府県の名前や場所、各地の名産品や特産物、etc.・・・。

 ゲームをしながら勉強ができるという、当時小学生から中学生に進学する頃だった自分にとっては、何より画期的なゲームだった。

 続編もプレーしたが、新しい地域が増えていたり、名産品等も増えていたりと、もっと地理を勉強することができた。そんな自分に今でも忘れられない出来事があった。それは、高校受験当日におきた。

 社会の受験問題の中に地理の問題があり、たしか、「中国地方で日本有数の牡蠣の養殖地はどこか?」という問題があり、その時は「知らねぇ〜」って思ったのだが、なぜか頭に桃鉄のことが思い浮かんだ。「あれ? たしか桃鉄で広島県に牡蠣料理屋っていう物件があったような・・・」。そう思った瞬間、解答用紙に広島県と記入した。それはみごとに正解であった。

 たかが一問、されど一問だが、ゲームをしたことがこんな形で役に立つとは夢にも思わなかった。自分の得意な科目、それは、「地理〜〜〜!」・・・でも、日本限定なんだよなぁ(笑)。

寄稿:クリボー 男 1976年生 宮城育ち スポーツインストラクター

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