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謎の村雨城 謎の村雨城
任天堂
1986.4.14発売
©1986 Nintendo

学校の帰り道、友だちと口ずさんだ

 このゲームで一番印象に残っているものといえばズバリ、音楽。三味線、尺八などを音源で巧みに再生し、爽快かつ軽快、そしておどろおどろしい曲まで見事に再現していたと思う。友だちと音色をパートで分けて、学校の帰り道、延々とこのゲームの音楽を口ずさんで帰ったものです。

 取扱説明書にモールス信号でラスボスのヒントが書かれていましたが、当時小学生だった僕にはまったくその意味が解らず、挿し絵と共に、やみくもにミステリアスに感じていたものです。

 時代劇とSFを組み合わせた、言ってみればよくある設定だったかもしれませんが、とにかく任天堂の魔法に取り憑かれていた当時の僕は夢中でやりました。

寄稿:CHO 男 1973年生 デザイナー


ファミコンミニ版を母の日のプレゼントに

 ファミコンとの出会いは幼稚園の頃だった。その頃は何をどうすればいいのかわからなくて、単純なゲームしかできなかった。特にディスクシステムは起動の仕方がわからなくて、親と一緒じゃないと遊べなかった。

 その中で特に印象に残っているのが、この『謎の村雨城』だった。このゲームは母がプレーしていた。このゲームは一言で言うと、『ゼルダの伝説』を時代劇に置き換えた感じだが、体力が3つしかないゆえ、残機制なのが微妙だった。俺もやってみたが、武器の使用回数などがあり、無駄遣いすると母から「武器を無駄なところで使うなよ」などと注意されたことがある。

 何とか1ステージのボス、青雨城主に勝つことができたが、それ以降進んだことがなく、結局ディスクシステムも使いづらくなってしまい、エンディングを見れずに終わってしまった。

 そして十数年の時を越えてファミコンミニが発売された。俺はこのゲームを母の日のプレゼントとして母にプレゼントした。母はとっても喜び、俺も母の喜ぶ顔を見て喜んだ。もちろん俺と母とでファイルを別々に作り、プレーしている。

 だが、母はやり方を忘れてしまったせいか、武器を無駄遣いしたり、やられっぱなし。「そこダメ!」「ああ、やられちゃう!」「武器そんなに使っちゃダメ!」など、今度は俺が注意する立場になってしまった。俺も腕が上達したのか、緑雨城まで到達した。「今度こそエンディングを見てやる!」という勢いでプレーしています。

 ファミコンは親子の愛情を繋ぐ素晴らしいゲームだと思いました。

寄稿:ブラック 男 1989年生 栃木育ち 学生


「ゼルダ」がイチローなら、「村雨城」は田口壮

 私がディスクシステムを親に買ってもらった時、一緒に購入したのがこの『謎の村雨城』だった。

 時代劇風世界観のアクションゲーム、というのが当時の私にはツボだったわけだが、実際プレーしてみても、さすが任天堂、快適にかつ爽快にプレーが進む。また、セーブ機能により、電源を切ってもまた次に続きからプレーできる、というのも当時は嬉しかった。

 ただ、世間的にはこの作品はマイナーなソフトの部類に入るようで、それはやはり、同じ「新ハードと同時期の発売ソフト」という宿命を負い、その役目を見事に果たした上に、多くの続編を生んだ名作『ゼルダの伝説』のせいだろう。

 「ゼルダ」がイチローなら、「村雨城」は田口壮だ、ということだ。(…そうか?)

寄稿:風雲再起動 男 1971年生 岡山育ち 会社員

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