『思い出のファミコン』が本になりました
 

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熱血高校ドッジボール部 熱血高校ドッジボール部
テクノスジャパン
1988.7.26発売
©1988 TECHNOS JAPAN CORP.

学校一のゲーマー同士の頂上決戦

 ゲームを極める……その言葉がピッタリのゲームでした。当時、母校で最強と自他共に認めるゲーマー「谷っぺ」がいたのですが、学校の行事で他校の生徒と知り合う機会があったのです。他校でもこのソフトが流行っていて、そこにも自他共に認めるゲーマー「せっチン」がいたのです。当然勝負することになって、その週の日曜日が決戦の日、なんと会場は我が家!!

 凄まじい緊張感が漂う中、世紀の一戦(オーバーか?)が始まった。その光景に一同驚愕した! なんとお互い上手すぎて、キャッチ!キャッチ!!キャッチ!!!一向に勝負がつかないのだ。ゲーム上手な人同士がやると、勝負ってつかないもんだなと勉強になりました。あの11月20日は、今でも仲間内で伝説として語り継がれています。

寄稿:サブイボ 男 1978年生 滋賀育ち 機械設計


よだれが出るくらいのハマりっぷり

 当時は狂ったように対戦に興じた思い出があります。当時の私には、ボタン2つで操作できる明解なシステムがありがたかったですね。あの、「どれだけ正確に捕球をし続けるか」という緊張感がたまりませんでした。対戦でありながら、ある種のストイックな気分を味わえる。未知の快感が開花していく奮えが、あのよだれが出るくらいのハマりっぷりだったのだなと、今は思います。

寄稿:しいたけ 男 1979年生 静岡育ち 会社員


クラブ活動の対戦にはまった

 このゲームはたしか夏休みに入ってから買ってもらった記憶があります。当時友だちが持っていて一緒にやってたので、親にせがんで買ってもらいました。

 ゲームの内容はというと、熱血高校で各国の代表チームと戦っていくモードと、2人対戦できるモード、あとは最大4人対戦できるクラブ活動なるものがありました。その中でも、友人たちと特にはまったのはクラブ活動の対戦でした。難易度は当然高く、キャラが被った場合はじゃんけんで決めて、とりあえず邪魔なコンピュータは先に倒して、入り乱れの乱戦をやってましたねー。

 くにお君シリーズは確かこれが最初に出た対戦もので、そのあとに「熱血行進曲」が発売したので(けっこう後ですが)、行進曲に飽きたら、「次はドッジボールで対戦だ!」と飽きもせずにやってました。しかしインド人、むちゃくちゃタフだった・・・。

寄稿:Luna 男 1980年生 福岡育ち フリーター


ブラウン管にコートのラインが焼きつく

 今は亡きテクノスジャパンが、いちばんおいしかった頃のタイトルです。「熱血」で「硬派」なくにおくんをSD化して、まず「ドッジボール」に目を付けたセンスもさることながら、各キャラクターに必殺シュートを与えて個性をもたせると同時に 、チームのフォーメーションも設定することが可能、といったアイディアも当時としては光っていたと思います。

 くにおくん率いる日本代表チームが世界各国を転戦するというストーリーですが、インド代表がなぜかやたらと固かったことを覚えています。

 当時は友人たちと技を磨きあい、昼夜を問わずプレーしまくりました。やがて我が家のTVのブラウン管にはコートのラインが焼きつき、僕の頭には「インド人はタフ」という根も葉もないイメージが植えつけられました・・・。

 はっきりいって業務用のものよりも、ファミコンの方がよくできているというレアなケースです。

寄稿:糞芸大作戦 男 1977年生 京都育ち SE

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