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信長の野望 全国版 信長の野望 全国版
光栄
1988.3.18発売
©1988 KOEI

「天翔記」で最近やりなおし

 このゲームに出会ったのは、中2か中3の長期の休みの時だったと思います。

 当時、S君と遊んでいたのですが、正直言ってS君が夢中になってやっているのが理解できませんでした。「三国志」のように、たくさん武将が登場するわけでもないし、その上シビアなゲーム性だし、爆音とともに大名が滅ぶさまを画面で見て、「なんて嫌なゲームだ。」と思ったものです。

 でも、最近になってインターネットで調べてみて、“「信長の野望」シリーズは戦略重視のゲームであり、戦争に至るまでの外交、内政で戦の勝敗が決まるところがあり、このように実際の戦国時代の状況に近い設定が長期の人気の理由のひとつである”というのを知って興味を持ち、『信長の野望 天翔記』なのですが、やり始めました。

 でも、最初のインパクトはこの全国版のシビアさだったような気がします。

寄稿:sato 男 1974年生 青森育ち 無職


年貢1%作戦で疾風のごとく全国統一!

 序盤はいいのですが、中盤以降は国の数が増えてくればくるほど、内政など何をやっていいのか分からなくなってきます。もう眠くてめんどくさいから、「年貢1%にして民を喜ばしたろか……」と年貢を下げて、後は「内政」にして放ったらかしにしてました。

 そして兵力を集めるためにもう一度直轄に戻してから気付いたのですが、年貢率が自動的に50%前後に戻っているにもかかわらず、民忠が変わっていないことに気付いたのです。「うを!?ってことは、これを繰り返したら……」あっという間に民忠上限です。これをこまめに実践すれば、相当の弱小大名でも20年以内に全国統一可能です。ただし、「軍事」にすると、年貢率は変わってくれません。

 これってバグなんでしょうね。でも、どこの書き込みでもこれは書かれてなかったので、一応報告です(現在やってるやつおるんかな……)。

寄稿:Shin 男 1969年生 大阪育ち 会社員


「あまこ」で玉砕

 当時、溜まり場状態になっていたうちで最もよくやったゲームが、この『信長の野望 全国版』でした。友だちがPC版を持っていたので、みんなが比較的ルールをよく知っていたのと、8人まで遊べる点が魅力でした。

 みんなが選んでいたのは「だて」「うえすぎ」「ほうじょう」「たけだ」「とくがわ」「おだ」「みよし」「ちょうそかべ」「りゅうぞうじ」「おおとも」(地元なので)あたりでした。しかし、その中でHという友だちはちょっとひねくれ者で(笑)、「べっしょ」や「かきざき」や「かさい」でクリアしてました。当時の僕にはそれが不思議で、一度「あまこ」でやってあっさり死んだ記憶があります。

 そんな彼も、今は大阪でバリバリ働いているそうです。PS版もあるのでもう1回やってみようかと思っています。

寄稿:よし 男 1975年生 大分育ち 会社員


北海道在住。当然、カキザキ

 初めて「信長の野望」を知ったのは、小学生の頃でした。友人の富士通FM 7でプレーしたのが始まりでした。社会人になってファミコン版の信長を見たときはうれしかったですね。早速購入して、寝るのも忘れてプレー。

 北海道在住なので、当然、大名は北海道の蛎崎(カキザキ)氏。これがまた若い大名がゆえに、ゲーム開始直後に謀反が起きるは、他から攻め込まれるはで、自分の領地を守ることで精一杯だったのを覚えています。

 そんな我が分身、カキザキも齢41歳にして全国統一。エンディングの「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢、幻のごとくなり」、これを見た時は、「あぁ、終わったんだな。」という達成感でいっぱいになった記憶があります。また機会があれば、再度挑戦してみたいです。もちろん、カキザキで…。

寄稿:兄邪 男 1969年生 北海道育ち トラックドライバー ホームページ


親に内緒で通販

 小学生のくせに、親に内緒で初めて通販で買ったゲームです。「ハイスコア」という今は亡きゲーム雑誌に、中古5,500円と書いてあったので、ドキドキしながら静岡の会社(確かエマーソンって会社。今もあるのかな?)まで電話した記憶があります。もちろん、親には内緒。現金書留を送り、おばあちゃんに荷物が来たら受け取ってと頼みました。無事届いたときには嬉しかったです。

 佐賀県に住んでいたので、佐賀の武将「龍造寺氏」でプレー。けっこう強い武将だったので、すんなりとクリアできました。その他、島津氏や伊達氏など、いろんな武将でクリアして、長い間楽しめました。

寄稿:イト戦 男 1975年生 佐賀育ち キックボクサー ホームページ


全部ひらがなかよ・・・顔でかっ!

 パソコンのPC-8801シリーズが大ブームの頃、当時30万円もするパソコンには手も出ず、近所の家電量販店に、違法コピーした『信長の野望 全国版』の5インチFDを持っていっては、閉店時間までプレーしていました。

 パソコンならではの緻密なグラフィックに感情移入しながら、友人と全国統一を目指していたあの頃、ついにファミコンに移植されるという情報が飛び込んできました! ファミコンゲームのくせに価格はパソコン版と同じ9,800円! おいおい、パソコンと同じ金額ってことは、当然中身もパソコン並みに期待してもいいのか? と疑念を抱きつつ、早速購入したという友人Mの家へ。

 画面を見て愕然・・・。全部ひらがなかよ・・・。顔グラフィックはどこだ? 情報画面から出るのか・・・? わっ! 顔でかっ! それっきり、光栄のゲームがファミコンに移植される話を聞いても、心ときめくことはなく、「光栄のゲームをするならパソコンで」が私の哲学となりました。

寄稿:ピチパラキング 男 1974年生 広島育ち 会社員


パターンをつかむとあとは簡単

 違う意味で価格破壊だったこのゲーム。基本的に光栄のゲームは全部そうだけど、一度パターンをつかむとあとは簡単。必殺技はいろいろあった。

その1! 年貢70(100も可)%&民施し大作戦!
 ・・・これをするだけで数年後には大量の金・米が。
その2! 弱い大名はみな暗殺&入札(!?)
 ・・・ついでに早死の毛利領も皆入札ゲット!
その3! 訓練度無視、兵忠上げ作戦!
 ・・・これで戦闘中に敵はどんどん裏切って、我らに!
その4! 敵大名殺して、丸ごと頂き作戦!
 ・・・コンピュータの大名が直接侵攻してきたら、城前までおびき寄せて、あとは囲んでいじめて、捕らえて、殺す!!。

 しかし、最も印象深かったのは最初の春に謀反か一揆で死ぬ畠山。「はたけやまはしぼうしました」の文字と爆発音が虚しい・・・。あまりにも悲惨だ。

寄稿:Z.Z 男 1976年生 兵庫育ち 国家公務員


長宗我部で全国統一

 「信長の野望」なのに、信長でプレーした人はあまりいないだろう。なぜなら、実際の歴史でもそうであったように、関東、中部は激戦地帯。信長率いる尾張の周りに弱いところなどないのです。

 で、私はどこでプレーしていたかと言うと、土佐の長宗我部。だって四国は平和だから。まず、お金を貯めて忍者を雇い、周りの武将を暗殺。戦わずして四国統一。そして、毛利元就が亡くなったころに中国地方制圧。じりじり攻めて、九州も手中に。

 そしたらあとは兵を前線に集めて、一気に東へ。とは言っても結構時間がかかってしまい、全国統一できたのは17世紀初頭でした。もしも実際そうなっていたら、高知県は高知都・・・。東京は、いや、東日本はどうなっていたのだろうか。

寄稿:Vanilla Ice 男 1974年生 東京育ち 建築士

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