『思い出のファミコン』が本になりました
 

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ピンボール ピンボール
任天堂
1984.2.2発売
©1983 Nintendo

飽きずに長い間遊べた

 タイトルは音楽が流れるのですが、いざゲームが始まるとBGMは無く効果音のみだったので、夜更かししてゲームしていた時は結構寂しかったです。

 しかも下段でひよこがそろった時は、けたたましいファンファーレ(?)が鳴るので、しばしビクッ!っとなっていましたw

 ゲームとしては、2画面構成で色んな仕掛けがあったので飽きずに長い間遊べました。とくに役物がそろってストッパーが出た時は、小学生ながらニヤリとほくそ笑んでました

寄稿:ししまる 男 1975年生 宮崎育ち 会社員


厳しかった父に褒められた

 私にとっては忘れられない、思い出のソフトです。当時、両親がファミコン本体と一緒に買って来たのがこの『ピンボール』。

 私の父はとても厳しく、家の手伝いを済ませてから、そして宿題を済ませてからでないと遊ばせてくれませんでした。そして、目のためにも1日1時間。今考えればもっともなことなのですが、その当時は「別にいいじゃん。」と思ってました。

 そんな父がある日、『ピンボール』をやってました。母と一緒に、楽しそうに。その姿は今でも忘れられません。父は決してうまくはなかったです。どちらかと言えば母のほうがうまかったと思います。私が替わってプレーして高得点を出すと、父が「お前、うまいな。」と褒めてくれました。あの厳しい父が、面と向かって褒めてくれるなんてそれまでなかったので、とても嬉しかったです。それは高得点を出すよりもでした。

 それ以来、兄も交えて家族4人で時間も忘れ白熱しながら楽しんだのを憶えてます。もう父は亡くなりましたが、この『ピンボール』を見るたびに当時の出来事を思い出します。私が死んだら天国で父と『ピンボール』、またやりたいです。

寄稿:龍也 男 1979年生 岡山育ち 自営業 ホームページ


機械オンチの母でもできた

 ファミコンのソフトは数あれど、唯一と言っていいでしょう、うちの親がプレーできたゲームは。

 (当時の)ビデオで録画もできないほどの機械オンチの母親でしたが、この『ピンボール』だけはやりこんでいました。なにせ操作が直感的で、両手の親指が動かせればいいのですから。他のゲームはいくら説明しても理解してもらえなかったのに、これだけは遊んでくれましたね。

 ただ、下画面の右上にあるエクストラステージ(マリオがレディを救う場面)になると、急にあたふたしていたのを懐かしく思います。

寄稿:dew 男 1973年生 佐賀育ち コンピュータ技師 ホームページ


親に無断で買ったファミコンに初めてさしたカセット

 僕が小学校6年生の時、親に無断でお年玉をはたいてファミコンを買ってきて(あとでメチャメチャ怒られた)、ソフトを買うお金までは残っておらず、友達に借りてきて初めてやったゲームです。

 自分の家のテレビにファミコンの画面が映るっていうだけで、スゴイ感動だったなぁ。接続するのにテレビの裏側に回って悪戦苦闘して・・・(RFスイッチとかよく解らないし、説明書は不親切だし)。

 ゲームの内容は地味ながらも完成度は高かったと思います。縦長のピンボールマシンを2面に分けるって形式で。たしか、ある穴に入れるとボーナス面になって、頭の上に板を持ったマリオがボールを落とさないように受けるっていうオマケもありました。

寄稿:よっしー 男 1971年生 東京育ち 信金マン

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