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マイクタイソン・パンチアウト!! マイクタイソン・パンチアウト!!
任天堂
1987.11.21発売
©1987 Nintendo

タイソンは理不尽の塊

 今はゴシップネタにしかなってないタイソンが全盛期のときに出たゲームだ。素晴らしいボクシングゲームであった。

 同時期に出ていたものに『ファミリーボクシング』なんてのがあったけど、ゲームとしてはぜんぜん違っていた。基本は、よけてパンチを返すという感じ。ボディに当てるときは、そのまんまストレートを打つ感じ。敵の顔にパンチを当てようとするとプレーヤーもジャンプする。敵キャラは、やはり理不尽。みんな個性的な(侍ジャイアンツ的)必殺技を持っていた。

 確か、グレート・タイガーというキャラは、頭にターバンを巻いていて、目の前で大きく円を描いてパンチをしてくる野郎だった。発売当時小学生だった僕は、おどろきおののきひっくり返ったものだ。

 いろんな敵を倒して最後にタイソンと対戦。タイソンは理不尽の塊であった。最初の1分半の間は、タイソンのパンチが当たる=ノックダウンなのだ。1分半経過してからも一発ダウンはないとはいえ、やはりタイソン強しであった。結局タイソンは倒せぬままだ。

 4年前、バージンエアでイギリスに行ったとき、飛行機で「スーパーパンチアウト」をした。タイソンは消えていたものの、キックをいれてくるヤローがいたぞ。んぬぬぅ、「パンチアウト」理不尽なり

寄稿:セバスチャン 男 1976年生 福井育ち フリーター


鼻の穴が3つになったうそのようなほんとの話

 忘れもしない小学四年生の一学期の終業式の日。明日から夏休みということでテンション急上昇中の僕は、友人の家に遊びに行った後、そろそろ帰ろうかと友人の家を出た。

 当時、友人の家は酒屋兼何でも屋みたいな店を経営していて、犬を飼っていた。その犬が逃げ出さないように柵(一升瓶を入れる木箱を重ねた物)があった。その日何を思ったのか、夏休みの明日までジャンプできると思ったのか、その柵を越えようと一番高いところまで上り、さあジャンプ!

 という時に、足が柵に引っかかり、顔から砂利の地面にロケットダイブ! 砂利が……鼻にささった……。その瞬間、鼻の穴が3つになり、27針を縫う大怪我を負った。そのとき手にしていたのは、まぎれもなく、『マイクタイソン・パンチアウト!!』だったのだ。

 その後、僕は泣いたが、傷が痛くてではなく、夏休みプールに入れないことに泣きくれたのだ。今でもこのゲームを持っていてたまにプレーするが、懐かしさ、面白さ、ほろ苦さが同時にやってくる。

寄稿:頼朝の弟 男 1979年生 宮城育ち 建築士


一撃必殺なタイソンの破壊力に興奮

 今では「とある事情」により来日できなくなったマイク・タイソン先生のゲームです。

 見た目はボクシングゲームなのですが、相手のクセを見切り、攻略パターンを覚え、トライに次ぐトライで一人一人攻略・・・。その正体は良質な「アクションゲーム」なのです。

 当時通っていた学習塾の友人たちと「昨日はここまでいった」「あいつのパターンは・・・」などなど、飽きずに話してました。

 そんなある日、友人の一人が念願のタイソン先生まで到達、みんなでその友人の家に行き、タイソン先生の人間離れしたスピードと一撃必殺の破壊力に興奮していたことを思い出します。

 久々にプレーしてみましたが、その魅力は今でも色あせることはなく、十分に楽しめるものでありました。

寄稿:糞芸大作戦 男 1977年生 京都育ち SE


主人公と対戦者の大きさの対比が現実離れ

 僕の好きなタイソンとファミコンがドッキング! お小遣いすべて吹っ飛んだけど、買ってよかった。主人公と対戦者の大きさの対比が現実離れしてましたが、そんなことまったく関係ないんですね。

 タイソンが日本で試合した時のテレビ録画、まだ実家にあるかなあ。会場の東京ドームもまだできたばっかでね。ちょっぴり出てきた自分の腹をさすり、白髪の出てきた頭をかきながら、中学生の時の気持ち、今しみじみと懐かしんでます。

寄稿:櫻井 正幸 男 1973年生 群馬育ち サラリーマン

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