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三國志 三國志
光栄
1988.10.30発売
©1988 KOEI

強烈な憧れ

 光栄の『三國志』をクリアした順番は、II、III、Vという順だったんですが、一番最初にやったのはファミコン版の初代『三國志』でした。

 発売されたのは中学時代だったんですが、プレーしたのは高1の時でした。当時、ナムコの『三国志 中原の覇者』がキッカケで三国志に夢中になっていたんで、この光栄の『三國志』にはショックを受けました。

 でも、クリアすることなく借りた元へ返してしまったんで、それ以来この光栄のファミコン版初代『三國志』には、強烈な憧れがありましたね。

 月日は流れて18年、ファミコン版『三國志』がプレーできるようになったんですが、プレーしてみると意外に難しいと思いました。「どうやってクリアするの?」というような。

 でも、当時は面白いもの、価値あるものと思い、盛んにプレーしていたんですよね。今にして思うといい時代だったなぁ〜と思います。

寄稿:sato 男 1974年生 青森育ち 無職


とりあえず「呂布」

 私、三国志ゲームはナムコの「中原の覇者」がデビューでした。その後、いろんな本を読みあさり、ついにシリアス路線の『三國志』にたどりつきました。

 やっぱりこのゲームの思い出は、ヘッドハンティングにつきます。董卓以外の君主で始めると、とりあえず「呂布」を奪い取る! 他の武将も忠誠度が低いうちに根こそぎ奪い取る! パラメーターの低い武将については、兵士を奪い、忠誠度だけ上げて、さっさと地方の城主に左遷させてました。ほんま極悪でしたわ。

 いろいろやりつくした後、ふと「このまま何もしないでほっとくと何年まで続くんかな〜」と思い、春に1〜2人ずつ死んでいくのを延々見てた記憶があります(途中で飽きましたが……)。

 当時は大学生、ほんまに時間が有り余ってたんですね。そのときの時間、今、根こそぎ奪い取りたいです。

寄稿:やっちゃんパパ 男 1969年生 大阪育ち 公務員


張飛の知力を99に

 初めてやったのが中1の頃ですね。原作はちくま学芸文庫の三国志正史で……と言いたいところですが、普通に横山光輝さんの漫画で知りました。

 自分は当時、エロCG目的にPC雑誌を読んでる馬鹿者でしたから、ゲームの裏技などは入手前に知っていました。しかし基本システムを知らないので、どういう流れでそれが活用されるかを想像して楽しんでる暗い子供でした。

 プレーの思い出は色々ありますが、一番頑張ったのは「内政」と「張飛」です。このゲーム、後に続く光栄シリーズと比べ、内政の数値の上がりがジジイの小便のようにチョロチョロしか上がらないんですね。それを月1のフェーズでしこしこ上げるわけです。ドラクエのレベルを意味無く99までやり込む子の気持ちが私には分かります。てか、同じベクトルにいますね。

 次に「張飛を軍師にする!」です。これは同じ国に当該武将より知力の高い武将が居る時に書物を与えると、1ずつ(!)知力が上昇するというものです。このゲームの原則上、君主の行動の成否をアドバイスする軍師になるには、知力が90以上。さらに完璧な助言をするには98以上の知力が必要です。張飛の元々の知力は30ちょっとだったと思いますが、最終的に99まで上げました。

 誰に見せるわけでもなく、自分ですら首を傾げるこの行為に没頭できた、あの頃の無駄な粘着力。今は失ってしまいましたね。

寄稿:トマト大帝 男 1976年生 宮城育ち 会社員


中古で売って食費の足しに

 このソフトで思い出すのが董卓と友人の○崎です。君主に董卓を選んで周りの勢力を蹂躙しました。やがてこのゲームに飽きてしまい、この○崎にソフトをあげました。

 あげてから1、2年後に再びプレーしたくなって○崎から借りたのですが、借りているときにバイクで事故に遭い、しばらく自宅で療養しているときに、金が底をつきかけその『三国志』を中古屋に売って食費の足しにしてしまいました。そのことを○崎に告げたところ、非難されたのは言うまでもありません。

 意地っ張りな性格なもので素直に謝らずに、「もともと俺のものなんだからいいだろう」といって取り合いませんでした。いまこの場を借りて○崎に一言、「すまなかった」と言いたい。

寄稿:ぶいがんま 男 1969年生 東京育ち 会社員


成人前に、「酔っ払う」ということを学ぶ

 当時、友人2人とはまっていたゲームでした。休み前日や夏・冬休みに友人宅でやるとだいたい徹夜モードに突入し、あの独特の音楽と待ち時間で敵・友人・眠気との戦いのゲームだった印象です。

 あるとき、「自分たちは酒を飲んだらどういう酔っ払いをするのかを経験しておこう!」と十○歳の時に思い立ち、ビールを飲みながらたんたんとプレーしていました。すると、友人Aが突然奇怪な行動に。Aは曹操でプレーしていたのですが、突然「俺は馬騰をとる」と敵君主を登用しようとしました。驚いた私と友人Bは、「おい君主はとれないぞ」と諌めましたが、Aはそれでも「いや、俺は馬騰をとる」ときかず、ついに実行して殺されるはめに。

 酔っ払うとはこんなことなのか、と三國志を通して体験した青春でした。

寄稿:ちえぼん 男 1973年生 青森育ち 会社員


衝撃の火計

 それまでのファミコンソフトを凌駕する馬鹿デカいカセットの大きさに圧倒され、期待しつつプレー開始。最初は劉備でプレーした。

 かなり早い段階で曹操に攻め込まれ、戦モードに。当然武力の高い、関羽、張飛等を出陣させ、それだけで勝ったつもりになっていた。だが、ある武将に張飛が火計をうけ、逃げていたのだが火の勢いが強く、動かすところがない! 「どうすりゃいいんだ?」と思って留まっていると、次のターンで「張飛は焼け死んだ」の文字が!!

 ガガーン!! 目の前が真っ暗になり大ショック!! 火攻めで逃げるところがなければ退却しなければならないと知ったのは、その後のことだった・・

寄稿:しょーまりん 男 1971年生 北海道育ち 公務員


待望のファミコン版登場と衝撃の値段

 パソコンユーザーを恨めしく思い、指をくわえて眺める日々の長かったこと・・・。いつかその日が来ることを信じて基礎知識の習得に小説「三国志」を読み耽る私。

 ようやくファミコンで登場した時の嬉しさと衝撃の値段は忘れられません。あぁ。劉備がいる、超雲がいる、曹操がいる。中国全土統一を果たすべく奮戦し続ける各将たち。そして私も燃えました。けど、全土統一目前にはプレーが少し作業気味に・・・。

 あぁ感動の『三國志』。

寄稿:れ趣味 男 1968年生 奈良育ち 人事担当者 ホームページ

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