『思い出のファミコン』が本になりました
 

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スターフォース スターフォース
ハドソン
1985.6.25発売
©1985 TEHKAN AND HUDSON SOFT

母がゴミ捨てに出たわずかな隙にもプレー

 私が小学校4年か5年生の頃に、今は亡きおばあちゃんに買ってもらい、気が触れたようにはまったゲームです。ゲームは1日1時間の制約のなか、ほとんどをこのゲームに費やし、3つ下の弟と必死になって遊んだ記憶があります。

 母が夜、ゴミ捨てに行くわずかな時間(2〜3分)にも、母の目を盗んでやってました。つい最近、久しぶりに、弟とこのゲームをやる機会があり、当時を懐かしみました。

寄稿:ゆん 男 1975年生 愛知育ち 会社員


印象深かったゴーデスの百万点

 『スターフォース』、ハマりましたね〜。それ以前にも『ゼビウス』という似たゲームをやったことがあったんですけど、『スターフォース』はなんと言っても、スピード感が速い感じでした。

 数々のボーナス得点が用意されていたんですが、なかでもゴーデスの百万点が最も印象深かったですね。たしか小5の夏休みだったと思います。従兄と一緒に、教えてもらった、オブセスというキャラで「敵キャラ回し」という誘導テクを用いて、ゴーデスが隠されている通称“砂漠”の付近まで行って、あたり構わず連打しまくって、探そうとしていました。

 数日後、従兄がゴーデスを発見したんですが。最初、説明書でゴーデスという隠されたキャラがいることを知っても、とても探せないよと思っていたんですが、ある程度やればできるということを教わったゲームでした。

寄稿:sato 男 1974年生 青森育ち 無職


ボタンがダメになってジョイボール買ったけど……

 小6の時に、これがやりたいためにファミコンを親に買ってもらったなぁ。おかげでボタンは連射しすぎでスカスカになった。

 それで親と、「運動会の徒競走で1位になったら何でも買ってあげる」という約束をして、余裕の1位になった。その日に「ジョイボール」っていう連射付きコントローラーを買って連射しまくった。……だけど操作が玉なんで、うまく移動できなくてよく死んでたな。慣れると扱いやすいコントローラーだったけど、どこにいったんだろう?

寄稿:t.t1118 男 1973年生 栃木育ち 会社員


スコア要素に深みがある

 私がこの作品に出会ったのはファミコン版が最初で、後にアーケード版からの移植ということを知りました。そのせいか、このファミコン版のシャープなインパクトが強く残っており、敵キャラやエリアボスの幾何学的な形状や、エリアの区切り方、そしてあの何ともいえないスピード感が印象的でした。

 スコアに関する要素も数多く盛り込まれており、スコアによって法則が変わったり、パネルの破壊数によるボーナスなど、スコア要素も深みがあります。相当古いゲームなのですが、今見ても斬新な要素を含んでいるのではないでしょうか。

 当時は全エリア制覇はできなかったのですが、そのおかげで先に進んでみたいという好奇心や想像力が膨らみ、それが強いイメージとして今でも私の中に焼きついています。

寄稿:MGRP_Lab 男 1980年生 岩手育ち 自営業


バブルなスコア

 バブルで高騰したのは何も地価や株価だけではない。経済に先駆けて、ファミコンのスコア市場は『スターフォース』の発表をきっかけに大きく変化を遂げた。

 ラリオス合体前撃破=50,000点、ジムダステギ10連続撃破=80,000点、クレオパトラ撃破=1,000,000点。目まぐるしく回転するスコアカウンタは子供たちを魅了し、当然、僕もその中の1人であった。

 ただ、このゲームを境に、「スコア」という項目が、友人と競い合うバロメーターから徐々に外されていった記憶がある。数字のスケール拡大がプレーヤーの興味をひく時代は、ここでひとつの頭打ちを迎えたのだろう。

寄稿:淳 / ハローブリッヂ 男 1978年生 神奈川育ち システムエンジニヤ ホームページ


今やスキンヘッドの高橋名人の生連射

 現在、「レベルX」というテレビゲームの展示会が開催されているのはご存知でしょうか?(※2003.12/4〜2004.2/8) ボクはファミ魂を持つ者としてその開催初日に参加しました。

 ファミコンソフト全タイトルの展示を少年のような眼差しで眺めたり、大型スクリーンでゲームを楽しめたり、最後のファミコンが出荷される時の映像を見て涙をこらえきれなくなったり・・・。

 その一角に、事前に行われた人気ゲームソフトランキングで上位にはいったものを体験できるスペースがあって、ボクは『クルクルランド』をやってたんです。すると、数台のテレビカメラとリポーターらしき人2名、スタッフみたいな人数名の10人くらいの集団がボクのとなりのゲーム機に集まってスキンヘッドのリポーターの人が『スターフォース』をはじめました。

 その瞬間!見覚えのある痙攣したような連射が始まりました!「ひじを置く場所があるといいのに・・・」とぼやきながら16連射するその人はまさしくあの高橋名人ではありませんか! 「うおー!オレのとなりで高橋名人が生連射してるぅぅぅ!!」もはや『クルクルランド』どころではありませんでした。

 見とれるあまり、こんなこともあろうかと持参したジョイスティックにサインをもらえなかったことが悔やまれてなりません。その後ジョイスティックに自分で「高橋名人に会った。」とサインしておきました。

寄稿:れっきんぐ・たかのり 男 1981年生 長野育ち 大学生


「押すんじゃなくて、プルプル震わせるんだよね」

 スターフォースと言えばハドソン、ハドソンと言えば高橋名人です。小学生の頃、ファミコンを買ってもらえなかった僕は、友人宅にほぼ毎日通い、腕を磨いたものです。

 そんな時、地元デパートで当時人気絶頂の高橋名人を迎えてのスペシャルイベントが催されました。友人数人で参加したものの、予選で全員敗退。小学生の「どうしたら連射できるんですか?」という質問に、「う〜ん、指立て伏せをするんだよ。あと、押すんじゃなくて、プルプル震わせるんだよね。」と笑顔で応えた高橋名人。僕らは皆、指をプルプルさせながら帰った気がします。

 確か、今はハドソンの何とか企画室にいらっしゃるんですよね。

寄稿:谷口 正一郎 男 1973年生 鳥取育ち 会社員

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