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スペランカー スペランカー
アイレム
1985.12.7発売
©1985 IREM CORP. LICENSED FROM BRODERBUND

自分が洞窟探検に行ったら、たぶん彼以下

 当時、新作ソフトは必ず『ファミリーコンピュータマガジン』でゲーム内容をチェックしてから買っていたが、『スペランカー』の記事ほど何度も読み返したものはなかった。洞窟探検、もうそれだけでワクワクして絶対買ってやろうと思っていた。記事には難しいゲームだとは一切書かれていなかった。

 しかし結局、我が家でクリアできた人はなく、クリアできたのはゲームのうまい友だちだった。彼のプレーを家族4人ともう一人の友だちとで見守る中、「これだけ?」のエンディング。でも私たち家族はすばらしい映画を見終わったときのように感動していた。途中、プレーする友だちには、「何やってんの! あほやな〜」とか無責任な野次を入れながらも、『スペランカー』は「人のプレーを見て楽しめる」ゲームだった。

 下り坂でジャンプするだけで死ぬ主人公。でも、実際に自分が洞窟探検に行ったらこんな感じだろうと思う。「洞窟探検はとても危険なんですよ」と、「探検に行くのはゲームの中だけにしておきなさい」と、教訓を与えるためのゲームだったのではないかと、今まで勝手に解釈していた。きっと自力でクリアできなかったからかな……。

寄稿:ダイヤんかめ 男 1972年生 大阪育ち 自由業


「名作」と「駄作」の評価が紙一重

 ゲームの難易度にも2種類あります。『たけしの挑戦状』のような、クリアもできそうにない難しいゲーム。そしてこの『スペランカー』のような、難しいが何とかクリアできる人もいるゲーム。このスペランカーの難しさはたしかに相当なものでした。ゲーム史上に残る主人公のひ弱さに、多くの少年少女たちがこのゲームに嫌気を差したに違いないと思います。

 ですが、この究極に難しい5面からなる洞窟探検を、手に汗握りながらなんとかクリアできた根気強い人もいると思います。歌謡曲の謳い文句でもないですが、難しいものほどクリアすると充実感はすごいものです。私も相当やりこみ、運良くひやひやながらクリアしました。

 このゲーム、現在では「名作」として謳われていますが、多くのクリアできずに投げ出した人たちにとっては「駄作」であるかもしれません。でも機会があればもう一度やってほしい。クリアすればきっと「名作」に変わると思います。

寄稿:シトリントパーズ 男 1974年生 福岡育ち 会社員


「コツ」に気がついて2周できるように

 小学生の頃、友だちが買ったゲームがこの『スペランカー』でした。ものすごく難しくてぜんぜん先に進めなかった。その当時はクソゲーなんて言葉も知らなくて、かなりやりこんだ。その友だちはつまらないゲームといって貸してくれた。

 ある時、あ……こうやればいいんだって「コツ」に気がついた。友だちに返すときには、2周くらい(飽きるまで)できるようになった。ピラミッドにたどり着いた感動は今でも覚えています。

 去年だったかな? 伝説のクソゲーとかいってネットに紹介されているのに気がついた。たしかに最弱の主人公だったけど、私には忘れられない名作です。

寄稿:to 男 1974年生 東京育ち


スーパーマリオと対極の感覚

 自分的にファミコンが黄金の輝きを放っていた中学2年当時。高さでは決して死なないスーパーマリオとは対極の、ミリメートルの高さで死ぬ主人公には悪戦苦闘した。しかしやりこんでいくと、その設定が絶妙なゲームバランスに寄与している事実を知る。

 『魔界村』などと違って、このゲームの難しさは敵キャラにはない。主人公にある。大人になってから、このゲームがクソゲー扱いされている事実を知ったが、ことこのゲームに関してクソゲー呼ばわりするのはやりこみが足りない。

 とにかく、その感覚が絶妙なのだ。スーパーマリオの画面一杯に飛び回る爽快感とは違うけど、弱い主人公をコントローラーを通してジャンプさせる感覚は他に類を見ない。ちょっとずつ前進しながらゲームオーバーを繰り返し、やっと見た宝の山の上での主人公のショボイ万歳のエンディング。

 でも、アクション・シューティング系のエンディングで一番到達感を感じたのは、20年後の今思うとこの『スペランカー』であろう。

寄稿:rainbow 男 1972年生 青森育ち 会社員


ウソ技を信じて

 ファミコン創世記を経験した人の多くが苦しんだであろうゲーム! 「ファミマガ」のウソ技で、「オープニングの音楽にあわせてボタン連打すると無敵になる」っていうのを信じた当時の小学生だった自分が、なんと健気に弟とともにボタンを押し続けたことか!?

 難しいゲームだったから、4面まで行ったときは、すごく感動しました。十数年たって、ネットでこのゲームの攻略本を出品した時、3800円という高値がついたのも、また驚きでした(笑)

寄稿:知之 男 1976年生 愛媛育ち サラリーマン


2秒です

 私が小学生の時に、いとこのミキお姉ちゃん(当時35歳くらい)が持っていたゲームのひとつ。まったく進まず、すぐ死んで、クリアなど死んでもできへんのやろなーと思い、ちょっとやってすぐに諦め、まったくやらなくなってしまいました。

 ゲームにわりと自信のあった私にとって、かなり嫌いなゲームになってしまいました。私ももう24歳。きっともう立派な大人になったから、きっと、きっとクリアできるだろうと今日買ってさっそくゲーム開始! ……案の定、エレベーターから転落死。2秒です。笑ってしまいました。やっぱり無理!!! たぶん私は一生クリアできヘンやろな〜〜〜(泣

寄稿:みか 女 1983年生 大阪育ち OL


クリアがもたらした至福の感動

 小学校6年生の冬休み、おもちゃ屋さんのチラシに載っていた『スペランカー』のジャケットをニコニコしながら眺めていたのを思い出す。友だちと、「俺はコレ買うからお前はコレな。」などと計画をし、正月のお年玉で本体と一緒に買おうと決めていたソフトだったのだ。後に発狂することなど露知らず……。

 しかし、偶然、ダイヤモンドを発見した時から、「このゲームはやっぱ何かある!」と必死にしがみついて、とうとうクリアした時の感動は、その後の20数年のゲームライフにおいて味わった記憶がないほどである。ありがとう、アイレム!

 ちなみに、友だちがその時買ったソフトは『いっき』だった……。

寄稿:宗一郎 男 1973年生 長崎育ち 古本屋店主


無性に懐かしくなって思わず買いなおし

 なぜこのソフトを手にしてしまったのかは覚えていない。「買ったゲームはすべてクリアする!」をモットーにひたすら燃えた。途中幾度となく暴徒と化したが、なんとか5周はできた。が、初チャレンジの6周目以降は、フラッシュが底を尽きクリア不可能となり、無念のリタイア。手放すことに……。

 今となっては思い出、印象が一番深いゲームが『スペランカー』。「リフトから落ちても死なない!」「コウモリの糞も大丈夫」そんな主人公を夢見て、某雑誌が掲載したウソ技「無敵コマンド」。これを信じてコマンド打ちまくったのだが、ウソだと知ったとき思わず悔し涙がポロリ……。

 このゲームを手放して20年。私も30歳となり、3歳と生後4ヵ月の2児の父に。わが子に「とーちゃんの時代はな〜」と、納戸からファミコンを引っ張り出してきてやらせていたら、『スペランカー』が無性に懐かしくなって思わず買いなおし、今またハマっている。小学校の頃の果たせなかった域「256周」を目指して……。

寄稿:ARMS 男 1974年生 静岡育ち 製造会社勤務


「ざまあみろ、ティム!」

 これを全クリできたのは高2の時だった。小学生の時に買ってもらったゲームなのに・・・。遊びに行った友だちの家で偶然見つけてプレーしたのが高2の時。エレベーターは降りられたけど全然進めない。悔しくて友人5人とTIM MARTIN(=ティム・マーティン、タイトル画面に出てくる名前)に殺意を抱きながらプレーし続けた。そして最後のロープをジャンプしてエンディング画面になった瞬間、みんなで「ざまあみろ、ティム!」と叫んだ。

 余談だが、友だちのソフトはよほど悔しかったのか、電源オン時の赤いランプが叩き割られていた。ここまで熱くなれる『スペランカー』というゲーム、今となっては名作だと思うなぁ。

寄稿:ランラン 男 1983年生 北海道育ち 公務員


独自ルールを作って競い合う

 現代のゲーム機の流れに追いつけないので(というか作り手の温かみが無くなったため)、ふとファミコンを押し入れから出して、懐かしいソフトを積み重ねてやってみたところ、当時作った人々の温かさが伝わってきました。

 『スペランカー』は仕事もそっちのけでハマリまくってます。一周最高得点や、一周タイムチャレンジなど、自分たちでルールを作り競い合うほどです。ちなみに6周目からの進み方がわからず困っています。でも本当に探検家になった気分でとても楽しいです。巷ではクソゲーと言われていますが、こんなにリアルなゲームは今までプレーしたことはありません。これからも楽しくプレーしたいと思います。

寄稿:ポン汰 男 1981年生 富山育ち 調理師


『スペランカー』がうまいというだけでヒーローあつかい

 冒険者の主人公にあるまじき驚異的弱さ、なにせヤツは自分の腰ほどの高さから落ちると死んでしまう・・・。

 小学校時代、友だちの家に泊まりに行った時に、徹夜してこのゲームをやった記憶がある。一人クラスのヤツに何周でもできるのがいて、そいつは『スペランカー』がうまいというだけで、クラスの男子連中からヒーローあつかいされていた。

 そいつにライバル意識を燃やして親友とクリアしてやろうと朝までやりまくったが、結局1面しかクリアできなかった。  ちゃんとクリアーできたのは、それからどれ位たった頃だったかな? 

寄稿:エンドロン 男 1979年生 栃木育ち 自由人


攻略本だけ買って脳内シミュレーション

 今では主人公の弱さをネタに語られるようなゲームになるとは思いもよらなかった。主人公と同じ高さの段差から落ちると死ぬ、というのがその原因なのだが、当時はそれがこのゲームのルールだと思っていたし、別におかしなこととは考えなかったと思う。

 実際にこのゲーム、操作性が良いし、実に緻密に作られているということが、やり込んでいくとよくわかる。ロープから上手くジャンプするコツさえつかめば誰でもスイスイ進めるはずだ。唯一、スピードアップアイテムの意味だけは全く見えてこないが。

 そう言えば、初めて友だちの家でこれをプレーしてからというもの、本当はずっと欲しかったのだが、当時は攻略本だけ買ってそれで我慢していた。それを見ながら、いつの日かプレーする時のために、攻略法を脳内シミュレーションしていたわけだが、我ながら健気なものだと思う。あるいはそういう妄想もゲームの一部と言えるのかもしれない。

寄稿:KK 男 1976年生 愛知育ち 自営業


「コロッケ、コロッケ」

 この前、なにげなく「『スペランカー』って面白いよね。」と話をふったら、「なにそれ」と返された。「知らないのぉ!? スゴイんだよっ。電源入れたらカセットにランプがつくんだよ!! ほんで後ろから幽霊が襲ってきて・・・。」と熱弁したが分かってもらえず。知ってるのは私だけ!?

 ゲーム中トロッコに乗るところがあるんだけど、小さかった私は「コロッケ、コロッケ」と連呼。そして何よりゲームを始めるまでが大変。リフトから降りるときに昇天しちゃうから・・・。兄と協力してプレーしたものの、全クリできず。以後、ランプがつくゲームとして私の記憶に残っている。

寄稿:水木 七奈 女 1985年生 大阪育ち 学生


ウナギのぼりのテンションは開始2秒で昇天

 世間がファミコンブームに沸くなか、1985年の大晦日に、周りから一足遅れて妹と二人でファミコンを買った。その時一緒に買ったのが、生涯忘れないであろう『スペランカー』である。

 パッケージに書かれた地底探検する冒険家の活躍。秘密基地ごっこなどが好きだった自分の胸をくすぐる内容である。さっそく本体に差し込んで電源を入れると、カセットの赤いランプが光った! 「お、このソフトただもんじゃねえ!」小2の私はテンションもウナギのぼりであった。

 が、この冒険家は開始2秒でゴンドラから足をわずかに踏み外して昇天した。

 それから・・・私はゲームを1周クリアできたのはなんと6年生になってからだ。いろんな意味で思い出深い1本です。

寄稿:こくおう 男 1977年生 福井育ち 会社員


眉間にシワを寄せ文句を言いつつもやりつくした

 忘れもしない小学5年生。夢と希望を持ってファミコンにカセットを差込みゲームスタート! 開始2秒で死んでしまった。

 初めてだからと気を取り直したが、どうもおかしい? 5ミリの高さから落ちて死ぬか? とにかく全てが難関で、ゆとりが持てないゲームでもある。でもこんなムズイゲームだからこそ、クリアする充実感は果てしないものである。全面クリアしたらエンディングが流れて、次の面からは色が変わって多少難易度が変わる、という単純なものだが、当時は眉間にシワを寄せ文句を言いつつも、かなりやりつくしたゲームだ。

 このゲームに教えられたことは、若いうちに体は鍛えなければいけないということ。ありがとうスペランカー

寄稿:たくや 男 1975年生 埼玉育ち エンジニア兼営業職


カセットに光るランプ、「なんてハイテクなんや!」

 ファミコンのカセットひとつひとつに思い入れがありますが、その中でも『スペランカー』。このゲームは外観からして変わっていて、何故かカセットにランプが付いている。まだ幼かった僕は何も考えず、パッケージの絵がカッコイイ!という理由で、このゲームを親に激しく、激しく、せがんで買ってもらいました。そしてカセットに付いているランプにかなり魅せられ、子供心に「なんてハイテクなんや!」と思ったものです。

 このゲームは作者が外人で、国産のゲームとは感じが違っています。しかしとてもよくできたゲームでした。ゲームの主人公は探検家ですが、異様に弱い! しかしお化けを倒せます。難易度はかなりのもので、指先のびみょーなタッチ、正確さが要求されます。僕は攻略本を買って、なんとかクリアーしました。(その間オカンから、勉強しろ!の命令数回あり。)

 そんな、数あるゲームの中でも特に思い入れのあったゲームでした。ちなみにアイレムのカセットには必ずランプか付いていた。

寄稿:加藤 男 1977年生 大阪育ち ゲームデザイナー


「スペランカー」呼ばわりされたヤツ

 重々し〜いオープニングの音楽とは裏腹に、プレー中のBGMはとっても軽快! このミスマッチが何とも言えませんでしたね。主人公がちょっとした落差でも死んでしまうという弱さが、やはりこのゲームの面白さじゃないでしょうか?

 ちなみにツレに、「スペランカー」というあだ名のヤツがいます。わずかな段差に足を取られて捻挫してしまったばっかりに、「お前スペランカーか!!」と大笑いされたのがきっかけでした。もぉすぐ30才になるのに、今だにこんなセリフがとっさに出てくるってのも、やっぱファミコンのなせるワザなんでしょうね。

寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 戦略担当兼作家


腰の高さから落ちただけで昇天する見事な死にっぷり

ファミコン史上、最弱の主人公が印象的でした。

特に自分の腰の高さから落ちただけで昇天する見事な死にっぷりに、何度涙を流したことでしょうか。

あのカセット上部の赤いLEDが涙で霞んでいた日々が今は懐かしい限りです。

寄稿:高砂ちゃっきー 男 1974年生 東京育ち コンピュータ会社勤務

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